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こんにちは、小野派一刀流免許皆伝小平次です
小平次は、今の生業に就く直前、タクシードライバーを4年半ほどやっていたんです
その時のことを、インド放浪記風、日記調、私小説っぽい感じで記事にしていきます
本日は
『泣く女』
乗車地
『月島付近』
降車地
『東京駅八重洲口付近』
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ある日の昼間、おれは主戦場である中央区内をいつも通りに流していた。豊洲辺りで客を降ろした後、また銀座方面に向かおうとすると、すぐに女が手を上げた。
『おまちどおさまでした、どちらまでですか?』
『東京駅の八重洲口の方へ向かってもらえますか』
女は、歳のころはアラフォー、ビジネススーツをきっちりと着こなした、いかにも仕事ができそうな感じの女だった。
『では、このまま八重洲通りをまっすぐで宜しいですか?』
ルートを確認し、車を出す、そう遠くはない距離であったが、橋を渡ったあたりから混み気味になり少し時間がかかりそうな気配であった。
おれはタクシードライバーとして、客から話しかけられれば普通に対応はしていたが、自分から客に話しかけることはあまりなかった。この日も車内は静かであったが、やや道が混んでいたせいもあって、少し時間がかかりそうなことを察したのか、女から話しかけてきた。
『運転手さんは、このお仕事は長いんですか?』
おれはこの頃すでに立派なオジサンだったが、ジイサンが多いこの業界ではかなり若い方であった。そのせいかこの質問はよくされた。
『いえ、まだ3年程です』
『そうなんですか、前は何をされていたんですか?』
『あ、普通にサラリーマンをしていました』
『どうしてドライバーさんになろうと思われたんですか?』
『えっと…、そうですね、サラリーマンとは言っても、雇われですが一つ会社を任されていたんです、でも、人の上に立つって、私にはすごいストレスで、その上やはり社長は別にいましたので、結局中間管理職のような立場で限界を感じまして、それで辞めたんですけど、どうなるかはわかりませんが、法律系の資格を取ろうと一念発起して、勉強時間を作るのにタクシードライバーは最適だと思ったんです、で、実際いい仕事だと思っています』
そう言っておれは少し微笑んだ。女が続ける。
『そうなんですねぇ……、中間管理職……、きついですよね……。でも、タクシーも道を覚えたりとか大変じゃないですか? 東京にお住まいなんですか?』
『いえ、私は神奈川県の藤沢です』
『藤沢! いいですね、湘南ですね、海も近いんですか?』
『ええ、歩きでも5、6分で海に出られます』
『いいなぁ、でも、一つ会社を任されていたなら、収入もそれなりでいらしたでしょうに、奥様とかご家族は反対はなさらなかったんですか?』
『あー…、そうですね、むしろ妻がもう辞めろって言ったんです、鑑見て見ろ! 人間の顔してないから!って 』
おれは笑ってそう答えた。女も少し微笑んでいるようだった。
『そうですか…、それは理解のある奥様で良かったですね、人間の顔してないって…、ほんと、そうなる時あるんでしょうね…、 運転手さん、知ってます? 東京で働くサラリーマンの3割以上の人が、鬱か、鬱予備軍らしいですよ…。』
『へえ! そうなんですか、少し驚きますね』
『運転手さんもそのままお仕事続けられていたら大変だったかもしれませんね…』
この時、女の口調のトーンが少し下がったような気がした。
『そうですねぇ…、でも、仕事終わって、車で通勤してたんですけど、それこそサザンじゃないですが、江の島が見えて来るとほっとして、家について家族の顔見て、それでだいぶ助けられていたと思います』
『そうなんですか、…、今の私も人間の顔していないのかも…、…、私…、』
『私』まで言って止まった女の口調は、先程までに比べ、明らかに暗くなっているように聞こえた。
そして少しの沈黙の後、女が続けた。
『なんか私…、…、私…、』
『なんか私…、…、今の運転手さんの穏やかな口調聞いてたら…、… 、私…、うっ、 うっ…、ううううっ…、うううっ 』
(! えっ!? 泣いてる?)
おれはバックミラーを見た、女は見えない、仮に見えたとしても顔は見えない、おれは運転中にミラー越しに客と目が合うのが嫌だったから、運転に支障のないくらいにミラーを上げているのだ。それに、女は前のめりに少し屈んでいるようだ。
『うううっ…、うううっ…、…、ご、ごめんなさい、急にこんな、…、うううっ』
『いえ、大丈夫ですよ、お気になさらず』
普通の会話をしていた、はずだった。あまりにも突然の事だった。
やがて八重洲口付近に着き車を停める。ミラーを見ると、見えるのは女の頭だけだったが、ハンカチで涙をぬぐっているようだ。
おれは努めて平静を装い、いつも通りに言った。
『1,340円になります』
『あ、はい、ではこれで』
女が釣銭台に2,000円を置いた。
『2,000円お預かりします、では660円のお返しと、こちらが領収書です』
おれは少しだけ振り返り、女の顔をちらりと見た。明らかに泣いた後だとわかった。それでも、目は乗る前と同じ凛とした目に戻っていた。
『ありがとうございました、ドアを開けます』
『お見苦しいところを見せて、すみませんでした、ありがとうございました』
女はそう言って、再び大都会の人の群れの中に帰って行った。
おれは何事もなかったようにドアを閉め、表示を空車に戻し車を出す。
(それにしても、つい数十年前まで、一生懸命に頑張って働いていれば、みんなが幸せになれる、幸せになろうと思える、そんな時代があったのに、今、見知らぬ人前で泣くほどに追い込まれて仕事をしなくてはならない人がいる、なんでこんな思いをしなくては生きていけないことになってしまったんだろう…)
おれはそんなことを考えながら、鬱などとは最も縁遠く見える街、銀座へ向けて車を走らせる。
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本当に色々なお客様がいましたが、突然泣き出したのは驚きましたね。酷い時代なんだなあと、泣かれるほどに自分の口調は穏やかになっていたのかとか、考えさせられました
『』