テレビで、かつ丼をみて、
食堂で注文した。
普段は弁当なので、
そんな、小さなことが、うれしい。
「科学性」について考えている。
個人的に、科学性が必要な理由は、「普遍性」や「客観性」が
ないと社会に貢献できないからだと思う。
しかし、「科学性」を追い求めすぎると、
「抜け落ちていく」ものもあるのではないか?
それと、社会経済的背景や、自然環境に
「埋め込まれた」研究者&研究対象だと考えれば、
そもそも、「科学性」を追い求めることは、困難ではないか?
そう考えると、「おばあちゃんの知恵」や「ポイントテクニック」のようなものを、
そうした知恵やテクニックを利用する人間が、利用する時点で、
社会経済的背景や、自然環境に応じて、「適切に利用」するほうが、
個人的にも都合がよいし、社会全体としてもbetterな方向に
いくのではないか?と思う。
要するに、何がいいたいか、といえば、「科学性」や「普遍性」
は、かなり困難であり、そうしたことが、「思考の足かせ」になることも、
かなり問題なのではないか?
「高級な釣竿(カーボン製の、プロ仕様の竿」と、「さびきセット付きの竿2000円」
は、どちらが良いのか?ということは、深く考えれば考えるほど、
答えがない問題なのではないか?
そして、そうした問題を理解したうえで、「科学性」を追求すべきではないか?