Biman Bangladesh Airlines
30年近く前、私がインドを一人旅した時の日記を元にお送りしております。
前回、クリスチャンとして、神に命ぜられたと思い込み、3度もマザーテレサの死を待つ人々の家で奉仕をしようと、目の前まで行きながらも扉を叩く勇気がなく、痙攣して倒れる老人を見てホテルへ逃げ帰った、と言うところまででした。
続きをどうぞ
*****************************************
マザーテレサの病院へ行かなくてはならない、そして死を待つ人々に神の愛をもって奉仕をしなくてはならない、まるで強迫観念のような感情の中、1日目は場所がわからぬと引き返し、2日目は心の準備が整わない、と引き返し、意を決し行った3日目、目の前で痙攣しながら泡を吹いて倒れ込んだジイサンにビビり、結局病院内に入ることすらできず、ホテルへ逃げ帰った。
ホテルへ逃げ帰り、おれは泣いた。声を出して泣いた。
情けない!情けない!情けない!
なんと弱い人間なのだ!
イエス・キリストの無償の愛を学び、それを実践する者として『死を待つ人々の家』の前まで行った。
だが、おれは逃げ帰った。
結局自分さえ良ければいいのだ!
他人なんかどうなろうとかまわないのだ!
何がクリスチャンだ!
おれは泣いた。泣きながらガネーシャの絵を描きなぐった。
やがて、ひどく心をざわつかせながらバッグから聖書を取り出し、無造作に開いた。
たまたま開いたページにはこう書かれていた。
『あなた方はそれぞれ、神から賜物を授かっている、その与えられた賜物に従ってたがいに仕えなさい………』
それはどういうことだ。おれにはおれに与えられた役目があり、おれ自身にできることをしろ、ということか?
であれば、『死を待つ人々の家』から逃げ帰ったおれも、それは神から命をもらったおれ自身であり、おれにできることをすれば良い、そういうことでいいのか?
おれは、東大の大学院卒の肩書を捨て、ダッカで貧困に立ち向かっているMさんのことを思い出した。
ある時、Mさんがダッカから一時帰国をしたことがあった。そして、ダッカの貧困の状況や、自身の活動を報告する、そういう会がおれの通う教会で催された。久しぶりにあったMさんは、過酷な環境下にあったなどとはとても思えない、変わらぬ明るい笑顔と美貌で、ダッカの現状を語ってくれた。
講演後、簡単な茶話会が催され、おれはMさんと話をする機会に恵まれた。おれは言った。
『Mさん、おれ、Mさんのように自分を捧げるみたいにして人のために奉仕するなんて、とてもできません、それどころか、普段から自分勝手で、酒もたばこもやるし、合コンしたり、遊んでばかり…、教会ではとても言えないようなこともしています、神の教えとはほど遠いような人間です…』
この頃、教会に通うほとんどの人は酒やたばこなどとは無縁であった。聖書の言葉を守り、結婚するまで童貞や処女、大多数の人がそうだったろう。おれのような不届き者はごくわずかであった。
そんなおれに、Mさんは変わらない、明るい笑顔を向け言った。
『小平次クン、それは違うよ、小平次クンには小平次クンに与えられたものがあるんだよ、だって、私には小平次クンの真似はできないし、小平次クンが知り合えるような人たちとも、きっと知り合えない、だから小平次クンは、私や他の教会の人たちが伝えることのできない人たちに、神様の言葉を伝えることができるんだよ! 小平次クンらしくすればいいんだよ!』
ああ…、本当に、本当にそれでいいんですか?
泡吹くジイサンを見て逃げ帰ったおれも、この先、生きて行くことが許されるのですか?
Mさんの言葉を思い出し、また泣いた。そしてガネーシャを描きなぐった。
それから数日間、おれは呆けたようになっていた。Mさんの言葉と、逃げ帰ったおれ自身の罪悪感、無力感、それがおれの心の中を交錯し続けた。
罪悪感、無力感が勝ると、もう何もかもがどうでもよくなった。おれがこの先生きて行ったとしても、その人生は利己的で自己中心的で、心から人を愛する、そんなことはできないに違いない、であれば生きる意味はんだ?
この部屋を一歩出れば、人からわずかな金を恵んでもらい、目標もなく、ただその日をやり過ごすためだけに生きている人間が大勢いるではないか。
そいつらだって、いつ、ゴミに埋もれ、朽ち果て、この悠久の大地と同化してしまうかなんてわからないのだ。
おれのこれからの人生と何が違うんだ?
