西條八十の詩はすきですか?
とあった。
最初に童謡のレコード(ソノシート?)になったのが、
「カナリア」らしい。それから童謡に曲をつけるのが
ならわしになったとか。童謡にしては、少し不思議な詩。
♪唄を忘れた金糸雀(かなりや)は 後ろの山に棄てましょか いえ いえ それはなりませぬ
唄を忘れた金糸雀は 背戸の小藪に埋けましょか いえ いえ それはなりませぬ 唄を忘れ
た金糸雀は 柳の鞭でぶちましょか いえ いえ それはかわいそう ...
八十翁は詩人として、なかなか芽がでなくて、てんぷらやでもやろうか、などと
思っていた時期もあり、そんな心情が吐露されているようでもあり、興味深い
詩だ。孔子さまは、人知らずして、慍(うら)みず・・・といったが、人が知ろうが
知られまいが、わが道を歩く、というのは孤独なことだと思う。
でもこれからの時代は、君子にならずとも、そんな意気込みで生きて
いきたいものだ。わが道というのは、自分だけで歩いていき、極めれば
いい。
天真庵のHPの「文花的なひとりごと」の最新の文の終わりに西條八十翁の墓標
に刻まれた詩を紹介した。なんど読んでも、照れくさくなるが、夫婦がこうありたい、
という指標になる墓標だ。
昨日はモカマタリが美味しい1日だった。いろいろな出会いがあった。
マタリは、「雨」という意味もあるらしい。
「雨の降る日に天真庵でマタリを飲むのが好きです。」
なんていわれると、どんな恋文よりも、ぐっとくる。
とあった。
最初に童謡のレコード(ソノシート?)になったのが、
「カナリア」らしい。それから童謡に曲をつけるのが
ならわしになったとか。童謡にしては、少し不思議な詩。
♪唄を忘れた金糸雀(かなりや)は 後ろの山に棄てましょか いえ いえ それはなりませぬ
唄を忘れた金糸雀は 背戸の小藪に埋けましょか いえ いえ それはなりませぬ 唄を忘れ
た金糸雀は 柳の鞭でぶちましょか いえ いえ それはかわいそう ...
八十翁は詩人として、なかなか芽がでなくて、てんぷらやでもやろうか、などと
思っていた時期もあり、そんな心情が吐露されているようでもあり、興味深い
詩だ。孔子さまは、人知らずして、慍(うら)みず・・・といったが、人が知ろうが
知られまいが、わが道を歩く、というのは孤独なことだと思う。
でもこれからの時代は、君子にならずとも、そんな意気込みで生きて
いきたいものだ。わが道というのは、自分だけで歩いていき、極めれば
いい。
天真庵のHPの「文花的なひとりごと」の最新の文の終わりに西條八十翁の墓標
に刻まれた詩を紹介した。なんど読んでも、照れくさくなるが、夫婦がこうありたい、
という指標になる墓標だ。
昨日はモカマタリが美味しい1日だった。いろいろな出会いがあった。
マタリは、「雨」という意味もあるらしい。
「雨の降る日に天真庵でマタリを飲むのが好きです。」
なんていわれると、どんな恋文よりも、ぐっとくる。