週五日記

ボチボチがんばります

日常の理論

2012-05-17 05:38:24 | Weblog

日常的にも人間は考えているはず

である。したがって、考えても分からないこと、

私で言えば『ガラケー』って何の略だろう?という

問題意識は、なんとか解決しようとするはず。

 

内田樹さんもラジオデイズの配信でいっていたが、

『わたしは、分かりません○(マル)』で終わってしまうヒトは、

問題意識を、『意図的に』自分の脳内から排除しようと

しているのか?

 

自分が必要だと思う『秩序の体系』しか、もてなくなるのではないか?

直感と実感からであるが、自分の外側のことに対して、意図的に『遮断』

しているのではないか?では、なぜ『遮断』するのか?と考えると、

そのほうが『楽』だからとかになるのだろうか?

あと、『この秩序の体系を選びます』の時点で、価値観が固定されてしまっている

のではないか?

自分なり、相手なりの『価値観』が間違っていたり、他に、よりよい価値観があるかも

しれない、という謙虚さというか、態度を『留保』することはないのか?

 

『わたしは、分かりません○(マル)』の人たちと、いかに付き合うべきか?

『いまのところ』、『わたしは、分かりません○(マル)』

コメント
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