さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

広島へ行って

2019-12-08 | 歴史


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こんにちは 少し長い投稿になるかもしれませんが、最後までお読みいただければ幸いに存じます


先日、仕事で広島へ行ってまいりました

ちょっと時間ができたので、平和記念公園、平和記念資料館に立ち寄りました

高校の修学旅行以来、随分と久しぶりに訪れました

心なしかその時より原爆ドームの壁が少しばかり色あせたよう見えます

資料館の展示を見学しますと、きっと高校生の時もそうだったと思いますが、やはり言葉を失います

そして思います

これは、人道上の、と言うより、人類に対する歴史上最大級の犯罪であると

いくら戦争だからと言っても、これはやりすぎです
人の所業ではありません

ところが、その犯罪を犯したアメリカを非難したり、裁こうと言った声はほとんど聞くことはありません

それどころか、むしろ被爆国であるはずの日本が悪かったから原爆を落とされたのだ

これ以上戦争が長引けばより多くの犠牲者が出るところだったのを原爆投下によって戦争終結を早めたのだ

などと言った声が主流のように思います

日本は戦争加害国なのだから仕方なかった…

などと言って、過去の残虐な日本軍の蛮行を訴え、日本を裁き続け、原爆を投下したアメリカの罪などに対しては全く声をあげてもいない主張を大変多く見かけます

『戦争加害国』

という言葉の意味はよくわかりませんが、もし、日本が戦争加害国であるならば、原爆を投下したアメリカはもちろん、世界中の国や地域を侵略し、支配し、時に虐殺などを繰り返していたイギリスを始めとする西洋諸国も戦争加害国でしょう

ソ連や中共も同罪であるはずですが、ドイツナチスを除き、彼らを非難したり裁こうという声はやはり聞こえてきません

そのようなことで、本当に世界に平和は訪れるのでしょうか

現に、他の戦争加害国、特にアメリカ、ロシア(ソ連)、中国共産党は核兵器を保有し、他国に干渉しいまだに自己都合による戦争や紛争、それに至る直前の緊張を生み出し続け、北朝鮮などが核兵器を持つに至るまで野放しにもしてきました

平和なんか訪れていないのです

こういうことを申しますと、決まって

『他国がやっていたからと言って、日本もやっていいと言うことにはならない』

などという反論を言う人がいます

私の父もそうでした

よしんばそれが正論であったとしても論点がずれており、他の戦争加害国が免罪になっていいということとは別問題です

例えて言うならば、ある村に10人組の犯罪集団がいて、多くの村人を殺したりしていた、やがてその集団は仲間割れを起こし、そのうちの一人を警察へ突出し、残りの9人は、さも自分たちが村を殺人鬼から救ったかのような主張をして、見事に罪を逃れ、その後も村でのうのうと暮らしている、そればかりか相変わらず殺人や殺人未遂を繰り返している…

この村が平和だと言えるでしょうか

ましてその捕まった一人は冤罪の可能性もあり、裁判においては残りの9人の息がかかった裁判官が裁判を進めている、唯一息のかかっていない中立な裁判官がその一人の無罪を主張していたとしたら、なおのこと、この村の平和は脅かされ続けるでしょう

日本戦争加害国論者の方々に聞きたいことがあります

もし日本が戦争加害国だったとして、ではなぜ日本は戦争加害国となったのか、というその理由です

当たり前のことですが、一殺人事件であっても、その動機の解明は重要です

動機がわからなければ裁きの下しようもなく、その後の犯罪抑止にもつなげられません

なぜ日本は戦争加害国となったのか

その動機について、日本戦争加害国論者の方々からの明確な論を聞いたことがありません

せいぜい

『明治以降、富国強兵を打ち出し、日清、日露戦争に勝利し、一流国になったと慢心し、領土的な野心をもって外国を侵略した』

などという、陳腐な理由にもならないことくらいしか聞きません

戦争をするためには莫大な費用がかかりますし、多数の犠牲もともないます、まして日本が戦った相手は強大な国々であり、戦争という選択をするのにはリスクが高すぎます

『一流国になったと慢心し…、』

一部にはそういう人もいたのかもしれませんが、そろいもそろって当時の軍人や政治家がそこまで愚か者ばかりであった、などとは到底考えられません

ポツダム宣言にこうあります

『日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ…』

本気で連合国側がそう考えていたかはわかりませんが、ポツダム宣言時において、少なくとも公式的には、日本が戦争にうって出た理由を『世界征服』のため、としています(なぜ世界征服を企んだかが抜けておりますが)

