水上勉さんの本に、そんなのがある。
長野で畑をやりながら、京都の寺で若いころ老師の
身の回りのことを手伝いをしていた「典座」の修行時代を思い出し、
精進料理の指南をする本であり、道元禅師の「典座教訓」よろしく、土を耕し、
原稿用紙の空白も、耕し、土を喰らい、自然と混然一体となった日々が
書かれていて楽しい。
彼の遺作が「花畑」。
今朝早く起きて、読み終えた。長野の佐久あたりを舞台にした小説。
心臓を患いながら、晴耕雨読の毎日の中で起きる日常が書かれていておもしろい。
天真庵の椅子をつくってくれた般若くんが住むのが長野の木曾村、京都の祇園祭
の宵山と同じ日にお祭りがある。2度ほど参加したことがある。観光ずれしていない、
神秘的なお祭りだ。「なおらい」のように、街のきまった場所でお神酒がふるまわれる。
その役をやる人に外国からきた花嫁の多いことにびっくりした。都会も「婚活」が盛ん
で、最近は田舎のほうをターゲットにするのもはやっているらしい。「花畑」には、今の
時代を先取りするような男と女のことが綴られていておもしろい。
今朝はこの冬一番の冷え込みらしい。てあぶりを傍らにおき暖をとっていても、膝あたり
が寒い。
今日の夜は「おんなかっぽれ」 元気な女子たちが、真冬でも浴衣1枚で、しりははしょり、
てぬぐいを頭に鉢巻きし、あ、かっぽれかっぽれと、踊り狂う日。
そろそろ、お店にでかけ、その準備にかかろうと思っている。ラジオでは、
故郷の「宗像」が舞台になっている。宗像大社が世界遺産になるように、地元が盛り上がって
いるらしい。地方が活性していくことが、この国にとってとても大事なことである。
でもねこも杓子も同じような戦略では辟易するところもある。神域という場所は、けがれた
人間がぼりぼりしながら遊びにいく場所ではないように思う。