昨日はねんどの日。
多士済々の女性(男がひとり)たちが、10人きた。
片付けが終わったとき、おいしい羊羹を食べた。
お昼から何も食べてなかったので、心の毛細血管までしみた。
その男性が、お昼に人形町のあるお茶屋さんで食事をした時に、
そこの女将に「今日の夕方ねんどをしにいくんです」と話たら、
「どこで?」と問われ、「天真庵というとこです」と答えたら
「えぇ~押上げのあの天真庵」ということになり、その羊羹が
「では、これを庵主に届けてください・・」という話になったみたい。
「無駄のない縁」で繋がっている人たち。
人は、「おそくもはやくもなく、ちょうどいいタイミングで
出会うようになっている」のだとつくづく思う。
お昼に「りんたろう君」が蕎麦を手繰りにきた。
最近は、すこしカブイていて、歌舞伎とか着物なんかに
はまっている。もちろん、蕎麦を手繰る前の「そば前」
をやるときは、きまって日本酒を所望する。
昨日は「上喜元の翁」を美味しそうに飲んでいた。
傍らに、これから翁系のお店で修行する若者が座っていた。
りんたろう君がヨーロッパから帰国し、押上げに住み、
一昨年の年末に天真庵にきてから、不思議なことが
いっぱいおきる。大晦日は、カウンターに座った人がみな
音楽家だったり、そのつながりでコンサートをやったり・・
4月1日は、墨田トリフォニーフォールでコンサートだ。
なにを隠そう、ぼくも翁系のお店(達磨 注・高橋さんは翁という
蕎麦屋を東京でつくり、山梨に移転した後、広島に達磨をつくった)
で修行した。
広島達磨を設計した建築家の白井さんが、ぼくの「美意識の師匠」だ。
彼の父は、かの有名な建築家・白井晟一さん。
松涛美術館や芹沢美術館などを設計した人だ。広島の達磨には、
「達磨」という書が掲げれれている。もちろん白井さんの書。
「翁」という超繁盛店を捨て、退路をたって、広島の山の中に
「蕎麦の道場を作ろう」と決心した師匠のこころざしが伝わってくる。
誰も気づかないけど、天真庵の二階に飾ってある「生」も白井さんの
代表的な書。みんな、生きとし生けるものは、息をしている間は生きて
いる。どんなに大変な世の中になっても、生きて生きて生き抜きたいものだ。
多士済々の女性(男がひとり)たちが、10人きた。
片付けが終わったとき、おいしい羊羹を食べた。
お昼から何も食べてなかったので、心の毛細血管までしみた。
その男性が、お昼に人形町のあるお茶屋さんで食事をした時に、
そこの女将に「今日の夕方ねんどをしにいくんです」と話たら、
「どこで?」と問われ、「天真庵というとこです」と答えたら
「えぇ~押上げのあの天真庵」ということになり、その羊羹が
「では、これを庵主に届けてください・・」という話になったみたい。
「無駄のない縁」で繋がっている人たち。
人は、「おそくもはやくもなく、ちょうどいいタイミングで
出会うようになっている」のだとつくづく思う。
お昼に「りんたろう君」が蕎麦を手繰りにきた。
最近は、すこしカブイていて、歌舞伎とか着物なんかに
はまっている。もちろん、蕎麦を手繰る前の「そば前」
をやるときは、きまって日本酒を所望する。
昨日は「上喜元の翁」を美味しそうに飲んでいた。
傍らに、これから翁系のお店で修行する若者が座っていた。
りんたろう君がヨーロッパから帰国し、押上げに住み、
一昨年の年末に天真庵にきてから、不思議なことが
いっぱいおきる。大晦日は、カウンターに座った人がみな
音楽家だったり、そのつながりでコンサートをやったり・・
4月1日は、墨田トリフォニーフォールでコンサートだ。
なにを隠そう、ぼくも翁系のお店(達磨 注・高橋さんは翁という
蕎麦屋を東京でつくり、山梨に移転した後、広島に達磨をつくった)
で修行した。
広島達磨を設計した建築家の白井さんが、ぼくの「美意識の師匠」だ。
彼の父は、かの有名な建築家・白井晟一さん。
松涛美術館や芹沢美術館などを設計した人だ。広島の達磨には、
「達磨」という書が掲げれれている。もちろん白井さんの書。
「翁」という超繁盛店を捨て、退路をたって、広島の山の中に
「蕎麦の道場を作ろう」と決心した師匠のこころざしが伝わってくる。
誰も気づかないけど、天真庵の二階に飾ってある「生」も白井さんの
代表的な書。みんな、生きとし生けるものは、息をしている間は生きて
いる。どんなに大変な世の中になっても、生きて生きて生き抜きたいものだ。