長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

くじけないでぱーと2

2010-11-20 07:52:43 | Weblog
西條八十の詩はすきですか?
とあった。
最初に童謡のレコード(ソノシート?)になったのが、
「カナリア」らしい。それから童謡に曲をつけるのが
ならわしになったとか。童謡にしては、少し不思議な詩。


♪唄を忘れた金糸雀(かなりや)は 後ろの山に棄てましょか いえ いえ それはなりませぬ
唄を忘れた金糸雀は 背戸の小藪に埋けましょか いえ いえ それはなりませぬ 唄を忘れ
た金糸雀は 柳の鞭でぶちましょか いえ いえ それはかわいそう ...

八十翁は詩人として、なかなか芽がでなくて、てんぷらやでもやろうか、などと
思っていた時期もあり、そんな心情が吐露されているようでもあり、興味深い
詩だ。孔子さまは、人知らずして、慍(うら)みず・・・といったが、人が知ろうが
知られまいが、わが道を歩く、というのは孤独なことだと思う。
でもこれからの時代は、君子にならずとも、そんな意気込みで生きて
いきたいものだ。わが道というのは、自分だけで歩いていき、極めれば
いい。

天真庵のHPの「文花的なひとりごと」の最新の文の終わりに西條八十翁の墓標
に刻まれた詩を紹介した。なんど読んでも、照れくさくなるが、夫婦がこうありたい、
という指標になる墓標だ。

昨日はモカマタリが美味しい1日だった。いろいろな出会いがあった。
マタリは、「雨」という意味もあるらしい。
「雨の降る日に天真庵でマタリを飲むのが好きです。」
なんていわれると、どんな恋文よりも、ぐっとくる。


くじけないで

2010-11-19 07:50:49 | Weblog
昨日は休みだった。朝一時間くらい軽く走って、朝ごはんを食べ、
お店にいく。夏樹くんから借りている珈琲の本があと少しで読み終わりそうなので、
ほぼぶらじるを飲みながら、読んでいた。
暖房をつけるには、めんどうだし、本はもう少しかかりそうなので、夏樹くんのお店
で、珈琲を飲もう、ときめて、キラキラ橘商店街を目指して、立ち読みならぬ歩き
読みをしていたら、気になるフレーズにビットがたった。

「モカマタリは、石臼で脱穀している」という。「!」ときて、踵をかえして
お店にもどり、作務衣の上を脱いで、モカマタリを焙煎する。パチパチと
豆がはぜるころには、独特の芳香な煙につつまれ、二回目がハゼて、
五感をとぎすませて、火をとめる。この瞬間は、男でいうと、越すに越せない
田原坂みたいに、おしりの穴をキュッとしめて、いく瞬間をがまんしたり、
あきらめたりする刹那な時だ。焼きあがったマタリを竹の笊に入れ、表に
でて、ギンピを捨てる。そして、うちわで、ばたばたと冷やす。

そのマタリを、38g石臼で挽いて(夏樹くんがはかったので後で知る。ぼくは計ったことがない)、夏樹くんのお店「珈琲の樹」にもっていった。
持ち込み料1000円を払って(夏樹くんは、いらないと頑固なのだが)、10分後に
久保さんの白い珈琲カップに、琥珀色したモカマタリがでてきた。
石臼で脱穀したマタリを、丁寧に焙煎して、石臼で挽いて抽出する。
筆舌が及ばないくらい美味い。あえてたとえるとしたら、無ろ過の山廃の生酒を
ぬる燗にして、志野の平盃でそうろうと飲むときのあの感覚か(ますますわからないか)。そんな感じだ。

それから、いつものように表参道へ茶のお稽古。駅前の本屋で、『くじけないで』を買う。98歳の柴田トヨさんの詩集。読んでいたら、昨日のりんちゃんのひいじいちゃん、西條八十のことが詩になっていた。

お医者さんが、おばあちゃん3たす3はなんですか?とか質問してくるけど、
私は「西條八十の詩はすきですか?」とか「小泉内閣をどう思いますか?」
とかを聞いてほしいわ。
みたいな詩だった。

あまりにいい詩がたくさん書いてあるので、知らない間に表参道を通りすぎて
「渋谷」についた。「これも縁」とばかりに、宮益坂を上って、青山学院の
方に向かい、炎色野にいった。今日(金)まで、渡辺愛子さんの陶展をやっている。
はやいもので、彼女が初めて窯を焚いて10年になる。今回は「炎芸術」で、
絶賛されたこともあって、大壺だとか蹲(うずくまる)などが、ほぼみんな
赤いポチ(売約済み)だ。今日までだけど、この陶展は、見た人は人生観が
変るかも。

持参の赤ワインをふたりで、ほぼ飲みほし、走って茶のお稽古場へいく。
一応、ぼくもお茶の先生なので、「これが師走か」などと、ひとりごとを
いいながら。そして、りんちゃんと、煎茶のお稽古。ひいじいちゃんの
のっている詩集を、プレゼントした。相変わらず、バタバタとした休日。

今日は「スケッチの会」
さて、晩秋の本日、何をテーマに描くのだろう?



