[satochiba:0868] メーリング2005年1月27日 20:27掲載
千葉県の印旛沼での、自然再生、水質浄化とは、広域には印旛沼の自然再生、狭義には水質改善にあると理解しています。
基本的にはお金をかけないで、生き物に生き物を関連させる場を提供し、自然任せで自然は再生させるべきだと信じています。
従って時間は、印旛沼をダム化し始めて現在までの時間、とほぼ同じ時間を要すると考えるべきではないでしょうか。
生態系再生のための実験(案)等は、みためしの方法で、いろいろと試してみる、結果を観察する、その上で次のステップを皆で考えながら進めていく。
この考え方に大賛成です。
原則として、自然再生にはあまり公共的な工事の概念は考えない方が良く、ボランティアやNPO、地権者等と、楽しみながら、どうした良いかをお互いに知恵を出し合って議論しながら決していく方法が良いと思います。
身近なところで取り込みながら、現場で生じる諸問題を、なるべく農業や河川、土木の現場の多くの方々に共有して頂き、確認を重ねていく方法が大切です。
論点整理ではっきりしたことは、フラスコの中の実験成功で良しとするような化学での実証方法ではなく、マズ取り組んで"みためし"でやってみて、駄目なら別方法を取りあげる様な方法でいくことが、やはり大事です。
逆に言えば、自然再生、水質浄化に関わる問題点は、緻密な設計図を描いて、その仕様書通りに物を作れば良しという方法ではない、ともいえます。
それよりも、実証的に現場に入って、いろいろと農家の方々など業務として手伝いながら、一緒に考え、夜は熱燗を前にして、ああだこうだと語り明かしながら、
試行錯誤の世界を覚悟でぶつかっていくことが肝心なのでしょう。学問の形態も当然変わらざるを得ないと思います。
春の時期に、印旛沼の水に依存しないでも出来る農業への展開として、早期湛水、冬期湛水水田や溜池、休耕田の水張りなど、春の田植え水の分散化、遊水池の復活など、またなによりも、余計な富栄養分を効率的に蓄えてくれるシジミ等の生息に必要な砂地の確保。
そしてそれを考え、実行して頂けるであろう市民や農民、研究者、行政等の皆様への具体的な応援。
結果として、30年かかっても、春に干潟や浅瀬が取り戻せる印旛沼に戻すことが出来、春には、干潟や浅瀬が出来て、水草等1年生草本が立派に育っていける事。生き物にとっての、生活環境と発育の場を作り出してあげて、真に共生出来る社会にすること、が、私どもの義務であると考えています
千葉県の印旛沼での、自然再生、水質浄化とは、広域には印旛沼の自然再生、狭義には水質改善にあると理解しています。
基本的にはお金をかけないで、生き物に生き物を関連させる場を提供し、自然任せで自然は再生させるべきだと信じています。
従って時間は、印旛沼をダム化し始めて現在までの時間、とほぼ同じ時間を要すると考えるべきではないでしょうか。
生態系再生のための実験(案)等は、みためしの方法で、いろいろと試してみる、結果を観察する、その上で次のステップを皆で考えながら進めていく。
この考え方に大賛成です。
原則として、自然再生にはあまり公共的な工事の概念は考えない方が良く、ボランティアやNPO、地権者等と、楽しみながら、どうした良いかをお互いに知恵を出し合って議論しながら決していく方法が良いと思います。
身近なところで取り込みながら、現場で生じる諸問題を、なるべく農業や河川、土木の現場の多くの方々に共有して頂き、確認を重ねていく方法が大切です。
論点整理ではっきりしたことは、フラスコの中の実験成功で良しとするような化学での実証方法ではなく、マズ取り組んで"みためし"でやってみて、駄目なら別方法を取りあげる様な方法でいくことが、やはり大事です。
逆に言えば、自然再生、水質浄化に関わる問題点は、緻密な設計図を描いて、その仕様書通りに物を作れば良しという方法ではない、ともいえます。
それよりも、実証的に現場に入って、いろいろと農家の方々など業務として手伝いながら、一緒に考え、夜は熱燗を前にして、ああだこうだと語り明かしながら、
試行錯誤の世界を覚悟でぶつかっていくことが肝心なのでしょう。学問の形態も当然変わらざるを得ないと思います。
春の時期に、印旛沼の水に依存しないでも出来る農業への展開として、早期湛水、冬期湛水水田や溜池、休耕田の水張りなど、春の田植え水の分散化、遊水池の復活など、またなによりも、余計な富栄養分を効率的に蓄えてくれるシジミ等の生息に必要な砂地の確保。
そしてそれを考え、実行して頂けるであろう市民や農民、研究者、行政等の皆様への具体的な応援。
結果として、30年かかっても、春に干潟や浅瀬が取り戻せる印旛沼に戻すことが出来、春には、干潟や浅瀬が出来て、水草等1年生草本が立派に育っていける事。生き物にとっての、生活環境と発育の場を作り出してあげて、真に共生出来る社会にすること、が、私どもの義務であると考えています