週五日記

ボチボチがんばります

デカルト⇒カント⇒ヘーゲル⇒マルクス

2009-06-05 08:55:20 | Weblog
ヒトがリンゴを見ているとする。

デカルトは、りんごそのもの(客観)と、

見えているリンゴ(主観)が一致すると。

カントは、リンゴそのもの(客観)の世界は、

認識しえないと。しかし、見ているリンゴ(主観)の

経験については、多くのヒトが共通の経験をすれば、

正しい認識ではないか?と。

ヘーゲルは、あくまで、見えているリンゴを出発点として、

リンゴそのもの(客観)を作り出していくのは、ヒトの成長によって

磨かれる理性ではないか?といったのだろうか?


この3者の背景には、正しい世界認識への渇望があって、

その渇望は、神学とか、僧侶とか、宗教が、それを独占してきた歴史から

うまれたんだろうな。


マルクスは、ヘーゲルをまっこうから否定して、

人間に理性があるなら、理想的な社会になるはずじゃないかと。

しかし、貨幣や資本によって、そういった理性とか、倫理とか、

がぬけおちてるではないか?と。そこで、正しく世界認識すれば、

資本家と労働者の対立があり、それこそ問題だと。


上記のような背景があって、理想社会なんか作れないという、ニヒリスティックな

現代思想の先端(デリダとか)まで

たどりついたと。

でも、竹田先生は、現代思想の向こう側へ行く道があり、

いつでも社会を変えることが出来る可能性があると。


それは、まだ読みかけなので。

コメント
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