こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
以前連載した『インド放浪・本能の空腹』、あの時から6年後、私は再びインドを訪れました。
会社勤めをしておりましたので、2週間ほどの短い期間でしたが、まあまあ、色々な出来事がありましたので、その時の様子をまた日記風につづって行きたいと思います
まずは出発までのお話
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おれは相当に病んでいた。心が。
順風満帆に思えていた人生、それがこの時のおれには、乗り越えることがかなり難しい問題に直面していた。いや、それは本当のところ、おれが一つ、ただ一つのこと決断さえすれば解決できる問題であったが、おれの心がその決断を受入れることができずにいたのだ。
だから相当に病んでいた。心が。
心の病んでいる人間のその気持ちなど、病んでいない人間には理解ができず、『しっかりしろ!』だとか『お前はそんな人間じゃなかった』だのと軽く言うものだから、おれ自身も悪いのはおれだ、実際そうだったのかもしれないが、より病んでいくことになる。
ある日、二世帯住宅で同居していたおれの母の一言でおれの中で何かが切れた。おれはクリスチャンでもあったが、数年前よりキリスト教そのものに疑念を抱き、決別していくことを決めていた。クリスチャンであること、おれのアイデンティティの大きな部分を占めていたわけで、その決別は自己否定そのものと言っても良かった。それがこの時のおれの置かれた状況と相まって、より一層心を苦しめていたのだ。
母の一言、何だったかは覚えていない、だがおれはその一言に絶望を感じ、キッチンに向かい包丁を手に取り、自分の左腕の思い切り何度も叩いたのだ。当然血が噴き出た。自分の腕から噴き出す真っ赤な血の噴水を見て我に返った。
『何やってんだ、おれ。。』
母が泣きながら、それでも毅然と血まみれのおれの左腕をタオルでくるみ、救急車を呼んだ。何針縫ったかは忘れたが救急病院で処置をし、数日後には普通に動かせるようになった。その傷は今もおれの左腕に刻まれている、傷口の端を押すと、今でもピリピリと痺れを感じる。
こうなる予兆は少し前からあったのだ。ある日のオフィス、何かの書類を書いていたおれの隣の席の同僚が、右手でボールペンを上下に振りながら言った。
『あれ、インクが無くなったかな、澤田さん、ちょっとボールペン貸してくれませんか』
『ボールペン? いいよ、ちょっと待って』
おれはボールペンを手にとろうと自分のデスクの上を眺めた。だが、ここで少し異変が起こった。
(ボールペン、ボールペン、ボール、、ペン、 ボールペン、、て、どれだ? ボールペンって、なんだ?)
胸の鼓動が激しくなってきた。(ボールペンがなんだかわからない? いや、そんなことがあるはずがないのだ、でも、本当にボールペンがわからない。。)
おれは、よもや自分がボールペンが一体なんなのかがわからなくなっている、とは悟られないよう必死に冷静を装いながらデスクの上を探す仕草を見せた。
同僚は作業を止め、おれからボールペンを受け取ろうと椅子をこちらに向け待っている、冷や汗をかきながら、ようやく目の前に会った赤と黒の二色ボールペンを見つけ、(あ、ああこれだ、これだよ!ボールペンは!)
何事もなかったようにおれはその二色ボールペンを同僚に渡した。そしてすぐにオフィスを出て、荒くなった呼吸を整えるべく、非常階段に出る重たい金属扉を開け外に出た。7階から非常階段の鉄柵を少し乗り出し下を眺めた。不意に、今ここから飛び降りることがおれのすべきことのような感覚に襲われた。慌ててその感覚を打ち消し、このままこの場にいるのは危険だと判断しオフィスへと戻った。
(マズイな、これはけっこうマズイな。。)
おれはすぐに早退を上司に申し出て、近くの大きな病院の精神科を受診した。医師に今の自分の置かれている状況などを説明し、たった今ボールペンがなんだか急にわからなくなったこと、非常階段の7階から、まるで自分の意思とは無関係であるかのように飛び降りそうになったことなどを説明した。
医師は、結局のところ、おれの抱えている問題が解決することが最優先だろう、と言い、とりあえず精神安定剤を処方してくれた。自傷流血事件は、精神科に通院を始めて一か月後のことであった。
左腕を吊るして来院したおれを見て医師は深刻そうな表情を見せ言った。
『マズいですね、うーーん、澤田さん、ちょっと今度ご家族と一緒に来てもらえますか、ご家族も含めてお話ししましょう』
数日後、おれは父と病院に行った。
『結局は今、小平次さんが抱えていることを無くすことしかないんですね』
医師はおれでなく、父に向って話をしている。
『一時的にはつらいかもしれませんが、前を向いて人生をやり直す、難しく考えずに時間をかけてゆっくり気持ちを切り替えて行く、時が薬、とも言いますからね』
父もこの医師の言葉にうなずいていた。実際おれもそれしか道がないことはわかっていた。
桜木町にあったその病院を出て、みなとみらいの方へと向かった。まるで子供のころの親子にもどったように、遊覧船に二人で乗った。潮風を浴び、海を眺めながらおれは言った。
『オヤジ、迷惑かけてすまなかった、もう決めたよ、前へ進む』
『そうか。。』
同じように海を眺めながらオヤジが答えた。
『それにしても、横浜の海は随分きれいになったな。。』
『ああ、あそこに見える汽車道で、おれは随分たくさんスズキを釣っているんだよ。。』
それからおれは、まるでずっと心に強く巻きついていた太い縄を断ち切るように、前に進むことを決断した。キリスト教からの決別も誓った。家族の他にもおれを支えてくれる人にもまた出会えた。完全に心が回復したと思えるようになったのは、さらに数年がかかった気もするが、この時はただ、
前に進もう
前に進もう
そう強く思っていた。
だが、それには大きく気持ちを切り替える、何か儀式のようなものが必要な気がした。
『儀式』
しかも強烈にインパクトのある
『儀式』
おれの頭に一つだけ浮かんだものがあった。
『そうだ! インドへ行こう!』
そうだ、インドへ行こう、あの悠久の大地へ再び、人間の原点そのものがあからさまに蠢く街カルカッタ、バブーたちのいるプリー、そうだ、インドへ行こう!
そう決めたおれだったが、心の回復がまだ完全ではなかったこともあり、親には反対をされたがおれの決意は変わることはなかった。
インドへ! いざ、再び!
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二度目の時は日記をつけていませんでしたので、記憶のみを頼りにつづってまいります。初回はいきなり暗い感じで始まりましたが、旅行中はとても楽しかったので、またお付き合い頂ければ幸いです。