3ヶ月前くらい前、青山ブックセンターで、廃刊になった雑誌の本を買った。
そこに気になる蕎麦屋が紹介されていた。
そもそもその雑誌が、今の雑誌と違って、スポットライト
のあたっている分野のトレンディーなお店などを紹介していない。
風光明媚な寒村で、寒風にさらされた大地の上で、清涼な水を使って
サイフォンコーヒーを毎日入れるおばあちゃんのカフェなどが、
自然にのっている雑誌。
そこにみちのくの街道にあり、昔は「そば」が名産だった地を、
村おこしのために、役場の公務員の地位を捨てて、そばやになった
人が小さく紹介されていた。さっそく、いってみた。
平日の13時半過ぎに着いた。駐車場に車が並んでいる。
ほとんどが県内のナンバーだったので安心した。
雑誌などにのるとどこかまわず飛んでいくソバオタクがいないのがいい。
入り口に、待っている人の名前が書いてあるノートがあった。
前に四組ほど、待ち人がいた。敷地の横に小川が流れていて、
そこにいわなが泳いでいた。その横には、お店の主人が飼って
いるかわいい柴犬が繋がれていた。しばらく遊んでいると、
店の女将に名前を呼ばれて、お店に入った。
自分で蕎麦畑もやっている主人が育て、自家製粉した10割そば
が、目の前に現れた。思わず、手をあわせたくなる。なにもつけずに
3本ほど手繰って口にいれたら、蕎麦の土味が、体中にひろがっていった。
主人の人生が、全部内包されているような蕎麦だ。こんな蕎麦はうまれて
初めて食べた。筆舌が及ぶはずがない。
その後、「古道具」の看板にひかれて、老夫婦が営むお店にたちよった。
ら、天真庵で「ほぼぶらじる」を入れる器の親戚をみつけた。
もちろん無名の陶工がつくったものだけど、きっと同じ作者ではなかろうか。
蕎麦も磁器も、大陸から海のシルクロードを通って、北九州に伝わったものだ。
それが、長い時間を経て、みちのくに伝わっていたことを思うと、なんだか
わくわくしてくる。
旅は、ほんとうにいいものだ。
そこに気になる蕎麦屋が紹介されていた。
そもそもその雑誌が、今の雑誌と違って、スポットライト
のあたっている分野のトレンディーなお店などを紹介していない。
風光明媚な寒村で、寒風にさらされた大地の上で、清涼な水を使って
サイフォンコーヒーを毎日入れるおばあちゃんのカフェなどが、
自然にのっている雑誌。
そこにみちのくの街道にあり、昔は「そば」が名産だった地を、
村おこしのために、役場の公務員の地位を捨てて、そばやになった
人が小さく紹介されていた。さっそく、いってみた。
平日の13時半過ぎに着いた。駐車場に車が並んでいる。
ほとんどが県内のナンバーだったので安心した。
雑誌などにのるとどこかまわず飛んでいくソバオタクがいないのがいい。
入り口に、待っている人の名前が書いてあるノートがあった。
前に四組ほど、待ち人がいた。敷地の横に小川が流れていて、
そこにいわなが泳いでいた。その横には、お店の主人が飼って
いるかわいい柴犬が繋がれていた。しばらく遊んでいると、
店の女将に名前を呼ばれて、お店に入った。
自分で蕎麦畑もやっている主人が育て、自家製粉した10割そば
が、目の前に現れた。思わず、手をあわせたくなる。なにもつけずに
3本ほど手繰って口にいれたら、蕎麦の土味が、体中にひろがっていった。
主人の人生が、全部内包されているような蕎麦だ。こんな蕎麦はうまれて
初めて食べた。筆舌が及ぶはずがない。
その後、「古道具」の看板にひかれて、老夫婦が営むお店にたちよった。
ら、天真庵で「ほぼぶらじる」を入れる器の親戚をみつけた。
もちろん無名の陶工がつくったものだけど、きっと同じ作者ではなかろうか。
蕎麦も磁器も、大陸から海のシルクロードを通って、北九州に伝わったものだ。
それが、長い時間を経て、みちのくに伝わっていたことを思うと、なんだか
わくわくしてくる。
旅は、ほんとうにいいものだ。