長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

今年はいろいろなものが「壊れる年」になるそうだ。

2017-01-08 08:28:08 | Weblog

そんなことわざわざいわなくてもわかる、くらい、世の中がいきづまってきてきたような感じがする。

国とか会社とか地域とか家族とか、いろいろな団体とか組織とか仕組みとかが、ぼろぼろ壊れていく姿を

いっぱい見られる年になりそうだ。こんな混沌とする時代は、いつも新しいことが生まれてくる時代でもある。

とにもかくにも、「自分の健康」は大事にしないといけませんね。

昨日は「満つまめの会」の事始め。4日に目の手術をしたマーくんが元気にパワーアップしてやってきた。

昨日は初心者が多かったけど、無駄のない縁で繋がっている人がこの会に参加している感じを強く感じた。

いろいろな出会いがあって、マーくんも感きわまって、涙を流しながら家に帰っていった。こちらも涙腺がゆるくなり、

ぬる燗が五臓六腑やこころに沁みいった。

一昨日からかみさんの携帯メールが四六時中鳴りっぱなしだ。いよいよ「菌活の会」が始まる。10年近く

やっている「味噌つくりの会」だ。今年は北海道の大豆が不作なので、昨年と同様、埼玉の「借金なし大豆」を

中心にやっていく予定で、水曜日に友達の農家まで車で調達にいってくる。昨年は85人。今年は100人を越え

そうだけど、するとスケジュールが大変なので、少しトークダウンしている。

毎日具だくさんの味噌汁を飲む、というのは「飲む点滴」になるらしい。字で書くとすぐにわかるけど「飲むテンテキ」

といわれると、「飲む天敵」を創造してしまう。テレビなんかで、「○○に効く××」とかへんな健康食品の宣伝がはびこって

いるけど、自分の命の元は、口から入れる毎日のたべもんがつくってくれるのだから、そこをなんとか健康な土台に

なるもんを食べることが大事ではなかろうか?あそこに効く、といっても、ビタミンやミネラルのバランスがよく体全体が代謝がよく

なって、あそこもかしこも元気になる、そうゆうこと。

今日は日曜日なので16時閉店。それから「日曜蕎麦打ち塾」&「なんとなく蕎麦を食う会」

大一週はベテランがくるので、「なんとなく鮨を喰う会」。もちろん酢飯も自分らで作り、魚も自分たちでさばく。

そのうち、猪や鹿をさばくようなことにもなるかもなんばん。

明日の朝は「卵かけごはん」   暮らしの実験室やさと農場から元気な野菜と卵が届いた。年末のお歳暮も

「暮らし・・・の野菜たち」にした。それを食べた人から「おいしい」といわれるのがなによりなりよりだ。

 


東京湾で渡り蟹がとれた。007と関連か?

2017-01-07 08:51:37 | Weblog

昨日のブログの続きみたいやけど、天真庵でガレットとか、普茶料理の時

に使うのりは、蒲田の「田庄」のものを使っている。界隈で海苔が採れていたなごりだ。

今はほとんどが有明海のもになってしまった。かの地も例のギロチンのおかげで、魚や貝の生態系が

変わってしまっている。東京湾では昭和のはじめくらいまで、渡り蟹もいっぱいとれていた。嘘みたいだけど

ほんとうの話。大森新地には、蟹を食わせる店が大繁盛した。「大森 福久良」で検索すると、今は昔の

写真がでてくるよ。「007 東京」というのが007のヘンダーソン邸が、福久良では

ないか、という記事でおもしろかった。蟹を食わせた料亭で最後の一件だった。

さて、今日は「満つまめの会」。昨年から満席だけど、正月ぼけの人は手帳を見て確かめてくだされ。

明日は日曜日なので16時に閉店。それから「新春そば打ち倶楽部」&「なんとなく鮨を喰う会」

天草から新鮮な魚が飛んでくるので、各自出刃庖丁を持参してください!今年は魚のさばきかたからマスターしようね。

月曜日は旗日だけど、朝は「卵かけごはん」

火曜日は「英語で蕎麦会」

水曜日は「借金なし」をとりにいってきます。毎年二月は「菌活の会」という味噌作りがあります。昨年は85人

が参加。そこで使う大豆の名前が「借金なし」。水曜日は、それをとりに深谷まで車で買いだし。

 

