天真庵の蕎麦は、元気な蕎麦屋「そば源」さんから譲ってもらっている。
目白の有名な骨董屋のsさんが、隠れ家のような蕎麦屋を紹介してくれ、
その蕎麦屋の蕎麦にひとめぼれして、そば源さんに繋がった。
酒々井のお店の前には、蕎麦畑があって、白い花がさくころは、仕事が
手につかず、そわそわ、うきうきしながら、時間があれば、眺めているような
、蕎麦バカというか、キチというか、なかなかの奇人だ。
そば源さんは、弟子を含め、玄蕎麦の生粉打ちを得意にしている。
昨日のブログに書いたものだ。二度と打ちたくない、と思っていた。
昨日のダメ中の締めに、それを出した。勉強会の蕎麦は、久保さんの
伊賀の大皿に盛って、普茶料理(煎茶の世界の精進料理で、大きなお皿
に料理を盛りつけ、みんなで平等に命を分け合うようなスタイル。隠元
和尚が黄檗禅を宇治にもってきた時、煎茶と普茶料理も伝えた。いんげん豆
ももちろん隠元さんがもってきた。煎茶は中国の影響を多分にもっている)
のような格好でやるのがならわし。おそるおそる、玄そばをだしたら、
意外に好評だった。またいつか挑戦したいと思う。
そば源さんのお店には、主人が揮毫した書が、あちこちに飾ってある。
あまりうまい字ではないが、主人のこころいきが吐露されていて、
味わい深い。「蕎麦よ、おまえはぼくに石臼でひかれ、手でこねられ、
のし棒でのされ、最後に包丁で切られる。ああ、蕎麦よ・・・」
みたいな書がある。まるで、天塩にかけた娘を嫁に出す時に歌う
「長持歌」さながらだ。
♪蝶よ花よと 育てた娘
今日は他人の 手に渡す
故郷恋しと 思うな娘
故郷当座の 仮の宿
アー ヤレヤレ という掛け声が、哀愁があっていい。
どんな人でも毎日、アー ヤレヤレ というようなことが多い
と思う。昔から日本人は、そうやって生きてきたのだ。
今日は「エリカ庵」だ。アーヤレヤレな体を、らくらくに
してくれる日。12時開店。
目白の有名な骨董屋のsさんが、隠れ家のような蕎麦屋を紹介してくれ、
その蕎麦屋の蕎麦にひとめぼれして、そば源さんに繋がった。
酒々井のお店の前には、蕎麦畑があって、白い花がさくころは、仕事が
手につかず、そわそわ、うきうきしながら、時間があれば、眺めているような
、蕎麦バカというか、キチというか、なかなかの奇人だ。
そば源さんは、弟子を含め、玄蕎麦の生粉打ちを得意にしている。
昨日のブログに書いたものだ。二度と打ちたくない、と思っていた。
昨日のダメ中の締めに、それを出した。勉強会の蕎麦は、久保さんの
伊賀の大皿に盛って、普茶料理(煎茶の世界の精進料理で、大きなお皿
に料理を盛りつけ、みんなで平等に命を分け合うようなスタイル。隠元
和尚が黄檗禅を宇治にもってきた時、煎茶と普茶料理も伝えた。いんげん豆
ももちろん隠元さんがもってきた。煎茶は中国の影響を多分にもっている)
のような格好でやるのがならわし。おそるおそる、玄そばをだしたら、
意外に好評だった。またいつか挑戦したいと思う。
そば源さんのお店には、主人が揮毫した書が、あちこちに飾ってある。
あまりうまい字ではないが、主人のこころいきが吐露されていて、
味わい深い。「蕎麦よ、おまえはぼくに石臼でひかれ、手でこねられ、
のし棒でのされ、最後に包丁で切られる。ああ、蕎麦よ・・・」
みたいな書がある。まるで、天塩にかけた娘を嫁に出す時に歌う
「長持歌」さながらだ。
♪蝶よ花よと 育てた娘
今日は他人の 手に渡す
故郷恋しと 思うな娘
故郷当座の 仮の宿
アー ヤレヤレ という掛け声が、哀愁があっていい。
どんな人でも毎日、アー ヤレヤレ というようなことが多い
と思う。昔から日本人は、そうやって生きてきたのだ。
今日は「エリカ庵」だ。アーヤレヤレな体を、らくらくに
してくれる日。12時開店。