こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
先日、この小平次、靖国神社の正式参拝というものに行って参りました
戦後70年の節目の年ということで、小平次が今住んでいるところの神社の行事として、役員の有志で参拝したのであります
役員といっても小平次は新参者ですから、時折祭りやその他の行事のお手伝いをさせてもらっている程度なんですが、この日はワイシャツにネクタイ、その上に神社の役員用の半纏を羽織り、ご一緒させていただいたわけであります
これまでも拝殿にて通常の参拝には行っておりましたが、昇殿しての参拝は初めてでありました
靖国神社に行かれたことのある方はおわかりだと思いまくすが、一般的な参拝は正面の大鳥居向こうに見える拝殿にての参拝ですね
この拝殿の奥に御本殿がありまして、正式参拝に申込むとそちらに神職の方に案内され、本殿にて大鏡の前でお祓いを受け参拝するのです
御本殿に行ったのは初めてですが、都会の真ん中である事を忘れるようななかなかに厳かなたたずまいで身が引き締まります
さて、小平次は靖国神社で参拝する際、心に思う事はいつも同じです
「英霊の皆さま、この国を護るために戦って頂き、本当にありがとうございます」
「その貴い振る舞いのおかげで私たちが今生かされております」
「甚だ未熟者ではありますが、皆さまが護らんとしたこの国を護ってまいりたいと思っております」
「どうか安らかにおられてください」
という事です
さて、靖国神社の参拝について
{靖国神社への参拝は「顕彰」であって「慰霊」「追悼」ではない}
との言葉を耳にすることがあります
「顕彰」とは、その人の功績などを世間に知らせ、表彰することであり、靖国神社の参拝はあくまで英霊の皆さまの功績を讃え感謝するものだ
決して「慰霊」→霊魂をなぐさめることではない
という事ですね
ついでに言うと「追悼」→死者をしのんで、いたみ悲しむこと
まあ「慰霊」に近い感覚でしょうか
先にご紹介した小平次の想いは「顕彰」であり「慰霊」「追悼」であるとも思っております
何よりもまず英霊の皆さまに感謝し、至らぬ身ではあるものの英霊の皆さまの想いを引き継いで行くこと、とても安心して下さいなどとは言えませんが、安らかであられて欲しいと願うのです
一部で言われているように、「慰霊」「追悼」ではない、というのは確かにその通りなのだろうと思うのです
例えば、小泉さんが首相時代、靖国参拝の理由について
「心ならずも戦場に赴いた人々に哀悼を…」
のようなことを言った事について、戦後30年近くフィリピンで終戦を知らず戦い続けていた、あの小野田寛郎さんが言っています
小野田寛郎さん(目力がすごい、本物の軍人ですね)
「既婚者は、家族を遺して死ぬことに心残りもあったかもしれないけれど、独身の若い者たちは、自分が先頭に立って戦わねば、とみな思っていた。年寄りを前に立たせたってしかたないのですから」
「若い人は覚悟を決めていました。「心ならずも」なんていう気持ちで、特攻機に乗れますか?」
「心ならずも…」
などと言われると何か侮辱されているようだとも仰っておられたそうです
小平次ごときではありますが、そのお気持ちはよく理解できる気がします
「国を護るため」
「家族を護るため」
命を賭してこの誇り高き任務に赴いた
もちろん死にたかったわけではありますまい
しかし
「イヤイヤ戦地に送り込まれ、不幸にも命を落とした哀れな犠牲者」
などと扱われるのはまさに「侮辱」でありましょう
そういう意味では「慰霊」だけでも「追悼」だけでもだめでしょう
英霊の皆さまに感謝し、魂が安らかである事を祈る
政治問題などと関係のないところで参拝する我々は、まず「顕彰」があり、「慰霊」「追悼」の念をもつ、それで良いと小平次は思っております
さて、この日参拝を終え地元神社に戻ってきまして、神社の参集殿にて一応の直会の席ということで、参加者で共に飲食をしたのでありました
そこである参加者の方が言いました
「昭和天皇は、A級戦犯が祀られているから参拝しなくなったんですよね」
それを聞いて小平次は、ちょっとたまらず口を挟みました
「一部のマスコミなんかがそんな事を言ってますが、そうではないと思いますよ」
時間もなく、あまり親しい方でもなかったので、多くは申し上げませんでしたが、こういう認識を漠然と持っている人が多くいるのは事実のようです
「昭和天皇は、A級戦犯が祀られているから参拝しなくなった」
これは本当のことなんでしょうか
それにしてもなぜこのような事が言われるようになったのでしょうか
2006年、日経新聞がスクープ記事として
「A級戦犯靖国合祀」「昭和天皇が不快感」
なる記事を報じ、元宮内庁長官の故富田朝彦氏が昭和天皇のお言葉として書き残しておいたメモの一部を公開したのでありますね