 


今日から、ことはじめ

2017-01-06 08:31:41 | Weblog

といっても、かえしを2種類、珈琲の注文は正月もあるので、3日あたりから、お店

で仕込みをしている。

今朝の新聞に大間のまぐろが7000万でせりおとさた記事。毎年恒例だけど、なんとなく色あせて

見えた。そもそも、築地がたそがれている。もともと魚市場は日本橋にあって隅田川などを使って

魚を運んだ。大正12年の関東大震災で日本橋が壊滅的になったので、一瞬にして築地に市場を移した。

築地から豊洲への移転がごたごたしているけど、そろそろまた大きな地震ができて、そうなると埋め立て地の豊洲

ではあかんので、どこかほかの場所になったりするのだろうか?なんてことを考えた。

今朝のわがやのちゃぶ台には、能登から送られてきた「寒ブリ」のカマの塩焼き。

ぶりっこではないけど、ぶりの子で、似て非なるぶりっこが「ハマチ」。もともと海で泳いでいるブリの子

は「モジャコ」という。それをつかまえて、せまい網の中で薬まみれの餌をあたへ、このくらいだと損だ徳

だと計算され、築地にはこばれ、それが鮨屋とかスーパーにいき、食卓にもあがったりする。

養殖地の海は、餌ののこりとハマチの糞でヘドロになっている。なんでそんなことが知らされてないんだろうか?

成長する間に奇形になるのも多いけど、切り身や骨抜きにしてしまうと、どこふく風になってしまう。

関東ではぶりに近いこを、イナダといっていた。愛媛を中心に養殖のハマチがはばをきかせてきたので、

イナダというのが死言葉になりつつある。

江戸前、というのも死語に近い。もともと東京湾で、まぐろもとれたし、ハマグリもあなごもいっぱいとれた。

品川や大森あたりには、海苔の漁も盛んだった。そこをコンクリートで埋め、工場をたて、海の生態系がすっかり

かわってしまった。でも、「美しい日本の幻想」よろしく「江戸前」なんてことをえらそうに語る輩がまだ生きている不思議。

こんなに海に囲まれている国に住んでいて、魚がアブナイ、というのは、滅びに近いものを感じる。

昨日まーくんから電話があり、「目の手術を無事おえました。今年もよろしく」と電話があった。

明日はそのまーくんの「満つまめの会」のことはじめ。今年もいろいろなことがあるやろうけど、一に健康、二に健康、

三四がなくて、五に仕事。


新年会は美しいママがいるとこで?

2017-01-05 09:33:38 | Weblog

海賊・・・の映画を見ている時にポケットの中がブルッと震えた。

「今日グランドオープンになりました」とのショートメール。二年もの間「卒啄珈琲塾」に通ってこられたお弟子さまから。

映画が終わった足で、そこへ向かう。「いちかわママ」。お店の名前は「珈琲飄々」。若い人たちは「ヒューヒュー」

と呼ぶ人もいるらしいが、「ひょうひょう」です。そこの主人は豹柄のパンツをはいている。ウソ!

