天真庵のきっかけになったのが、寒山拾得(かんざんじゅっとく)
の絵を描く南條先生とであったこと。15年くらい前のお話。
三越で個展をやっていた時。ちょうど雨がふってきて、雨宿りに
入ったら、作務衣をきた先生が声をかけてこられた。
先生「どこかでお会いしましたね」
小生「?」
先生「京都かどこかでお会いしませんでしたか?」
小生「京都時代は絵を鑑賞するような余裕はなかったです」
先生「では、前世であっていますよ」
そんな会話から、始まって、天真庵で12年も個展をやった。
2000年には、ニューヨークでもやった。
この春に体調をくずされ、今後は個展はやらない・・・
というハガキがきた。
晴耕雨読の生活をされるとのこと。
「この12年間は、宝物のようでした・感謝」と書かれていた。
お金には還元できない「宝」を、寒山拾得の世界からたくさんいただいた。
天真庵の一階に彼の書を飾ってみた。なかなか味わいのある書。
の絵を描く南條先生とであったこと。15年くらい前のお話。
三越で個展をやっていた時。ちょうど雨がふってきて、雨宿りに
入ったら、作務衣をきた先生が声をかけてこられた。
先生「どこかでお会いしましたね」
小生「?」
先生「京都かどこかでお会いしませんでしたか?」
小生「京都時代は絵を鑑賞するような余裕はなかったです」
先生「では、前世であっていますよ」
そんな会話から、始まって、天真庵で12年も個展をやった。
2000年には、ニューヨークでもやった。
この春に体調をくずされ、今後は個展はやらない・・・
というハガキがきた。
晴耕雨読の生活をされるとのこと。
「この12年間は、宝物のようでした・感謝」と書かれていた。
お金には還元できない「宝」を、寒山拾得の世界からたくさんいただいた。
天真庵の一階に彼の書を飾ってみた。なかなか味わいのある書。