りん

2010-11-18 08:54:08 | Weblog
うちには、ふたりの音楽家の「りんちゃん」がいる。
ひとりは、ピアニストの赤松林太郎くん。来月の
21日にいけめんならぬ、「つけめん」な男子3人で
「クリスマスコンサート」をやってくれる。
昨日は、もうひとりの「三味線弾きのりん」がやってきた。

今日は定休日。この日は、表参道にお茶のお稽古にいく日。
昨年、正教授になり「南九」という雅名を頂戴した。
ぼくのお茶の師匠が、奥村先生で、「三味線弾きのりん」
は、先生の長女だ。東京音大を卒業して、三味線やピアノ、
ヴァイオリンを演奏したり、教えたりしている。
ひいじいちゃんは、あの西條八十翁だ。青い山脈、東京音頭、
同期の桜、王将など、歌謡曲から演歌まで、たくさんの歌を
作詞した人だ。りんちゃんの音楽の中には、間違いなく八十じー
の魂が継承されている。

昨日は「そばっこクレープ」(ガレット)をうまそうに食べていた。
(蕎麦を手繰った後に食べた。「食べすぎ」と注意したが、食欲の秋
なんだと明るく笑っていた。)
実は、ガレットは、彼女がまだ音大生だったころ、一度表参道に
あるクレープ屋にいき、いっしょに「ガレット」なる不思議な食べ物を
食べた時に、「!」ときたものだ。シードルといっしょに食べると
不思議な感動があった。ただ、中に入っている具や、蕎麦そのものは
?な感じだった。
そこで、石臼で挽いた10割蕎麦粉をきじにして、上等のチーズ
とのりをはさんで、かえしとゆず胡椒で食べる、というスタイルにした。
開店当初は、9割くらいの人が「ガレット?」という感じだったけど、
今では、かなりの人が、体験して、普通にガレットという。
ビールにも、日本酒にもワインにも、もちろん珈琲にもあう。

書の会

2010-11-17 08:11:28 | Weblog
昨日は書の会だった。
めっきり寒くなったので、手あぶりに炭をおこして
入れていたけど、間にあわないので、灯油をはじめて
頼んだ。半年ぶりに電話したけど、「はい、○○商店です」
という声が、お辞儀している様子まで伝わってくるくらい
丁寧だ。商売をやる人は、こうでなくては・・・と、反省
する。

書の会の貞本さんとは、よく江戸一で飲んだ。いっしょに飲んだ
。白鷹の熱燗がうまいお店で、寒い夜に飲むと、樽酒どくとくの
香りが五臓六腑にしみこんでいく、という感じだ。
昨日は、佐久の「花」の山廃をぬる燗にして飲んだ。

お昼に、シャンソン歌手の女性が蕎麦を食べにきた。
印刷されたブログを読んでいたら、大塚から草加まで歩いて
いった、と書いてあった。アスリートみたいなアーティストだ。
「大塚」と聞けば、方向音痴のぼくでも、目をつむって、けんけん
しても、どこにでもいけるくらいわかる。昔世話になった
K不動産の話をしたら、彼女がやっているお店は、その隣で、
しかもK不動産の紹介だという話になった。日田の前津江村出身の
Kさんに久しぶりに「こげんなことがあったバイ」という話を
大分弁と北九州弁で会話した。75歳になるKさんは、生まれた村
の山の木を切って、昨年家をたてたらしい。前津江村の星は、
この世のものとは思えないほど神秘的なものだ。

寅さんみたいなイワジー

2010-11-16 08:12:10 | Weblog
昨日はタイムドメインの日。
「yoshii9」という、昔の便所にあった煙突?
みたいな長いスピーカを、「イワジー」が、月に
1度かついでやってくる。彼は北区の王子というところに
住んでいるので、池袋にいたときは、雨だと車で送り迎えなど
できたが、今はそれができない。昨日は雨だったので、スピーカー
の入った箱をブルーシートでカバーし、キャリングカーにのせて
やってくる。「ホームレスさんに間違えられなかった?」と聞くと、
「大丈夫でした」と笑われた。
彼は何が本業なのかわからないが、マリオネットを紹介してくれたり、
地球交響曲(ガイアシンフォニー)なんかの上映会をやったり、
呼吸法の伝道者みたいに、全国を歩きまわったりしている。
ある女性が「軟弱な寅さん」と評したことを、本人もまわりも
えらく気にいっている。かっぽれもやっているので、将来は、
これの伝道にも尽力されるのではなかろうか。還暦になったけど、
まだまだ若々しいイワジーだ。