おれがこの街で、金を使い切り、やがて金持ちそうな日本人観光客相手に、虚ろな目をして手を差出し、『Money…』とやって、物乞いとして生きて行く。そしていつかこの街に同化していく。
やがてこのような考えが支配的となり、気力、体力、その他、すべての生きる力が全身から抜けていくような気がした。そして、それがなぜか心地よく感じられるようになり始めていた。
『この街と、インドと、悠久の大地と、おれは同化してしまおう…』
本気でそう思った瞬間であった。
おれは寝そべっていたベッドから飛び起きた。そして、一瞬でも本気で『同化してしまおう』と考えたことに恐怖を覚えた。
『ダメだ!ダメだ!ダメだ!ダメだ!!!!!』
『何を考えているんだ!ダメだ!ダメだ!』
『帰るんだ! 日本へ! これから送るべきであろうおれの人生、おれにはおれの人生がきっとある! 帰ろう! 日本へ!』
『危ない…、本当に危ないところだった…』
それから、Biman Bangladesh Airlinesの1年オープンチケットを握りしめ、部屋を飛び出し、インド博物館の並びにある Biman Bangladesh Airlinesのカルカッタオフィスへ向かって走り出した。
*************つづく
この時は本当に『危なかった』と心からそう思いました。まさに魔の潜む街、カルカッタ、そう思いました。今思い出しても、あの時飛び上がっていなければ一体どうなっていただろう、そんなことを思います。インド、特にあの街カルカッタ、圧倒的な人間の本能と、渦巻く混沌、弱い心で向かうと飲み込まれてしまう、そんな感じだったですかね~
30年近く前、私がインドを一人旅した時の日記を元にお送りしております。
前回、クリスチャンとして、神に命ぜられたと思い込み、3度もマザーテレサの死を待つ人々の家で奉仕をしようと、目の前まで行きながらも扉を叩く勇気がなく、痙攣して倒れる老人を見てホテルへ逃げ帰った、と言うところまででした。
続きをどうぞ
*****************************************
マザーテレサの病院へ行かなくてはならない、そして死を待つ人々に神の愛をもって奉仕をしなくてはならない、まるで強迫観念のような感情の中、1日目は場所がわからぬと引き返し、2日目は心の準備が整わない、と引き返し、意を決し行った3日目、目の前で痙攣しながら泡を吹いて倒れ込んだジイサンにビビり、結局病院内に入ることすらできず、ホテルへ逃げ帰った。
ホテルへ逃げ帰り、おれは泣いた。声を出して泣いた。
情けない!情けない!情けない!
なんと弱い人間なのだ!
イエス・キリストの無償の愛を学び、それを実践する者として『死を待つ人々の家』の前まで行った。
だが、おれは逃げ帰った。
結局自分さえ良ければいいのだ!
他人なんかどうなろうとかまわないのだ!
何がクリスチャンだ!
おれは泣いた。泣きながらガネーシャの絵を描きなぐった。
やがて、ひどく心をざわつかせながらバッグから聖書を取り出し、無造作に開いた。
たまたま開いたページにはこう書かれていた。
『あなた方はそれぞれ、神から賜物を授かっている、その与えられた賜物に従ってたがいに仕えなさい………』
それはどういうことだ。おれにはおれに与えられた役目があり、おれ自身にできることをしろ、ということか?
であれば、『死を待つ人々の家』から逃げ帰ったおれも、それは神から命をもらったおれ自身であり、おれにできることをすれば良い、そういうことでいいのか?
おれは、東大の大学院卒の肩書を捨て、ダッカで貧困に立ち向かっているMさんのことを思い出した。
ある時、Mさんがダッカから一時帰国をしたことがあった。そして、ダッカの貧困の状況や、自身の活動を報告する、そういう会がおれの通う教会で催された。久しぶりにあったMさんは、過酷な環境下にあったなどとはとても思えない、変わらぬ明るい笑顔と美貌で、ダッカの現状を語ってくれた。
講演後、簡単な茶話会が催され、おれはMさんと話をする機会に恵まれた。おれは言った。
『Mさん、おれ、Mさんのように自分を捧げるみたいにして人のために奉仕するなんて、とてもできません、それどころか、普段から自分勝手で、酒もたばこもやるし、合コンしたり、遊んでばかり…、教会ではとても言えないようなこともしています、神の教えとはほど遠いような人間です…』
この頃、教会に通うほとんどの人は酒やたばこなどとは無縁であった。聖書の言葉を守り、結婚するまで童貞や処女、大多数の人がそうだったろう。おれのような不届き者はごくわずかであった。
そんなおれに、Mさんは変わらない、明るい笑顔を向け言った。
『小平次クン、それは違うよ、小平次クンには小平次クンに与えられたものがあるんだよ、だって、私には小平次クンの真似はできないし、小平次クンが知り合えるような人たちとも、きっと知り合えない、だから小平次クンは、私や他の教会の人たちが伝えることのできない人たちに、神様の言葉を伝えることができるんだよ! 小平次クンらしくすればいいんだよ!』
ああ…、本当に、本当にそれでいいんですか?