しかしながら、有名な1951年のアメリカ上院軍事外交合同委員会の公聴会において、かのマッカーサーが、日本の戦争目的について次のように証言しております

『Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.』

『by security.』

つまり安全保障上の要請、であると

このsecurityの訳については、いくつか議論があるようですが、少なくとも実際に日本軍と戦い、その後長年日本を占領していた敵国の総大将ですら『一流国になったと慢心し、領土的野心をもって侵略に及んだ』とは考えていないことがうかがえます
(このマッカーサーの公聴会での証言は、ネトウヨ連中によって意訳とも到底呼べない捏造訳が数多くネット上には出回っていますので注意が必要です)

あらためて、日本は戦争加害国である、として、多くの捏造証拠を含んでいることが明らかな過去の日本軍の蛮行を『平和のため』として主張し続ける方々に聞きたい

なぜ日本は戦争加害国となったのか

本気で平和を願うならば、その動機の解明は大変重要であると考えます

それを考えるためには、その時の事象だけ見ていてもわかるはずがありません

少なくともペリー来航、いや、大航海時代からその後、スペインとポルトガルが身勝手にも世界を二分割し、全てを領有すると、本気で世界侵略に乗り出した時代まで遡らなければ、日本が世界と戦争をした理由などわかるはずもありません、歴史は連続しているのですから

そもそも、日本はその歴史を縄文時代まで遡り、現代までの1万数千年間のうち、

『外国と戦争をする』 『外国を侵略する』 『外国を支配する』

などということにかかわっていた歴史的な時間はほんの数十年間です

1万数千年にも渡り、外国とのかかわりで言えば、ほぼ『平和を常態』としていた国であると言えます

こう申しますと

『それは日本が島国であったからだ』

ということを言う人が数多くいますが、同じ島国であるイギリスは、その年表を見れば、その歴史全体を通し絶えず外国と戦争をし、外国を侵略、支配し、時に虐殺などを繰り返しており、ほぼ『戦争と侵略を常態』としていたことからも、島国であることが、日本が概ね平和を常態としていた理由にはなりません

なぜ日本は戦争加害国となったのか

世界の歴史を遡るばかりではなく、日本がどのような歴史を刻み、日本人の感性がどのように育まれ、その上でなぜ外国との戦争に踏み切ったのかを考える必要があると思います


縄文時代と呼ばれる時代、道具や武器、受傷人骨などの研究から、この時代は一対一、もしくは一対複数の戦闘行為の痕跡はあるものの、集団対集団の戦闘、戦争行為の痕跡をほぼ見つけることができません

これは、1万年以上に渡り、平和な世界を築き上げていたことを意味します

戦争に至るほどの文化や文明が発達していなかった、などという人もいるようですが、大規模な集落跡、高度な土器、ヒスイの加工や漆塗りの技術、それなりの文化文明が発達していたことは明らかであり、また、より動物的な本能の方が、縄張り争いなど、戦闘行為に及ぶ可能性が高いことからも、縄文時代は奇跡の時代、と言って過言ではないと思います

時代を下り、弥生時代

魏志倭人伝に、日本人の特徴が次のように書かれております

『其風俗不淫』

その風俗は淫らではない

『不盗竊少諍訟』

窃盗をせず、争い事は少ない

ささいなことですが、大陸からの移住者も増え、直前には『倭国大乱』などがありながらも、縄文のときより1万年以上の時間を経ながらもなお、その平和に対する感性が引き継がれているように思えます

少し時代を下り、歴史上、数少ない日本の外国への出兵の一つ、神功皇后の三韓征討

神功皇后は新羅出兵の直前、大勢の兵士たちを前にして檄をとばされています

『其敵少而勿輕 敵強而無屈 則姧暴勿聽 自服勿殺』

『敵が少なくとも侮ってはならぬ!、敵が多くてもくじけてはならぬ!暴力を振るい婦女を犯すようなことを許してはならぬ!自分から降伏する者を殺してはならぬ!…』

たとえ戦時であろうとも、このような道徳観、倫理観を持ち、戦に臨んでいたことがわかります

これは神話だから、という人もいますが、たとえ神話であろうとも、日本の正史にこのような言葉が記録されている意味は重いと思います(私は西暦364年(363年?)の『倭軍が大挙してやってきた』という朝鮮の史書、新羅本紀に記されるこの事件こそが神功皇后の新羅出兵であると確信しております)

