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山形県遊佐町白井新田□□
渡せなかった花束
些細な出来事なのだけども、今でも忘れられないでいる事がある。
13年前、当時5歳の娘はピアノを習っていた。
妻の希望で市内の某ピアノ教室に通っていたが、そこのピアノ教室は年に1度、市内の大きな文化センターのホールを借り切っての生徒の発表会があった。
発表する生徒は幼年から中高生まで80名ほどで、とても豪華な生花が生けられた大きなステージ中央のグランドピアノで演奏する本格的なものであった。
幼年の部の発表は、会の前半に組まれており、我が娘の出番は確かその5~6番目だったと思う。発表会の始まったばかりの緊張感が会場にはあり、初めての発表会を経験する幼い娘には少し荷が重すぎるような気がした。
演奏を終えた生徒たちは、椅子から立ってピアノの傍らできちんとお辞儀をする。すると、その子の両親や兄弟や祖父母たちがすかさずステージ下にかけより花束を渡すのが恒例のようであった。
いよいよ、娘の演奏である。
たかが幼児のピアノ演奏だ、と思ってもそこは自分の子供のことである、心臓が高鳴り手が震えた。間違わないで無事終わってくれ、とそれだけを願う。
たどたどしい演奏もとりあえずミス無く無事終了した。
そして、椅子から立ってきちんとお辞儀をした、
その時である、
「しまった。」と思った。
なんと、私も妻も娘にあげる花束を用意していなかったのである。
娘はきちんとお辞儀をした後、もらえるはずの花束を待っているように暫しその場に佇み、チラリチラリと周囲を窺っている。そして、やがて諦めたように舞台袖にとぼとぼと歩いて退場した。
心が痛かった。
発表終了後、そのことを娘に詫びたがそこは幼児のことで、別に何とも思っていない様子であった。ほっとした。
月日は流れ、今その失敗談を娘に聞いてみると、案の定まったく憶えていないと言う。そして妻は、記憶はしているがそんなこともあったわね、程度だ。あの時も大騒ぎにならなかった事であり、つまりはその程度の出来事なのだ。
しかし、何故か私はその些細な出来事をいつまでも忘れられない。あの時、それほどの重大事でもなく、心に深く刻んだ憶えもないのに、よくその場面の夢を見るのだ。
あの日ステージ上でもらえるはずの花束を、自分だけもらえない事に戸惑っている娘の姿。
少しだけ不思議そうに小首を傾げ、そして諦めたようにとぼとぼと寂しそうに袖に消えた娘の姿。
その姿は、忘れたと思っていてもある日突然に私の目の前に現れる。そしてその寂しそうな姿は、何故か時が経てば経つほど私を切なくさせるのだ。
子は、日に日に大きくなってゆく。
親は、子の成長の過程で起きた些細な出来事までを無意識にたくさん心に刻むのだろう。そしてそれらは決して無くなったりはせず、記憶の断片のように心の中を彷徨い、やがて子が大きくなり巣立っていっても、親はそんな切なく温かい思い出たちと共に生きて行くのだろう。
