文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

霞ヶ浦の現状を知るための努力(1)

2005-08-23 18:55:58 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
 霞ヶ浦での自然再生事業にNPO委員として参加しています。印旛沼の水循環を考える上でも、霞ヶ浦と印旛沼、そして手賀沼は、3つ子の兄弟と言って良いほど似通った環境にあるので、対比しながら考えてみようと思っています
 先日、土浦市の行政区内にある霞ヶ浦の湖岸堤防上を歩きながら、はっと気が付きました。
1 霞ヶ浦とコンクリートの堤防と、斜面林との間には、干拓で出来た蓮田がありました。この地域は、印旛沼とちがって蓮田が主体です。人が生業として維持管理されている場所、昔ながらの蓮田がありました。これは景観として最高です。文句なしに美しい。それは人々が生産の場を絶えず自主管理しているからでしょう。その面からは、何らの手出しも、自然再生法の対象にもならないと思われました。
 
2 地域に住んでいられる方々の発言は、霞ヶ浦の自然再生法での議論でも、印旛沼再生に係る市民・NPO意見交換会でも、以下の発言はほぼ共通でした。
これはすべて共通の認識だと強く感じました
 昔は夏に泳げた、魚がうじゃうじゃいた。
 魚取りが楽しかった。
 子供達が遊んでいた。
 水がきれいで霞ヶ浦で遊ぶのが楽しかった。
等々、

3 霞ヶ浦でも印旛沼でも沈水植物を始め、本来の植生が回復しないのは、生き物の自然の生きるための生活リズムを壊してしまった結果だと思っています。
 でも、それ以上に考えなければならないことは、地域の生活者の方々の、2,500年以上続いてきた農業・漁業の年間での生活リズムも同じように壊れてしまったのではないでしょうか。干潟で遊んだ、魚取りを孫としたい。昔は当たり前に出来たことが否定される。生活のリズムが成り立ちません
 地域の方々の意見は、生活を、文化を楽しめる環境に戻して欲しい。数千年も続いてきた、1年を通じた生活リズムを取り戻したいという切実な叫びと聞きました。
 印旛沼の水循環、霞ヶ浦の自然再生とも、もともと地域の方々が生業の先を印旛沼や霞ヶ浦とし、仕事場としても、自然を管理していたわけで、現在の断末魔とも言われるほど汚れた湖沼をどの様に再生するか、は、つまり、地域の方々が喪失した生活及び文化の再生をどう立て直すのかとの重なるのではないでしょうか。

4 現状は、効率という概念で、霞ヶ浦や印旛沼共に、利水し、治水する事業によって、地域の方々の、生活及び文化を、根元的なところで壊してしまっていると言うことが、根底にあると言うことだと思います。

5 自然湖沼としての1年間のあるべきリズムを回復しなければ、春に干潟と浅瀬が無ければ1年生草本が芽吹けず、それを餌としたり、稚魚のように隠れ蓑にして育つ生き物がどんどん生まれなけれ、生き物が活性化しなければ、自然再生もあり得ません。

6 年間の自然に添った水位管理がキーワードです。
 印旛沼でも、霞ヶ浦でも単に水をためるダムだとしたら、自然な湖沼を生活の中で楽しんだり、収穫したりする仕事が成立しません。
 子供のはしゃぐ声も聞こえません。湖岸も、そこに生活の糧が十分にあって、楽しければ、すばらしくきれいな景観が戻り、結果として水質の浄化が生じると考えることが自然ではないでしょうか。大人と子供が一緒に遊べて、仕事を手伝いながら、親の喜ぶ顔を見ながら成長していく、それが自然でしょう。文化でしょう。生活です。

6 通年、田んぼを乾田化させる、通年同じ水位で水を管理したいという行政側の願望こそが、生態系を破壊するだけでなく、地域で生活してきた皆様の、生活、文化をも壊してしまう結果になっていると感じています。
 
7 湖岸の堤防をどう再構築するか、と言うハードウエアな議論とは本質的で、もっと深い別な事ではないかと考えています。