今日は「書をしよう会」だ。
大塚でコンピュータの会社を経営している貞本さんが
颯爽とやってくる日。文人墨客、現代の奇人列伝にのりそうな
人たちが、元気にやってきて、書を書き、蕎麦を手繰りながら、
談論風発する日だ。「読み書きそろばん」とはよくいったものだ。
あまり肩肘張ったことは、好きではないが、ときどき、論語などの
古典を読んだり、書を書いたり、飾ったりするようなことが、
日常の生活のリズムに自然に生かされるような生活をしたいと思う。

今日は少し寒くなったので、蕎麦打ちの水が、蕎麦粉によく
入っていった。焙煎の時間や焼き方も微妙にかわってくる。
「食」という命を紡いでいく材料もまた自然の一部で、それを
料理したり、食べたりする「人」もまた自然の一部だ。
そんなあたりまえのことに、心をおいてみると、いろいろな
ものに感謝できるようになる。



さー こーた さーこーた

2010-11-15 07:37:17 | Weblog
♪さー 買(こ)ーた さー 買うた~


「ばななの叩き売り」の一節。小倉生まれのぼくに
とっては、子守唄みたいな節だ。
北九州では、「パンチパーマ」「焼きうどん」「ばななの叩き売り」
が発祥といわれている。なんとなく、そんな土地だ。「競輪」も
そうかもしれない。バクチとかヤクザ、みたいな荒くれたイメージが
強い街だ。昔は「鉄の街」として栄えた。

あまり関係ないけど、「こうた」が遊びにきた。航太という。
船の好きな彼の親父がつけた名前だ。ちょうど、ぼくが厄年に
あたる24歳の時、骨肉腫になって生死をさまよっている時が臨月で、
彼の母、つまりぼくの妹にはそのことを内緒にしていて、生まれた
嫡男。30歳になった。

昨日は航太と、弟の遊太が、遊びにきた。遊太はぼくと同じ
立命館を卒業し、公務員になった。ふたりが、天真庵で
昼そばを楽しんでいった。一丁前に、蕎麦前を所望し、
「久保さんの志野」あたりで、鳳凰美田や小左衛門あたりを
呑む姿がすっかり大人になった。おじちゃんしこみ?の蕎麦の
手繰り方も様になってきた。遊太くんは近い将来に、「伝授の会」
の門をくぐるのが目標らしい。体格的には立派なそば打ちになれそうな
感じだ。いろいろ楽しみだ。ちょうど遊太くんの隣に、薩摩琵琶の
奏者の「ももちゃん」が座っていた。般若くんと、ヨッシーが座って
「ビビットコンロ」みたいになった席だ。いろいろ楽しみなこと多し。

今日は「タイムドメインの日」
「タイムドメイン」で検索すると、「yoshii9」のことが詳しく
書いてあるHPにいきつく。けど、実際にこのオーディオで
音楽を聴いてみると、違いがわかる。今日は夜は雨になりそうだけど、
この会は、池袋時代から月に一度開催している。

明日は「書をしよう会」だ。
文人墨客たちがやってきて、のびのびと好きな文字を好きなだけ
書いて、そのあとは、酒を酌み交わしながら談論風発する日だ。
「書」というのは、書く人の「魂」が、すごくわかりやすくでる。
なんでも便利で、「ハウツー」は、すぐに手に入る時代になった
けど、「ハウツー」でできることは、うすっぺらくて、「魂(愛情)」
がはいっていない。昔「ハウツー SEX」という本がベストセラー
になったけど、ハウツーでするより、やっぱ魂だと思う。
料理も音楽も芸術全般にそうだと思う。



♪人の恋路の邪魔するものは・・・

2010-11-14 07:51:38 | Weblog
ニューヨークで知り合った陶芸家で彩花さん、という
パワフルな女性がいる。今は帰国して、筑波学園都市で
ギャラリーをやっている。その縁で、「日米陶芸コンテスト」
のお手伝いをさせてもらっている。ニューヨークでは、彼女の
ことを「ツチコネール」と、みんなが呼んでいた。
長いつきあいになり、なんども飲みにいったことがあるけど、
自分がカラオケがきらいなので、彼女の歌は聴いたことがないが、
1度聴きたいと思っている。彼女が渡米して、陶芸の勉強中に、
ニューヨークで「カラオケ大会」があったらしい。その大会で
着物を着て「車屋さん」を歌って優勝した、というのが伝説に
なっていて、ぜひいちどその歌をききたいと思いながら10年が過ぎた。