5歳の娘、10歳の時の娘、17歳の想い出、それぞれがそれぞれに今も私の心の中で生きているのだ。
あの日、渡せなかった花束。それは、子が忘れ去ろうとも、誰が憶えていなくても、今も私の心の中を彷徨っている。
その後、毎年同じ時期に発表会があり、ステージ上の娘に忘れずに花束を渡したはずであるが、それは何故かほとんど記憶にはないんだよな~・・・。
**** 渡せなかった、のではなく忘れてただけだから!
娘さんは覚えてないのです。 ***
その糸は、永遠に繋がれていく事でしょう・・・・。
娘さんがその想いまでにたどり着かれる時に、青空に花が広がる…。
母親は子供の誕生日に我が子と一緒に、苦しみの一歩を踏み出していますから、ヘッチャラなのです。
結局、父親は自分勝手なロマン人なのです。
「渡せなかった。」は、その当時は確かに忘れていたので「渡せなかった」ではないのですが、あの時のことを回顧して、あの時に戻ってでも渡したいと思う今の気持ち、でも時は戻らないのだということで「渡せなかった」と表現してみました。(^^ゞ
父親は、産みの苦しみを知りません。
ある日突然、妻に「子供が出来ました」と宣言され慌て、日に日に大きくなる妻のお腹を所在なげに眺めていると、1年と経たずして傍らに赤ん坊が出現し、また妻に「あなたの子供です」と言われ、どう接したらいいのか分からずジタバタしてしまう。
母親は10ヶ月も子供と一対の時を刻み、お腹を痛めて一つの命をこの世に誕生させます。まさに自分の血と肉を分けた分身です。
しかし、父親はそんな繋がりを持ちません。だからこそ父親は子供と繋がりを求めるように、無意識に子供の成長を印象深く心に刻み込もうとするのではないでしょうか。
穿ちすぎかな?(^^;ゞほんと自分勝手なロマン人ですね~。
ちょうど昨日の記事に(コメントありがとうございました)、
友人のおめでたのことを書き
私自身感慨深い気持ちになっていたところ、
この記事を読ませていただいて
とてもいいお話に胸が一杯になってしまいました。
お子さんが花束をご両親が持参しなかったことを気にしていなくとも
それは忘れていってしまった親の心のほうに残るんですね
当たり前のことなんだろうけど、それが親の子を思う気持ちであり
恋愛の愛情とは違う、深い深いものを感じました
花束を忘れてしまったことは残念だけど、
>あの日、渡せなかった花束。それは、子が忘れ去ろうとも、
誰が憶えていなくても、今も私の心の中を彷徨っている。
こういう気持ちを持てる伊藤さんというパパを
きっと娘さんは誇りのパパだと思っていると思います
素敵なお話しありがとうございました
とても素敵なお話しだったのでトラックバックさせてくださいね。
武久塾の07年のスローガンは
「いらいら社会から
自分は母親の気持ちしかわからないので、この記事で父親の思いに触れてなんだか心がほんわかしました。
私も子供に対して申し訳ないと思う出来事がいっぱいあります。
でも、子供の方はそれほど親を責めたりはしないんですよね。
それがまた申し訳なく感じるのですが・・・
こんな気持ちは親になってから初めて理解出来たことで、偉そうなことは云えないんですが
人の子の親になったらなおさらでしょうねぇ。
私、スーパーとかで、
トイレに行きたくなって、必死にお母さんを探している子を見ると、すっごく切なくなっちゃうんだけど、この記事を読んでそれを思い出してしまいました。
なんでかな~?
うち、母子家庭だから、子供は授業参観で毎回こんなこと思っているんだろうなぁと思います。
実は、先日のにょろこさんのエントリーを拝見していたら妙にこんなことを書きたくなって、一気に書き上げてしまったんですよ。(^^ゞ
この記憶は以前から気になっていた記憶で、ちょうど最近また夢を見てしまったものですから・・・。ほかにもこんな些細な事件で忘れられないことがいくつかあるんですよね。
きっと私の親も私のことでこんなことをたくさん心の中に持っているんだろうな、と思うと何だか切ないですよね。
トラバもありがとうございます。忘れておりました、私の方からもトラバしようっと。(^^ゞうまくできるかなぁ・・・。
「いらいら社会から
とても良いスローガンですね。
私も心に念じつつ、今年も頑張ろうっと。
ほんと、親になって初めて知ることが多いですよね。
きっと私の親も私のことでこんなことをたくさん心の中に持っているんだろうな、と思うと何だか自分の親まで愛おしくなったりして・・・。(^^;)
子育てに失敗、多いですよねぇ。ほんとに。(^^ゞ
でも以前、私の恩師から聞いた言葉で忘れられない言葉があります。
「自分を責めない親はいない、でも、親を許せない子供もいない。」
だそうです。
もう、それにすがって子育てしていますね。
親になるとどうも自分のことはさておいて、子供のことが妙に気になりますよね。トイレに行けなくてお母さんを捜している子に心が動くには、自分の場合に置き換えているんでしょうね。わかるわかる。(^^ゞ
ayakoさんの場合は、お父さんの分まで感じちゃうんでしょうね。でも、大変さもありますがその分喜びも多いのではないでしょうか。
お互い頑張りましょう。♪