日常的にも人間は考えているはず
である。したがって、考えても分からないこと、
私で言えば『ガラケー』って何の略だろう?という
問題意識は、なんとか解決しようとするはず。
内田樹さんもラジオデイズの配信でいっていたが、
『わたしは、分かりません○(マル)』で終わってしまうヒトは、
問題意識を、『意図的に』自分の脳内から排除しようと
しているのか?
自分が必要だと思う『秩序の体系』しか、もてなくなるのではないか?
直感と実感からであるが、自分の外側のことに対して、意図的に『遮断』
しているのではないか?では、なぜ『遮断』するのか?と考えると、
そのほうが『楽』だからとかになるのだろうか?
あと、『この秩序の体系を選びます』の時点で、価値観が固定されてしまっている
のではないか?
自分なり、相手なりの『価値観』が間違っていたり、他に、よりよい価値観があるかも
しれない、という謙虚さというか、態度を『留保』することはないのか?
『わたしは、分かりません○(マル)』の人たちと、いかに付き合うべきか?
『いまのところ』、『わたしは、分かりません○(マル)』