[satochiba:1006] 2005年4月2日 16:04掲載済み
行政指導型でのイベントが、千葉県内の里山で企画されています。
たまたま、市民側でも、同じような企画が持ち上がっておりました。
それが、バッテンコしていると分かり、議論の上で、市民側がおりてしまったという経過です。
行政が考える企画とは、市民のアイデアを聞いて回って、それに色を付け、そして事前に地域の出先機関と、市町村側と企画をして話しがすすみ、肝心のイベント実行先はじめ、メンバーや、市民側はつんボ桟敷で、完全なお客様扱い。
ただ参加すればよいというだけの話しとなって、まあ、知らぬうちに事が進み、員数合わせにつきあう事になってしまう事だそうです。
市民参画型と異なり、市民間での横断的な知恵の出し合い、寄り合いの仕組みが出来にくく、さらに、行政指導型の典型例として、儀式化してしまい、面白くもおかしくもない世界が出現してしまいます。
と、いうことで、市民の最近の行動パターンは、行政が出てきたら市民もNPOも、だまって引っ込む。 手を引いてだまって立ち去る。
特に、最近は行政側に資金的な余裕がなく、その中で考えられた何かの目的を達成しようとして、市民側に無理を強いる。 そのパターンの繰り返しのごとくです。
市民は冷静に、静かにして、何も参加しないで、経過を見守るだけでしょう。しかし、逆に落とし穴としてそこには、郷土愛とか、誇りとは無縁な、県側が金だけ出してくれれば良しとする、冷徹な考え方での精神構造が透けて見えます
日本に渡来する白鳥が、餌付けによってどのような生き方に変貌するか 楢葉の白鳥現象とは、相手を徹底的に観察し、最後はとことん利用するその精神構造が浸みついてしまった、社会構造を指します。
利用しているつもりで、最後は自分自身を見失い、文化が崩壊する現象の事です。
千葉県の里山で感じるのは、そういった精神的な部分でのゆるみというか文化の喪失感というか、
かって、日本の地域社会を支えてきた最大の規範であったと思われる”ほったらかしにしては、ご先祖様に申し訳ない"という意識、またケニアの環境副大臣で、森林の再生に貢献したとしてノーベル平和賞を受賞されたマータイさんが、日本の言葉に感激したという”もったいない”という言葉。
で触発される、日本の庶民が日常的に使っていた言葉、生活の実感ある
内容が消滅してしまったのでしょうか
何事も、これからは市民側が、自立して(餌付けを退け)、しっかりとしないと
結果、子供を失い、更に地域を喪失し、心を失い、更に景観を失い、収入を失う
事になりかねない、いままさに、その危ない分水嶺にあります。
行政指導型でのイベントが、千葉県内の里山で企画されています。
たまたま、市民側でも、同じような企画が持ち上がっておりました。
それが、バッテンコしていると分かり、議論の上で、市民側がおりてしまったという経過です。
行政が考える企画とは、市民のアイデアを聞いて回って、それに色を付け、そして事前に地域の出先機関と、市町村側と企画をして話しがすすみ、肝心のイベント実行先はじめ、メンバーや、市民側はつんボ桟敷で、完全なお客様扱い。
ただ参加すればよいというだけの話しとなって、まあ、知らぬうちに事が進み、員数合わせにつきあう事になってしまう事だそうです。
市民参画型と異なり、市民間での横断的な知恵の出し合い、寄り合いの仕組みが出来にくく、さらに、行政指導型の典型例として、儀式化してしまい、面白くもおかしくもない世界が出現してしまいます。
と、いうことで、市民の最近の行動パターンは、行政が出てきたら市民もNPOも、だまって引っ込む。 手を引いてだまって立ち去る。
特に、最近は行政側に資金的な余裕がなく、その中で考えられた何かの目的を達成しようとして、市民側に無理を強いる。 そのパターンの繰り返しのごとくです。
市民は冷静に、静かにして、何も参加しないで、経過を見守るだけでしょう。しかし、逆に落とし穴としてそこには、郷土愛とか、誇りとは無縁な、県側が金だけ出してくれれば良しとする、冷徹な考え方での精神構造が透けて見えます
日本に渡来する白鳥が、餌付けによってどのような生き方に変貌するか 楢葉の白鳥現象とは、相手を徹底的に観察し、最後はとことん利用するその精神構造が浸みついてしまった、社会構造を指します。
利用しているつもりで、最後は自分自身を見失い、文化が崩壊する現象の事です。
千葉県の里山で感じるのは、そういった精神的な部分でのゆるみというか文化の喪失感というか、
かって、日本の地域社会を支えてきた最大の規範であったと思われる”ほったらかしにしては、ご先祖様に申し訳ない"という意識、またケニアの環境副大臣で、森林の再生に貢献したとしてノーベル平和賞を受賞されたマータイさんが、日本の言葉に感激したという”もったいない”という言葉。
で触発される、日本の庶民が日常的に使っていた言葉、生活の実感ある
内容が消滅してしまったのでしょうか
何事も、これからは市民側が、自立して(餌付けを退け)、しっかりとしないと
結果、子供を失い、更に地域を喪失し、心を失い、更に景観を失い、収入を失う
事になりかねない、いままさに、その危ない分水嶺にあります。