神田から人形町の方に散歩で展開したこの日、
小伝馬町の辺で目にしたこちら。
訪問後改めて寺名をチェック、こちらが高野山真言宗の準別格本山と知りました。
とはいえ、それは後程の話💦
この時点では私の興味はこの扉の奥に鎮座された弁天様、「江戸ハ臂弁財天」でありました。
創建は明治15年、大倉財閥と安田財閥の寄贈によってこの地が建てられ、高野山から弘法大師の像が遷座されたことから来ているようです。寺名もそれぞれの頭文字から取られているとか。
この地は江戸時代牢屋敷があったところで明治に入って荒れ果てていたようで、上記の寄進によって鎮魂という目的があったのでしょうね…
南千住の駅から見える葵の御紋のお寺も小塚原への鎮魂なのかも…
実際ここには「江戸傳馬窂御檡場(おたくば)跡」という石碑もありました。
ここで処刑=打首にされた人には吉田松陰も含まれ、奇しくもこの訪問の翌日松陰神社にお参りしました。
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