インド・バラナシで取材した作品で私には刷り込まれている藤原新也さん。
でも、そういう紹介の仕方で本当に良いのか、という疑問もこれあり、
彼の活動の包括的なそれ、って全く分かっていないところがあるので、今回の世田美はとても良い機会。
会場内に移っての展示、先ず目を引いたのは、このフライヤーにあるように藤原さんの書跡。
「虛新」という雅号?なんですが、凄い迫力で訴えかける。
キュレーションの仕方として彼の「印度放浪」などの著作、他諸々といった部分にまで焦点を当てるより、彼の写真と書を紹介することで人生、思索の過程といったものが垣間見られる構成と愚考致しました。
写真展なのに撮影可、ってこんな厚顔無恥な私でも一瞬躊躇うのですが…
でもまあ折角の申し出ですからいつものピッチング✋
そして、すごい枚数になっておりますが、先ずは「メメント・モリ」のセクションから。
先ずは観音菩薩だったかの写真と、全体的雰囲気。
「人が死を捉えた」と藤原さんが仰る作品が並びます。
インドのどこか?で藤原さんが揮毫している風景作品の左右は凄い数の群衆や家族などの営み。
そして、これはイスタンブールとありましたがイスラム的イメージとは異なる生=性的な雰囲気を漂わせる作品。
確かに人間は肉🍖で出来ており、そこには聖とばかりにはいかないのは事実。
今度はチベットですかね、のお坊さんたち。真ん中は大冊のお経を全て記憶している方だそうです。
フライヤーの写真はこのチベット僧が花を抱いているシーン。
一転アメリカの結構昔のイメージ的写真が目を引きました。しかも白黒で…
このアメリカで取材した写真集は1990年出版のようです。
彼のワークショップで香港の若い人にメッセージをポストイットで書いてもらったものや、
一時期日本でも有名になった女性活動家「周庭」さんのことなど。
「普通の女性である彼女が…」こうして民権化運動に立ち上がらざるを得なかった現状に藤原さんのカメラは向きます。
社会、政治的動向について常に興味を示していますが、彼の年齢を考えると凄いなあ、と…
今度は日本に戻って、金属バットで家族を殺した事件の極めて日常的な現場の雰囲気や、
ヒトという寿命80年にセットされた存在にコロナウィルスが生き方に大きく影響を与えたこと。
記事上の方に「死ぬな、生きろ」という書がありますが、これを渋谷スクランブル交差点上のディスプレイに示した写真もありました。
寂聴さんに宛てた手紙と、冒頭と同じ書。
これは2枚作って、寂聴さんと藤原さんそれぞれ所有したそうな。
ある意味逆説的なメッセージも込められていますが、それは2人の関係性からでありましょう。
藝大油画出身の藤原さん、こうした絵も描いております。
お父さんの死の床における写真。
藤原さん「はい、チーズ」と言ったらお父さん最後に笑いかけて臨終されたそうです。
そして本展の最終メッセージ。
とても大切で示唆に富む、私のような老人にはこれから来ざるを得ないそんな瞬間に思いを馳せた、そんな時間でありました。