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こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
本日は神功皇后紀を読んでみる 6をお送りいたします
前回までの簡単なおさらい
幼いころから叡智聡明、かつ大変に美しい方でいらしたおきながたらしひめのみこと(神功皇后)は、夫の仲哀天皇の崩御後、御自ら神々の言葉を聞き、西の国を目指しました
その一貫上、九州の熊襲征伐に向かいます。そこで『鳥人・羽白熊鷲(はしろくまわし』や、『土蜘蛛一味の魔女王田油津媛(たぶらつひめ)』と対決し、これを討ち取った
というところまででした
では早速続きです
『原文』
『夏四月壬寅朔甲辰 北到火前國松浦縣 而進食於玉嶋里小河之側 於是 皇后勾針爲鉤 取粒爲餌 抽取裳縷爲緡 登河中石上 而投鉤祈之曰 朕西欲求財國 若有成事者 河魚飮鉤 因以擧竿 乃獲細鱗魚 時皇后曰 希見物也 希見 此云梅豆邏志 故時人號其處 曰梅豆羅國 今謂松浦訛焉 是以 其國女人 毎當四月上旬 以鉤投河中 捕年魚 於今不絶 唯男夫雖釣 以不能獲魚』
『訳文』
『夏四月三日。北の火前国(ひのみちのくちのくに=肥前国)の松浦県(まつらのあがた=現在の佐賀県唐津市付近?)に行って玉嶋里(たましまのさと)の小川のほとりで食事をされた。そこで皇后は針を曲げて釣り針をつくり、米粒を取って餌にして、裳(衣服)の糸を取って釣り糸にして、河の中の石の上に登り釣り針を投げて、神意を占おうと祈って言った。
「わたしは西の方の財(たから)の国を求めようと思っています。もしも事を成せるのであれば、河の魚よ、釣り針を食うのだ!」
そして竿をあげられたところ、鮎が釣れた。そこで皇后は言われた。
「これは珍しい魚だ」
“希見”は梅豆邏志(めずらし)と読む。そのため時の人はそこを名付けて梅豆羅国(めずらのくに)といった。今『松浦』というのはそれが訛ったものである。
それでその国の女の人は四月の上旬になると、針を川面に垂れて年魚(あゆ)を捕るということが今も絶えない。ただし、男は釣っても魚を獲ることができない。』
簡単解説
面白いシーンですね
鮎なんておそらくはそれまでも普通に日本人は食していたはずで、神宮皇后が「珍しい魚だ」というのはなんとも解せません
まあそれは置いといて、皇祖神天照大神さま(日御子さま)は女性であり、歴代天皇皇后の中でも祭神として祀られている神社の数が最も多いのが、女性である神功皇后です
前回ご紹介した、長年の宿敵であったであろう九州の勢力、その親玉が田油津媛(たぶらつひめ)と、また女性です
このシーンでも鮎を獲ることができるのは女性のみ
我が国日本がいかに古来より女性を中心に世を育んできたのか、象徴的であるように思います
さて、神功皇后が、この時鮎を釣る際に台座にされたと言われる石
『垂綸石』
が今も佐賀県唐津の玉島神社近くの「万葉垂綸公園」に残っています
垂綸石
本日はここまでで
御免!