雪国の心
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山形県遊佐町白井新田□□
2月になったというのに、庄内平野には雪がまったくと言っていいほどありません。
(写真は一昨年の2月のものです。)
こんな冬は、未だかつて無かったのではないでしょうか。少なくとも私の記憶にはありません。
お正月頃は、雪が無くて良いお正月だ、とか、今年の冬は楽で良いとか言う人がほとんどでしたが、さすがにここまで雪がないと戸惑いを感じてしまいます。
先日、あるお年寄りがこう言ってました。
「雪がねぐって、なんだが もっけだよだの~。」(雪が無くて、何だか申し訳ないようだね。)
雪が積もらないと嬉しいけど心配・・・。
それは雪国の人間の正直な気持ちです。
毎年冬は、雪との格闘の日々です。雪に苦しみ来る日も来る日も鉛色をした空を恨めしく仰ぎ見ます。けれども一方では、雪の美しさや、雪国ならではの風習や遊び、雪の中でしか感じることの出来ないぬくもりや優しさを分かち合い喜んでいることもまた事実です。
つまりは雪国に生きる人々は、雪を憎み同時に愛しているのです。
立春を過ぎてしばらく経った頃から、雪解けの微かな足音は密かに聞こえはじめます。
降っては融け、また降っては融けてを繰り返して固くなった雪が少しずつ崩れはじめ、やがてその雪解けの隙間にフキノトウが顔を出します。淡い緑色の小さな生命の塊、それを見つけたときの気持ちは言葉では言い表せないほどワクワクします。
その感動は、共に厳しい季節を乗り越えてきたものに対する共感と慈しみ、そして命の逞しさへの畏敬と憧憬なのです。
例えば、今は天国にいる私の祖母がフキノトウを見つけたら、きっとこう言うに違いありません。
「めんごいバンケ、今年も出はたの~。えらい、えらい、よ~ぐ さんぶなどご我慢して出はてきてくっだの~ぅ、ありがで、ありがで。(合掌)」
(可愛いフキノトウ、今年も生えてきたね~。えらい、えらい、よく寒いのを我慢して生きていてくれたね、なんとありがたいことでしょう。)
雪国の人間は口数が多くありません。滅多に自慢しないし、余計に褒めません。恨み言を声高にしたりせず、ひたすら我慢します。
しかしそれは、厳しい自然が育てた嘘偽りのない頑なまでの美意識なのだと、私は思うのです。
(酒田市出身の詩人、吉野弘さんはそれを「冬をもらう」と表現しました。冬をもらって、春をもらって、そうやって人間の精神は形成されて行くのだと。)
人には自分の思いをむやみに押しつけず、人間の誠を信じ、自然とは飾らない心で真摯に向き合う。それは生きること(=命)への誠実さ、優しさなのだと思うのです。
やがて本格的な春の訪れを迎えると、雪国ではあちらこちらでコブシやマンサクが、梅や桃や連翹が、そして桜が、遅い春を取り返そうとでもするように一斉に開花をはじめ、同時に森の緑は山肌を一気に萌え上がります。
閉じこめられていた生命が爆発するように踊り出す感動の春を体感出来る特権、それは自然が雪国に暮らす人々に与えてくれたご褒美なのです。
でも、今年の雪の無さではどうでしょうか。
きっといつもの年よりも春の喜びが少ないに違いありません。
雪国の人々が雪の無さに戸惑いを覚えるのも、そんなことが少なからずあるのだと思うのです。
「雪国の贈りもの」~雪国を愛する心溢れる童話集~
「雪国の自然と暮らし」 ~ふるさとのくらし日本のまちとむら 7雪国のくらし~
お昼に会社でこちらの記事を読ませていただいて
コメントしたいなって思っていました
意味合いの前に言葉そのもののもつ響きが美しい日本語って
たくさんあると思うんですが、
「冬をもらう」 って本当にきれいです
口からこの言葉を出すのにちょっと敬意をはらってしまいそうなくらい。
同郷といえど私のしらないエピソードをいつもありがとうございます。
いいのか わるいのか 自然には 逆らえないしね
最近の書いた詩を記事に贈るね!
こんなの書いて暇つぶし しています
*5悪くない
僕は悪くない
君も悪くない
みんなも悪くない
僕は間違っちゃいない
君も間違っちゃいない
みんなも間違っちゃいない
でも僕は ふと考え直してみる
僕が悪かったのかな 間違えてたのかなと
冬は寒くコタツを囲み、夏は暑く海水浴場がにぎわう~が農業や産業にいろんな意味で一番です。
暖冬が進む世界で、次の世代はどうなっているでしょうか。
僕はこの間、北海道に行ったのですが本当に雪が少なかったと思いました。
雪が無いと交通などで便利で良いなと思うのですが、やはり無いと心配します^^;
やっぱり温暖化なのでしょうか?
>人には自分の思いをむやみに押しつけず、
>人間の誠を信じ、自然とは飾らない心で
>真摯に向き合う。それは生きること(=命)へ
>の誠実さ、優しさなのだと思うのです。
本当にそうですよね!
僕も気をつけて人間関係を育もうとしているのですが、こういったことはやはり難しいなといつも思います><
冬をもらう。私も最初にこの言葉に接したときは、良い言葉だなと思いました。以来、忘れられない言葉になっています。
私たちは何気なしに四季を過ごしていますが、きっと一季一季何かしらをもらいながら成長してきたんだと思うんですよね。ですから季節をもらう、とは自然への畏敬と感謝、そんな心の有様のことのように思えてとても美しいと思います。
実は、このエントリーをアップした翌日から雪が降ってきまして、今日は吹雪いています。やっときてくれたか~、と思う反面、やはり・・・・寒いです。(-_-;A
やあ♪ 素敵な詩ですねぇ。
誰しも悪くないと思っているし間違えていないと思っていますが、それでもあえて、間違っているのかも知れない、と思うことが大切ですよね。
完璧な人間なんて存在しないのだし・・・。
昨日からやっと雪が降ってきましたね。やっときたかと安心が半分ですが、やっぱり さぶ~い!!
人間って・・・、わがままですね。
庄内人ですね。嬉しいなぁ。
本当に今年は異常ですね。私も仙台に住んでいた頃、どうしても冬の地吹雪が見たくなってそのためだけにわざわざ帰郷したことがありました。
辛く厳しいものでも、故郷の風景は心に染みついているんですよね。
こんな季節は今年だけにして欲しいです。でないと、豊かな庄内が壊れてしまいそうで不安ですよね。
ではでは、今後ともよろしくお願い致します。
北海道も少ないのでしょうね、雪。そう言えば、札幌雪祭りは大丈夫なのでしょうか?風物詩が無くなってしまうのは寂しいですよね。
押しつけず、信じ、飾らないで生きる。本当にむずかしいことですよね。でも、過酷な自然環境の中ではそれが身に付きやすいのかも知れません。自然はわがままや虚飾を許しませんから。
見てねー
お婆様の声が聞こえてくるようです。
冬を・・・春をもらう・・・
季節をもらって生きていく・・・
確かにそうなのでしょう。
さて雪が無いと撮影にも影響が出そうです。
雪国のはじける様な春は今年も見ることができるでしょうか。。。