泡吹くジイサンを見て逃げ帰ったおれも、この先、生きて行くことが許されるのですか?
Mさんの言葉を思い出し、また泣いた。そしてガネーシャを描きなぐった。
それから数日間、おれは呆けたようになっていた。Mさんの言葉と、逃げ帰ったおれ自身の罪悪感、無力感、それがおれの心の中を交錯し続けた。
罪悪感、無力感が勝ると、もう何もかもがどうでもよくなった。おれがこの先生きて行ったとしても、その人生は利己的で自己中心的で、心から人を愛する、そんなことはできないに違いない、であれば生きる意味はんだ?
この部屋を一歩出れば、人からわずかな金を恵んでもらい、目標もなく、ただその日をやり過ごすためだけに生きている人間が大勢いるではないか。
そいつらだって、いつ、ゴミに埋もれ、朽ち果て、この悠久の大地と同化してしまうかなんてわからないのだ。
おれのこれからの人生と何が違うんだ?
おれがこの街で、金を使い切り、やがて金持ちそうな日本人観光客相手に、虚ろな目をして手を差出し、『Money…』とやって、物乞いとして生きて行く。そしていつかこの街に同化していく。
やがてこのような考えが支配的となり、気力、体力、その他、すべての生きる力が全身から抜けていくような気がした。そして、それがなぜか心地よく感じられるようになり始めていた。
『この街と、インドと、悠久の大地と、おれは同化してしまおう…』
本気でそう思った瞬間であった。
おれは寝そべっていたベッドから飛び起きた。そして、一瞬でも本気で『同化してしまおう』と考えたことに恐怖を覚えた。
『ダメだ!ダメだ!ダメだ!ダメだ!!!!!』
『何を考えているんだ!ダメだ!ダメだ!』
『帰るんだ! 日本へ! これから送るべきであろうおれの人生、おれにはおれの人生がきっとある! 帰ろう! 日本へ!』
『危ない…、本当に危ないところだった…』
それから、Biman Bangladesh Airlinesの1年オープンチケットを握りしめ、部屋を飛び出し、インド博物館の並びにある Biman Bangladesh Airlinesのカルカッタオフィスへ向かって走り出した。
*************つづく
この時は本当に『危なかった』と心からそう思いました。まさに魔の潜む街、カルカッタ、そう思いました。今思い出しても、あの時飛び上がっていなければ一体どうなっていただろう、そんなことを思います。インド、特にあの街カルカッタ、圧倒的な人間の本能と、渦巻く混沌、弱い心で向かうと飲み込まれてしまう、そんな感じだったですかね~
笑い事ではないようですが
面白くて笑えました。😅
>何がクリスチャンだ!
>おれは泣いた。泣きながらガネーシャの絵を描きなぐった。
何でか‥可笑しかったです。
>Mさんの言葉を思い出し、また泣いた。そしてガネーシャを描きなぐった。
めちゃ笑えました😅
絵描きさんですか?
そうですねー
このときは本当に笑い事じゃなかったですけどねー
で、後の人生に大きな影響でもあったかと言えばそうでもありませんので、やはり笑い話かもしれません
ありがとうございました
こないだ 一読して コメントが遅れました・・・
俺、小平次さんの気持ちわかるなぁ~
人が苦しみ もがいている
壮絶な場面に出くわした時 医術も何も分からない
自分が なす術も無く 凍り付いてしまう状況・・・
僕ぁ~小平次さんの青年の美しさに感動してますよ
こういう衝撃に出会い 悩み苦める若い人は
菩薩の卵ですよ
コメントありがとうございます!
>>僕ぁ~小平次さんの青年の美しさに感動してますよ…
いやぁ、この時の自分、自分自身はなんと醜いのだろう、そんな気持ちでした。
日記にはこの時の感情まで書き記していないので、日記に刻まれた、情けない! とかの言葉を追いながら書いています。
数十年経って、あの時の言い表しようのない感情を、ようやく客観的に見ることができるようになりました。
あと、数回で本編は終わると思います。
ここまでカワムラさんに励まされ、よく書いてきた、と思います。
次回からは帰国へ向けて、また珍道中に戻ります
宜しくお願いします
ありがとうございました