その一部とは
「私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか易々と 松平は平和に強い考があったと思うのに。親の心子知らずと思っている だから私あれ以来参拝していない、それが私の心だ」
というもので、1978年に所謂A級戦犯が合祀されたことについて不快感をお示しになり、参拝を中止したというのであります
この所謂「富田メモ」報道以降、首相の靖国神社参拝否定派、A級戦犯分祀論派などがことあるごとに
「昭和天皇の御心はA級戦犯を合祀することに反対であったのだ!その御心を考えろ!」
などと言いだしているわけです
普段、天皇家に崇敬の念など微塵も抱いていないであろう左翼的言論人やマスコミが、この事に関してのみは「昭和天皇の御心」などと言うのは、全くギャグにもなりません
さてこの「富田メモ」の信憑性については、いつものように言い合いがされております
「これこそ昭和天皇の御心だ!」
「いや!言葉遣いなどもおかしいし、これは昭和天皇の御言葉ではない!」
関心のある方は是非とも双方の言い分を検索してみて下さい
公正公平な現時点での結論としてはですね
この記事の出所である日経新聞がですね、そのメモの全文も明らかにしていないですし、何故これを昭和天皇の御言葉と断定したのか、その根拠も検証過程の経緯も示さずにいるわけで
そうである以上現時点ではこの「富田メモ」の記述
「昭和天皇の御言葉であると断定するまではできない」
ということでしょう
宮内庁が
「メモの解釈はさまざまで、A級戦犯合祀と昭和天皇の靖国神社不参拝をとらえた富田メモや報道内容を是認したわけではない」
とも言っているわけでして
断定の経緯も示されず、公的に宮内庁がそう言うのであれば、公式な見解は
「昭和天皇の御言葉ではない」
でいいんじゃないでしょうか
少なくとも
「昭和天皇の御言葉とは断定できない」
でしょう
小平次の個人的見解を述べてみます
日本の歴史を自分なりに紐解く中で感じている事
それは古代の昔より、我が国は君民一体の国体を目指し、実現してきた国である
その国体の護持、日本国の護持、これこそが我が国の歴史を刻んできたと思っております
ですからそのために外交上においても、外国からの文化を受け入れることにおいても最大限の注意を払ってきたし、力づくでこれを破壊せんとするものとは命を賭して先人たちは戦ってきたのです
悪名高き東京裁判において、まさに国体を護持する事、それはまさに天皇をお護りする事に他ならず、東条英機を始めとするA級戦犯とされた人たちは、自らがその責を負い、自らの命によってそれを果たしたわけです
そのことをご存知である昭和天皇
マッカーサーに対し
「私は日本の戦争遂行に伴ういかなることにもまた事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題でない。構わず総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」
とまでおっしゃられた昭和天皇
全責任は自分にあるというこの御言葉は、逆に言えば国民や臣の者に責任はないと仰っていらっしゃるわけで、また「貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題でない。構わず総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」というのは、言わば「殺すのならば私を殺せ」と言うことであるわけです
このような昭和天皇が、国体の護持、つまりは天皇をお護りせんとして自らの命をもって処刑された臣下の者が祀られた靖国に、A級がどうとかの理由で参拝はしない、などと仰るはずがありません
これは理屈ではありません
日本人としての直感です
ではなぜご親拝されなくなったのでしょう
単純にその頃、一部マスコミが首相の参拝について「公人」か「私人か」などと質問し、三木首相が「私人」と答えたことで、大騒ぎとなり、政治問題化したことで気を遣われただけのことでありましょう
最近世の中はますます複雑になり、自己の利益にばかり目を奪われがちであります
先人に感謝し、後世に伝える
自らの感性とそれに導き出される直感を信じて磨いていこうではありませんか
御免!
PS
A級戦犯分祀論というのがありますが、「分祀」の意味もわからぬ者には言わせておけばいいのです
分祀はそこから分け御霊を他の場所にお祀りすることであり、元の御霊が元の座からおられなくなるわけではありません
ですからA級戦犯を分祀するというのは、元の座の他に、お祀りする場所を増やす、ということであり、分祀論者は自分たちの憎むべきA級戦犯の御霊を祀る場所をもっと増やしましょうと言っているのですね…