京成の「市川真間」駅か、JRの「市川」でおりる。最初に聞いた時は、

きれいなママさんがいるスナックをイメージした。

錦糸町駅からJRの快速にのって二駅で市川につく。

北口から「真間」方面を目指すと、古い石の標榜がたっていて「日蓮宗真間弘法寺」

と書いてある。日蓮さんと弘法さんが同居したようなへんな寺だが、「こうぼうじ」ではなく「ぐほうじ」という。

そのへ向かう道が「大門通り」という。お寺の凛然とした空気が流れるいい小路だ。駅から徒歩10分ほどで、

右手に、小料理屋風の和風の素敵な白いのれんがでたお店があり、小さな看板に「珈琲飄々」と書いてある。

カウンターを中心にしたお店で、BGMは、グレングールドのピアノが流れていた。珈琲を飲むのに、邪魔にならぬ

いい選曲だ。「ほぼぶらじるください」といってはいけない。「ブレンドください」というと、主人がていねいにいれてくれる。

カウンターの後ろには本棚があり、お客さまが自由に本を片手に珈琲時間を過ごす。

カウンターがいっぱいだったので、こあがりのちゃぶ台の席に座り、本棚から「ちゃぶだい」なる雑誌を見つけ、

ブレンドを飲む。こんな優雅な時間を過ごせる「贅」こそ至福の時間だ。飲んだ後は、弘法寺にお参りするのもおすすめ。

2月いっぱいまでは無休で営業するらしい。朝は10時半、閉店が19時。わざわざいく価値のあるお店だ。

カウンターの上には久保さんの焼き締めの「珈琲ドリポット」が鎮座してあり、いい空気感を醸し出している。

 

 

 


海賊と呼ばれた男

2017-01-04 09:35:36 | Weblog

小学校時代から親友の友達からの賀状に「海賊と呼ばれた男に感動した」とあった。

さっそく、錦糸町まで散歩がてら見にゆく。映画の中では「岡田商店」になっているが、

出光興産の創始者・出光佐三翁の物語だ。福岡県宗像出身で、宗像大社を生涯大事に崇拝した。

海賊に一度だけあったことがある。昭和49年の秋。ぼくの母校・宗像高校は修学旅行の時に、代表5名が

皇居の横の出光美術館のある本社の社長室ではなく「店主室」というところにいって、「今年も

宗像高校3年一同が修学旅行で東京にやってきました」と挨拶にいった。

すると海賊翁が「ごくろうさんやった。」といって、栄太郎飴をお土産にいただく、のがならわしだった。

その友達が営業のころ担当したのが出光で、取締役にいただいたという「自噴の水」(海賊の語録)という本を宗像の実家の本棚に

大事にしまっていて、帰省したら必ず読むことにしている。海賊の大事にしていたことは「社員は家族である」

ということと、その家族ひとりひとりの「人間尊重」。今どきの映画に、宗像大社とか、大家族主義とか人間尊重

とかを入れにくいけど、海賊の哲学の根っこにある大切なものは、そこにある。映画で店主室の壁に「仙崖和尚」

の絵(映画のは、にせもんやけど)が飾ってあった。海賊がもっとも好きだった絵は、「柳の絵」で

「気にいらぬ風もあろうに柳かな」というのがある。最後に「堪忍」と書いてある。

映画の中でも何度も逆風にさらされた時に、柳のように耐えてがんばる生きざまが表現されていた。

隣の部屋で上映されていた「君の名は」のほうが、人気があるようだけど、一度見る価値はあると思う。

そして、いつか出光美術館の「仙崖展」にいったり、九州にいく時なんかに宗像大社にお参りすると、

「日本人にかえれ」と死ぬまでのたまっていた海賊の「哲」にふれることができるのではなかろうかしらん。堪忍。


寒ブリが飛んできた。

2017-01-01 10:10:38 | Weblog

大宰府に菅原道真が左遷されたとき、京都の梅が追いかけてきた、という伝説がある。「飛梅伝説」

という。♪東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春を忘るな  を高校時代に習った?

大宰府の銘菓「梅ケ枝餅」は、そこからうまれた。

昨年能登に移住したおそばのお弟子さんたちが、6月に梅をおくってきた。潮風で育てられた梅は、想定外の美味さ

で梅干しや、梅シロップができ、今年は「梅林ガールズ」が結成されることになった。平成の「飛梅伝説」か?

