ガリレオが口径30ミリの自作望遠鏡で初めて見た土星は、自慢の輪をちょうど今のように地球に向けていた。解像力の無い望遠鏡で見えたのは、土星本体と、その両側に寄り添うような二つの玉。ガリレオにはその姿が理解できす、玉を「耳」と表現した。それから400年。探査機の活躍などでその耳は氷の粒の円盤であることが分かり、しかも輪の中のいくつもの隙間やスポークと呼ばれる模様も明らかになった。
とは言うものの竹取庵から撮影する限り、惑星の見え方はガリレオの時代とそれほど変わっていないように思える。僕が今使っているのは口径8センチの屈折望遠鏡。確かに撮影された輪が耳には見えないが、探査機カッシーニが捉えた画像の様な鮮明さには程遠い。口径45センチのかぐや姫を使って肉眼で見れば、輪の隙間もいくつも見えるし本体の模様ももう少しくっきりするが、今のかぐや姫で惑星を撮影することは叶わない。撮影可能なのは8センチ屈折だけ。靄の隙間から覗いた姿を11枚重ね合わせて頑張ってみたが、これが限度かな。
土星の撮影の前に望遠鏡を沈みゆく木星に向けてみた。高度が低いうえに靄が厚い。縞を写し取るのが精いっぱいだった。こちらもこれが限度。
二つの巨大惑星を不思議と言うならば、僕らの地球も外から見るとずいぶん不思議に見えるはずだ。刻々と変わる白い模様。惑星表面にうごめく無数の生物。さらに近くを回る分不相応の巨大な衛星。太陽系を旅するなら、この地球ほど不思議を抱えた惑星はほかに無いかも知れない。