昨日はnobieと志宏くんが、ライブをやってくれた。コーヒーを
カウンターで飲みながら、ふたりでイヤホンでなんやら、「これはジャズやな」
なんていいながら、打ち合わせをしていた。それが、本番で聴けた。
「ジャズ版 車屋さん」だ。♪人の恋路を邪魔するものは、窓の月さへ
憎らしい・・・・
次回は、これを浴衣を着てやるらしい。彼らでしかできない「じゃず」
の世界が垣間見れるような素敵なライブだった。

昨日初めて足の不自由な青年がお母さんといっしょにライブにきた。
話を聴いてみたら、12年前に十間橋通りでバイクにのっていて、
車と衝突して、身障者になった、ということだった。3ヶ月も
意識がなく、能面みたいになった青年を見て、家族はだれも
あきらめかけていたある日、BOOMの曲を聴いていたとき、
涙が流れ、能面みたいな顔に表情がもどったという話を元気に
された。ひとことが、人を生かしたり、殺したり
するように、音楽が人を生かしたりするんだな、と痛感した。

帰りにおぼつかない足をとめて、nobieたちに笑顔でなげきっす
をし、彼女たちも、なげきっすのキャッチボール。
魂がふれあっているような、すがすがしい光景だった。

めんたいこジャズクラシック

2010-11-13 07:51:39 | Weblog
昨日の朝、なにげなくFMを聞いていたら、セシル・モンロー
さんのJAZZが流れていた。彼は、同じく文花一丁目に住む
ジャズドラマー。時々、天真庵のカウンターに座って、「珈琲韻」(カフェイン)
を所望する。少し酩酊して調子がのってくると、店で流れている音楽にあわせて、
体をゆらゆらさせたり、手でカウンターをたたいたり、骨の髄までジャズマンといった
感じの人だ。時々、うちでジャズをやってくれる人たちとの縁も深く、こないだも
ニューヨークから帰ってきて、kazuko babaといっしょに演奏してくれたギタリスト井上智とも、たばこを吸うオープンエアーな空間(土日はもなか屋になるところ)で、
英語で会話していた。セシルさんが、吉祥寺のジャズハウス「サムタイム」で
よくいっしょにやるピアニスト・大石学さんは、やまねさんと同じ高校の出身。
そこの吹奏楽部の先生が、ふたりを育てた。そして、時々ジャズを歌ってくれる
国定雅子さんもその先生を恩師と呼ぶ。このあたりは、食物連鎖以上に無駄の
ない縁で繋がっている。やまねさんのおじいちゃんが、からしめんたいこを発明した。
いってみれば、「めんたいこつながり」

今月は「めんたいこつながり」が濃い。お酒がますますうまくなる。
先週の水曜日にバッハの無伴奏チェロ組曲をやってくれた竹本聖子さん
が、ぼくと同じ小倉出身。そして、今日ジャズをやってくれるnobieも
福岡出身。最初は蕎麦を食べにふらっときた。確かかわいらしいデニムの
オーバーオールを着ていて、「それ、かわいいね」といったら、きょっとん
とした顔で、「いつかここでやらしてください」といった。「何やってんの?」
と聞くと、「歌手です。」という。「出身は?」と聞くと「福岡です」
という。「そげね。じゃやってみんしゃい」ということになり、今日は
三回目のコンサート。ピアノの志宏くんは、30日に山根さんといっしょに
ピアノをやってくれる安岡美絵さんといっしょに演奏したこともあるらしい。
ジャズとかクラシックとかいう枠組みを超えて、融通無碍に縁が広がって
いる、感じ。志宏くんは、ピアノだけでなく、アコーディオンの達人でもある。
nobieも志宏くんも、無限の可能性をひめたアーティストだ。

今日の不思議なライブにあわせて、昨日新しいコーヒー豆を注文した。
ライブのしめくくりに飲む「ほぼぶらじる」が、楽しみでもある。
ふたりの音楽には、少し深入りのブラジルがよく似合う。



