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山形県遊佐町北目□□
最近、久しぶりに文部省唱歌の「春が来た」を聴きました。
いや~、懐かしいなぁ、良いもんだなぁ、と聴き入っていたのですが、聴いているうちに何かちょっと違和感を覚えてしまいました。
それは、この歌の歌詞、
『春が来た、春が来た、何処に来た。山に来た、里に来た、野にも来た。』♪
こ、これは・・・、春が来る順番が逆ではないですか~。(-へ-;)ヘリクツ?
雪国に住んでいると、春は雪が融けてゆきますので目にもはっきりと分かりますよね。
春が来る順番は、まず低い野に来る。次に里に来て、最後に山をせり上がってゆくように春はやってくるのです。
この歌を作詞した方はきっと雪のない地方の方だな、と思い検索してみました。
『作詞 高野辰之』
あれ?
あの「故郷」や「春の小川」などを作詞した高野辰之さん?
じゃあ、長野県出身じゃないですか・・・。
う~ん、雪国の春を熟知しているはずですねぇ・・・。
じゃあこれはきっと、このほうが語呂がよかったのでこの順番なのですね、きっと・・・。
考えすぎたか・・・(-_-;A
でも、やはり、気がついてしまうと何かしっくりこないなぁ。(あー、しつこい (^^;))
と、言うことで、 『春が来た』酒田バージョンを作ってみました。
『春が来た、春が来た、何処さ来た。 港さ来た、田んぼさ来た、山(鳥海山)さ来たぁ。』♪
如何でしょうか、ちょっと訛ってみました・・・。
ちなみに、『春が来た』鶴岡バージョンはこの歌詞の山(鳥海山)→山(月山)にするだけです。
どーでも、いぃってが・・・、 もっけでした。。。(-_-;A by庄内弁
今年は わが庄内にも 早い春かな?
当然下界の里や野の方が先なんですが、「昔の信仰」(今も残っている所もありますが)は山の神が里に下りてきて田の神になり豊富な雪解け水で田や畑を潤し、収穫後は山の神へと戻ってゆきます。
こういう山ノ神への崇拝から春は山から~となったと考えましたがどうでしょうか?
しかし、早いですよねぇ、春。
今日は荒れていますが、先日、土の薫りがしてきました。この薫りがするって事は、大地が温かいわけですから雪はもう積もらないのでしょうね。
何だか心配もありますが、やはり春は心がうきうきしてきますね。
ぶくさんの活躍も大忙しになりますね~。
身体に気を付けて頑張って下さいね。
いや~、おっしゃる通りですねぇ。
目が覚めました。本当におっしゃるとおりだと思います。
春は野や里に先に訪れ、そして山に上がって行く、というのは自然の現象を目で捉えたもの(つまりは雪解けの順番)ですが、農耕の民がその生活で春を感じるのは、山の神を田畑にお迎えし、そこからその年が始まると感じるわけですので、山の神が降りてくる=春がやってくる、つまり春は山が先なのですね。
これは良いお話しをありがとうございました。
私の考えが浅はかでした。
これからも色々教えて下さ~い。