小さいサバで
油がのってないと、マズイ。
塩でも、ごまかしきれない。
ヨーロッパのひとが、調味料を
アジアに求めたのを体感。
広島空港近くの、1980円の温泉つき和食定食は、
豪華海鮮丼と、天ぷらと、果物ついて
かなりお得。
小さいサバで
油がのってないと、マズイ。
塩でも、ごまかしきれない。
ヨーロッパのひとが、調味料を
アジアに求めたのを体感。
広島空港近くの、1980円の温泉つき和食定食は、
豪華海鮮丼と、天ぷらと、果物ついて
かなりお得。
グローバル化における日本の人文社会科学のあり方、
について。
日本的経営が、注目されたこともあったが、
第二次世界大戦前の「日本資本主義論争」の
労農派 VS 講座派における
「日本資本主義」は、なぜか途絶えてしまっている、という
指摘も、なるほどな、であった。
よくわかっていないが、「日本資本主義論争」に興味がわく。
グローバル化における日本の人文社会科学のあり方、
について。
日本におけるグローバル化とは、欧米諸国に
キャッチアップすることの比重が高いが、
「日本的経営」が世界に注目されたように、
「特殊な」日本の経営が注目されたこともある。
じゃあ、どちらのマインドセット(キャッチアップと、特殊化)
のどちらがいいのだろうか?
岩井先生の答えは、「どちらもアリではないか」だったように思う。
両論併記される二つの価値観ではないか?
というか、欧米の科学なり、日本の科学が注目されるのは、
国力(政治力、文化力、軍事力)に影響を受けるのではないか?
そう考えると、国力というのは、相対的に決定されるもので、
現在で言えば、中国が元気で、日本が元気がない。
グローバル化における日本の人文社会科学のあり方、
というタイトルで、先生自身が数十年間考えてきた
ことだそうである。
まずは、人文社会科学について。
人文社会科学は、理論経済学のように、
完全な「理論」として、というか「普遍」的なものとして
存在する領域もあれば、
かなり日本という国のコンテクストに依存している学問もある。
例えば、哲学とか、文学というのは、コンテクストに依存する学問であろう。
そこまで考えると、「理論」と日本語という「言語」を完全に切り離して
「世界標準」の「理論」になる場合と、「日本語」と「理論」が切り離せず、
日本国内向けの理論となる場合もあると。ほーーーーーーーーーーーーーーーー、納得。
長くなりそうなので、(2)は後ほど別アップ。