昨日は、彼らから「寒ブリ」が届いた。

28日の不思議な忘年会の後、29日、30日、31日は、風呂も入れず、めしも食えず、というくらい忙しい3日になった。

29日は、「元気なおんなそばもん」たちが、4人で蕎麦打ち初体験。「やめとき」というこっちの助言を無視して「

やらせてください」頼まれる情熱大陸ばりの力におされ、寒稽古よろしく、のし棒を竹刀のようにもち、鉢巻きをして

実行。30日は、ベテランはベテラン組が多かったので、体育会系ではなく文化的な蕎麦打ちだったけど、「年越しそばの発送日」

だったので、早朝からばんばん自分が蕎麦を打った。

昨日は、「年越し蕎麦の持ち帰りデー」なので、やはり早朝からばんばん、びん棒を振りまわし、9時からは6人の「そばもん」

たちの指導。最後はおっさの蕎麦打ち。締めくくりにぴったりな感じのいい蕎麦が打てた。

それから、「ぶりの解体ショー」。(でもあらかたさばいてあった)

毎年暮れはそんな具合な毎日。そんなことを知ってくてている常連さんから、「おもち」とか「あんこ」とか「お酒」の差し入れ

が届く。ほんとうにありがたいことや。風邪ぎみだったのを心配してお弟子さまが、自作の「甘酒」の差し入れもあった。ゆずも入っていて、飲むと

すっかり咳がとまった。年をとると、お弟子さまたちが子や孫のようにあいらしくなる。そういえば、小学校5年になる孫のようなかいとくん

がそば打ちにきたのも猿年の記念すべきことやった。

知らない間に、かずのこと黒豆もカウンターにのってある。さっそく塩抜きをして、蕎麦汁に、

黒豆はストーブの上で2日煮た。

そば打ちが終わり、持ち帰りのそばが終了し、寒ブリで寒梅を飲む。寒梅も毎年暮れにお煎茶の先輩が

くれるボーナスみたいな酒。前日におくれてきた久保さんの志野の盃で飲む。筒向こうを小さくしたようなものと、

煎茶茶碗にも使えそうなふたつがきたので、飲み比べる。確かに、煎茶茶碗型で飲むと、鼻の下に酒があるので香りたつ

感じがあるし、かんあがり、というか、味にひろがりがあるような気がした。でも、筒型は、凛とした空気があり、「もういっぱい」

が永遠に続くような気持ちになる。優劣つけがたく、4合近く飲んでいたら、かみさんが「ボクシングが見れなくなるよ」と鶴の一声。

残りの入った一升瓶をかかえて自宅に戻る。大みそかは「ボクシングデー」でもある。井岡は安心して見てられたけど、内山は

相手がうまいというか、あれはなんどやってもあかんかもなんばん。

試合が終わると同時にこちらもノックアウトされた選手のように布団の上に大の字になって朝がきたら、今年だった。

すぐに店にいき、初煎会よろしく、珈琲を入れ、卵焼きを4つつくる。みっつは、今晩の「鮨会」のため。ゆずをはじめ、めいっこ

おいっこと毎年正月は「鮨をにぎる会」がならわしになった。のこりひとつを、輪島塗の三段重に入れる。

一段目が、黒豆とかずのこ、その上がぶりの塩焼き、そしていちばん上が卵焼き。わがやのささやかな「おせち」。

それと炭火で焼く「おもち」。十間橋通りの「ながしま」のおもちは、日本一やデー。神棚にもおもち。上にのっている飾りみかん(柑橘)

も昨日そばのお弟子様が差し入れてくれたもんだ。いただきもんだらけの一年。

天変地異も多いし、混沌とした時代を迎えているけど、息をしている間は生きているわけで、せっかく生かされて

いるのだったら、悔いなく、好きなことやったほうがいいし、それを仕事にできたらもっといいし、それ以上に

「やらねばならぬこと」が見つかったら、もっといいかもね。大変な時代やけど、だからこそ、おもしろい。

一寸先は光。感謝。