今朝、読了。
エスノグラファーが、
なぜ、そのケースに関心を持ったかという
独白というか、告白が、けっこう大事な部分かも
しれない。「観察する」動機が何か?を、最後の最後に
語るのが、「礼儀」かもしれないな。
栗木先生の「構築主義の視角によるマーケティングリサーチ再考」
の論文を、50%ぐらいの理解な感じで。
コーラの事例で、新コーラのマーケティングをしたと。デザインとか、
味とか。公表だったと。それで、新コーラを発売し、旧コーラを販売中止とした
ら、苦情の電話の嵐。つまり、消費者は、旧コーラがあることを前提に、
新コーラを認めただけだったと。これぞ、「リサーチャーの内部性」の問題?
確か、ポパーの「歴史主義の貧困」で同じことを言ってたなあ。
じゃあ、マーケティング研究あるいは、リサーチに意味はあるのか?
エスノグラファーが、
なぜ、そのケースに関心を持ったかという
独白というか、告白が、けっこう大事な部分かも
しれない。「観察する」動機が何か?を、最後の最後に
語るのが、「礼儀」かもしれないな。
栗木先生の「構築主義の視角によるマーケティングリサーチ再考」
の論文を、50%ぐらいの理解な感じで。
コーラの事例で、新コーラのマーケティングをしたと。デザインとか、
味とか。公表だったと。それで、新コーラを発売し、旧コーラを販売中止とした
ら、苦情の電話の嵐。つまり、消費者は、旧コーラがあることを前提に、
新コーラを認めただけだったと。これぞ、「リサーチャーの内部性」の問題?
確か、ポパーの「歴史主義の貧困」で同じことを言ってたなあ。
じゃあ、マーケティング研究あるいは、リサーチに意味はあるのか?