そして、このような道徳観、倫理観はずっと後の世まで受け継がれていたように思います

江戸時代、農村などでも、相互扶助がすすみ、みなが助け合い平和を護っていたことが様々な資料からうかがえます

明治初頭、まだ徳川時代の名残を残す日本を旅したイギリス人女性、イザベラ・バードは、その日本紀行の中で、時に日本人をさげすむような物言いも見られますが、日本ほど女性が一人で旅をしても、侮辱されることもなく、安全で、安心できる国はない、と言ったようなことを述べています

少なくともこのころまでは縄文時代から続く、平和的な日本と日本人の営みが連綿と続いていたことを感じることができます

戦後においても、先進国の中では犯罪も少なく、一昔前までは、夜、鍵をかけずに寝ても、さほどの心配もない国でした


東日本震災、あれほどの大災害に見舞われながらも、被災者の方々は譲り合い、助け合われていました

やはり、縄文の時代からの日本人の感性が受け継がれているように思います

で、あらためて日本戦争加害国を言い続ける人たちに問いたい

おおむねその全歴史を通じ、平和を常態とし、戦時においても、道徳と倫理を保ってきた日本と日本人が、なぜ、大東亜戦争の一時期のみ、突然発狂したかのように

妊婦の腹を裂き、銃剣で胎児を突き刺し狂喜したり、布袋に人を詰め、手榴弾を詰め込み川へ投げ込み、水柱が上がるのを見て笑いあったり、背中の皮を剥ぎ天日で干したり、人を殺して脳みそを食べたり、泣き叫ぶ少女を誘拐し性奴隷にしたり、そのようなおよそ人が想像すらしえない行為をする日本軍と日本人が現れたのでしょうか

それまでの日本の歴史にはほぼ見つけることのできない狂ったような日本人が、大陸において数十万人もの人々を上記のような残虐な方法で殺した、と言われております

なぜ、どうして、そのような日本人が突然歴史の1ページに現れたのでしょう

この疑問にぜひ答えて頂きたい

『戦争という狂気がそうさせたのだ』

などという人がいます

一部にはその狂気に飲み込まれた人もいたかもしれません

ですが、そのような狂気に飲み込まれるような精神力で、特攻機に乗るなんてことができるはずもありません


私は、戦時において、局地的に理不尽にも日本軍の軍事行動によって犠牲になった民間人がいたことまでを否定するものではありません

作戦遂行上、不幸にも巻き込まれた民間人もいたでしょう

上記のように狂気に飲み込まれ、暴走した兵士もいたでしょう

それはそれで歴史として受け止めなくてはならないでしょう

しかしながら、日本が戦争加害国というのならばなぜそうなったのか

概ね平和を常態としていた日本が、なぜ戦争に加わったのかを考えずに、その時代の空気も緊張感もわからぬ現代人が、まるで他人事のように平和のためにと、物言えぬ過去の人に代わって謝罪だ、反省だなどと言い続けたとしても、本当の平和など訪れるはずもない、と考えております


資料館の展示のような光景が、この世界のどこにおいても二度と起きることのないように

そのために、一方で本当にあったかもわからないような日本軍の蛮行を他人事のように言い続け、一方で核爆弾を投下するといった蛮行を放置しているのではなく


なぜ、日本は先の大戦争に加わったのか

その理由を学び、考え、問い、自分の身の丈でかまわないから、行動していかなければならない、そう思っております












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2 コメント

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久しぶりです (猫の誠)
2019-12-09 17:14:08
 核兵器の非道さと、日本の弁明が、良く整理して書かれていますね。これと比較すべきは、支那でかつて日本人に行った残虐行為やウイグルやチベットなどで行われている非道しかないと思います。また石平氏によれば漢族に対しても、宗族の破壊が進んでいるそうですから、漢族に対しても破壊的な中共という国は一体何だろうと思う次第です。続にチャイナチというそうです。
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猫の誠さんこんばんは! (小平次)
2019-12-09 18:26:55
猫の誠さんこんばんは!

コメントありがとうございます

以前、南京事件などについてネット上で議論に参加していたりしたとき、とにかくもう議論がかみ合わなくなるのです

素人の議論だけではなく、日本の歴史学者の論を見ておりますと、その多くに『なぜ?』という根本的な視点が欠けている、それが一番の理由だろう…

たとえ主義主張が違う方でも、根本的な『なぜ?』に立ち帰り、考えて頂ければ、と記事に致しました

『チャイナチ』

広めたいですね、この言葉(爆)

PS 漢民族と漢字についての猫の誠さんの記事、大変興味深く読ませて頂き、いくつかの腑に落ちなかったことが落ちました

ありがとうございました
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