東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

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2024年5月 JR大船渡線沿線を歩く旅。(4)

2024年06月06日 | JR大船渡線沿線を歩く旅
2024年5月 JR大船渡線沿線を歩く旅。

2024年(R6)5月12日(日)

真滝駅 ―> 陸中門埼駅 8.0JR営業キロ

そういえば岩手県の「一関市」にあるのに駅名は「一ノ関駅」でカタカナの「ノ」の文字が間に入っている、はてなぜ同じにしなかったんだろうか。

そんなことを考えながら歩き続ける。

道はゆるい上り坂が続く。





どこまでも、どこまでも、、、うんざりするほど続く上り坂だった。





歩道があるのが救いなのだが、雑草が通せんぼしていたりでちょっと歩きにくいところがある。





坂の途中に石材店があって看板を見ると地震でも倒れにくい墓石の看板があった。





東日本大震災では家屋の倒壊だけでなく多くの墓石が倒れたものだった。

地震直後のテレビインタビューである女性が「揺れが治まってすぐにお墓が倒れていないか見に行きました」と答えていたのを思い出してしまった。
別の女性は「地震の時はすぐに位牌を持って避難しました」とも言っていた。

ご先祖様を大切にすることは良いことと思うが、地震など災害の時はまずは自分の命を守ることを第一にしてもらいたいな。

そんな意味でも倒れにくいお墓というのは価値があるだろう。

息を切らせて坂を登っていくと大きな橋があった。



北上川に架かる「北上大橋」だ。



長さ482メートルのバランスタイドアーチ構造の橋とのこと。



なかなかに形の良い橋だ。

橋のたもとには昭和13年と書かれた旧橋の一部が残されていた。



現在の橋は2003年に架けられたそうだ。

橋からは「かわさきの柵」と書かれた大きな壁画が見える。



前九年の役で安部貞任が朝廷軍と戦ったところという。

時刻はちょうど12時、このへんで昼食にしよう。

少し行くと「道の駅かわさき」がある。





駐車場わきにはこんなものが建っていた。





アイオン台風、カスリン台風の水害の記録だ。
民家の屋根上まで水位があったのか、これはすごい。

最近でも台風が来ると床上くらいまでの水位があったとのこと。



ダムと堤防ができて洪水の心配は少なくなったが、この標識を見るともし堤防がなければ1階部分は水の中だったということも分かる。



北上川は雨が降るとよく氾濫したものだった。
わたしが若いころ盛岡市でも台風のときに盛岡駅付近の下町に浸水の被害があったのを覚えている。

道の駅の食堂で昼食にしたかったのだが混雑で中へ入れない。
そうか、今日は日曜日だったなあ。

道路の向かいにファミリーマートがあったのでコンビニのカレーで昼食だ。





食事を終えたら歩き出す。

マンホールには北上大橋と花火が描かれている。



町名などが書かれていないというのは珍しいかも。

少し行くと「歌人・柳原白蓮」というかたの記念碑がある。







こんどは砂鉄川を渡る。



砂鉄が採れたから砂鉄川と名付けられたようだ。
沿岸の釜石市にある釜石製鉄も砂鉄、鉄鉱石の採掘場に近いので造られたのだった。
いまは何もない岩手県だがその昔は金の産地でもあったし鉄の産地そして名馬の産地だった。



このあたりから竹林が見えてくるようになる。





京都や奈良にあるようなうっそうとした竹林ではないが間違いなく竹の林だ。
おそらく岩手県県南がこのような竹林の北の限界だろうと思う。

陸中門崎駅に到着。










コメント
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