さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

インド放浪 本能の空腹33 インド博物館

2021-07-05 | インド放浪 本能の空腹


30年近く前、私のインド一人旅、当時つけていた日記を元にお送りしております。

前回バブーやロメオ、K君、とともに充実した時間を過ごしたプリーを後にし、再びカルカッタ、サダルストリートへ戻ってきた、というところまででした。

つづきをどうぞ


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 おれがプリーからカルカッタへ戻ってから数日が経っていた。最初に来た時の衝撃、手のない人、足のない人、指が全部溶けてなくなっている人、目がくぼんで小さな白目だけの少年、両足を根元から失い、手製のスケートボードに乗り『マネー、』と手を出してきた老人、その他多くのポン引き、そんな凄まじい衝撃、夜のサダルストリートでビビりまくり、動けなくなり、詐欺師のラームに引っかかり、15万円もの高い買い物をする羽目になった。そして逃げるようにプリーへ旅立った。
 

 相変わらずポン引きも物乞いもたくさんいる。ホテルを出てサダルストリートに出ればすぐにワラワラと数人に囲まれる。物乞いは前と変わらず、手のない人足のない人が大勢いたが、声をかけて来るポン引きは来たばかりの時とは違う類のやつらに変わっていた。

 当初は、お上りさん感丸出しのおれに寄ってくるのは『ホテルの案内』か、『高級品の買い物』といった連中が中心だったが、おれの風貌も発するオーラも、インドに旅慣れてきた空気を醸していたのか…、

Hi、Japanee、drug? ガーンチャ?(マリファナ)
Hi、Japanee、オンナ? オンナ?
Hi、Japanee、US Dollrs change? Japanese Yen change?

と、少しばかりいかがわしげな奴らばかりから声をかけられるようになっていた。

No thank you!!
 

 おれは強い口調でその一点張り、それでもつきまとってくる奴には…、

うるせーな!! しつこいぞ! あっちに行け!!

と日本語でどやしつける、そうすると大概は…、

Ooooh…

と言って去って行く。プリーでバップーのような不良と渡り合った成果だ。

『インド博物館』

 は、サダルストリートが大通りとぶつかる角にある大きな博物館だ。
 
 ある日のこと、おれはインド博物館を訪れた。この日で3度目だ。

 インド博物館はなにしろ大きい、一度には見つくせない、膨大な展示物が置いてあるのだ。インドに生息する動植物、昆虫類の化石、骨格像、はく製、ホルマリン漬け、その他古代遺跡の神々の彫刻だとか壁の装飾、絵画、だの、その物量に圧倒される。そしてそれらが決して見やすいようには展示されていない、雑然と並んでいるのだ。建設されたのは19世紀初頭、いずれにせよ、その物量は、まさに植民地時代、イギリスがこの大地でどれだけ好き勝手に振る舞っていたか、それを物語っているように思えた。

 この博物館を訪れ、もっとも『インドらしい』と思えるのは、アンモナイトの化石のようなものが、ベランダ状の廊下にゴロゴロと転がっていることだ。古い遺跡の柱のようなものも転がっている、そう、転がっているのだ、展示されされているのではない。それがいかにも『インドらしい』のだ。

インド博物館中庭

 おれはインド博物館を出て、歩く。サダルストリートとぶつかる大通りと反対側の通りは、せまいながらも大変な人、人、人、車、車、車、リクシャ、リクシャ、リクシャ、けたたましいクラクション、大音量のインド音楽、むせ返るように薫るスパイスと油を中心に、人や犬の息、車の排気ガス、それらの全てが入り混じり、ごったがえしているような通りだ。

 一件の古本屋を見つけ、中へ入る。隅の方の棚に日本語の本が数冊置いてある、日本人旅行者がおいていったのであろう。

 その中にあった3冊の文庫本を手に取る。

 サン・テグジュペリの
『夜間飛行』

 フレデリック・フォーサイスの
『悪魔の選択・上、下』

 この大都会では、プリーの時のように友達はなかなかできないだろう、こういったお供がなければ長くはいられない、おれはその3冊を買ってホテルに戻った。

 部屋に入り、バッグから油絵用の小さなキャンバスと絵具、その他、筆などの画材道具を取り出し、絵を描く準備を始める。

『油絵』

 を描いたことなど、ただの一度もないのだが。

 水彩画については、少年のころ、行きたくもなかったが、絵画教室に『通わされて』いたことはあった。ある時、その教室の子どもたちの絵を、二科展に出品するために、皆一様にダイヤル式の黒電話の絵を描かされたことがあった。同じ小学校に通う友人たちは明らかにおれよりも上手にそれを描いた。そのせいだったのか、皆が黒電話の絵を出品したのに、おれだけが野外写生の時に描いた新築アパートの絵が出品された。そして、なぜかおれのその絵が入選、賞状をもらった。

 その絵が新宿のデパートに飾られることになり、母親と近所の子供数名とその母親たち、で、ロマンスカーに乗り見に行った。このことをもって、おれに絵心があったのかどうかはわからない。

 音楽はずっとやって来たが、絵画は中学卒業後まったくやっていない、マンガ程度のものは好きでよく描いていたが、もちろん油絵などやったことがない。にもかかわらず、おれはインドへ旅立つ直前、友人の画家の卵に付き合ってもらい、最低限の画材道具を揃え、インドへ持って来ていた。

 わからない、わからない、何がそうさせたのかはわからない。

 ただ、インドを旅することで、何か漠然と、おれの内にある何か、きっと溜まって溜まって破裂しそうになっているであろう何か、それを吐き出さざるを得なくなるだろう、そんなことを考えていたかもしれない、いや、感じていたのかもしれない、やったことのない油絵、無垢だからこそ、余計なことに惑わされず、小さなキャンバスに叩きつけられるかもしれない、きっとそんな風に思っていたのだろう。

 せまい部屋で小さなキャンバスと向き合う。

『ペイパー、ペイパー、ペイパー、ドゥン』
『ペイパー、ペイパー、ペイパー、ドゥン』

 薄っぺらいドアの向こうにトイレットペーパー売りの声が響く。

 しばらくキャンバスと向き合ったが、何か描く気は起らない。

 今のところ、何も吐き出せるものはないようだ。

 おれは、角の酒屋で買ったウイスキーの小瓶を呷り、『夜間飛行』を手に取り横になる。

 何も吐き出せるものはない、それでもカルカッタへ戻り数日、おれの中で何かが変わり始めていた、だが、それにおれが気づくのはまだ先のことである。


つづく****************************

記事本文にもあるように、このころから私の中で何かが変わりはじめます。それを日記からの文章で表現し切れるかどうかわかりませんが、お付き合いいただければ幸いです。

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。引用元のない画像はフリー画像で、本文とは関係のないイメージ画像の場合もあります。


コメント (2)
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