休み明けの朝 ふたりは・・・

2010-11-12 07:36:25 | Weblog
こんな歌があった。♪別れの朝 ふたりは さめた紅茶 飲み干し・・

紅茶は好きでないので、家にも、お店のメニューにもないけど・・
金曜日は、休みあけになるし、週末になるので、いろいろと
仕込みがたいへんだ。
朝はやくお店にいこうとしたら、近所の柴犬、というより秋田犬
みたいな大きな老犬が、散歩へでようと、玄関の上がり口を、ゼーゼー
いいながら、おりようと、おぼつかぬ足を一生懸命つかってがんばっていた。
目も白内障になってるし、足もよぼよぼしているけど、散歩が大好きだったので、
ご主人もなんとか、外へだそうと躍起になっている。
おもわず、「がんばって」と声をかけた。

谷川俊太郎の詩を思い出した。犬好きなひとにはたまらない詩だ。

犬に

人のより
おまえの瞳を僕は好きだ

ほんとうにきれいな無邪気さが
僕の気持ちを甘えさせる

無限の純粋が
僕にとっては神に等しい

(犬の瞳に音楽のあふれ
泉の如く音楽のあふれ)

人のより
犬の瞳を僕は好きだ

かなしみの時に
犬よ
おまえの瞳に
僕はなきたい

ピアノとチェロの調べ

2010-11-11 09:53:03 | Weblog
第二水曜日は、「そば会・伝授の会」。
未来の蕎麦打ち名人さんたちが、元気に蕎麦を打ちにきた。
この会は、蕎麦のほかに、珈琲や煎茶のことをいっしょに学んだり、
蕎麦打ちの後に、「小さな音楽会」を共に楽しむ、というのも勉強の
一部になっている。

昨日は、野代奈緒さんのピアノと、竹本聖子さんのチェロによるはじめて
の「ピアノとチェロの調べ」。
蕎麦の道具をかたずけるやいなや、リハーサルが始まる。
蕎麦会の準備をしながら、このリハーサルを聴くことができる幸せ感は、
何にたとえたらいいのかわからないほど、いい。

シューマンの「幻想小曲集」から始まる。ピアノとクラリネットの
組合せでは、何度も聴いたことがある曲が、野武士みたいな
聖子さんのチェロの音で聴くと、秋の深山幽谷の世界へ誘われるような感じだ。
同じくシューマンの「ピアノ・ソナタ」。天真庵では3回目の
野代さんのピアノの感じが、より自然体になってきた感じ。
曲の説明に、「どんよりと重たい感じの曲ですが、ところどころに
明るさ(希望)みたいなものが感じられると思います」という解説
どおりの曲だった。「今」とよく似ている。閉塞感がただよい、
感じたままを語れば、絶望的なことが多いが、深い切望を肝の底で
受け入れてしまえば、キラッと光る希望の「き」、みたいなものが見える。

サンサーンスの「動物の謝肉祭より白鳥」。これは、真夏にN響の
宮坂くんが、全身汗びっしょりにして、演奏してくれた。彼は今、
ドイツに留学中。アパートも決まり、元気に大好きなビールを
夜な夜な呑んでいる姿が目に浮かぶ。

バッハの「無伴奏チェロ組曲」。天真庵のホワイトボードの
ライブ情報のところには、これの音符が手書きでかかれている。
池袋時代から、雨の日は、カザルスの「無伴奏チェロ組曲」を
聴きながら、珈琲を飲む、のがならわしだ。昨日、聖子さんが
解説してくれたけど、スペインで生まれたカザルスは、13歳の
時にチェロを習い始め、街の小さな楽器屋にいった時、くちゃくちゃ
になった古い楽譜を見つけ、思わずだきしめ、それを買って家にもって
帰り、毎日毎日練習をして、10年後に演奏会で発表する。そして
その後、スペインを亡命するが、生涯この曲を演奏し続けた。

そのカザルスの弟子でカサドがつくった、「わが最も親愛するカザルス先生へおくる」
という副題のついた「愛の言葉」で、素晴らしい秋の演奏会が、終わった。

今日は、お店はおやすみ。
「古い楽譜」は見つからないだろうけど、大塚の骨董屋が
「清水六兵衛の煎茶椀が入った」と電話をもらったので、
少し覚悟をして、大塚にいってくる。秋に財布の中が空っぽ
になるのは、寂しさが身にしみるけど・・・

明日から、炎色野で、渡辺愛子さんの個展がある。
この写真は、彼女が陶芸を始めたころにつくった「蹲」(うずくまる)。
「人がうずくまる姿に似ている」というところから、信楽の壺の
ことを「うずくまる」という。土の風合いが、自然で、秋に紅葉
なんかを投げ入れると、部屋の中が秋になる。