FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

天女(まごころ)像 ~ 天女の降臨 

2011-07-31 00:02:10 | 仏像・仏教、寺・神社

作者は佐藤玄々。完成は昭和35年、この時71歳。


高齢のため、自分では手をかけることはなく、弟子・技術者数百人が各部を担当して完成したという。佐藤玄々は、メガホンと指揮棒を持ち、ガラス越しにまるで映画監督のように制作を指揮しました。

こうして高さ11メートル、6750キロの天女が降臨したのです。

 

東京日本橋・三越百貨店に入って立てば、誰でもこの降臨像を拝むことができます。正面下から見上げる、あるいは正面から上がり2階回廊からまっすぐに見つめる、左右に移動しながらゆっくりゆっくり、時の移ろいを楽しむかのように、角度の変わる天女を見るのもよい。そうして、真後ろに立って、目の高さにある天女の後ろ姿を拝むこと、肩に止まる鳳凰や背にくつろぐ孔雀を見ることだってできる。

 

衣の、複雑で絢爛な模様と色とりどり、光背は炎に包まれたようにも、光に覆われたようにも見え、その中央に立つ天女。たおやかでふくよかな顔、掌の柔らかく盛り上がったぬくもり、降り立ったばかりの今にも踏み出しそうにはね上がった厚みをもった足の指、この天女像をこんなに贅沢に鑑賞、いや拝ましてもらっていいのでしょうか。しかも、ただで・・・(もちろん、デパートの商品を買うのは自由です)。

 

初めてここで見たときは、なにやらバカでかいモニュメントがあり、一時的な客寄せに造った安物の大型瀬戸物みたいな張りぼてオブジェという印象でした。これが、樹齢500年のヒノキからできた、制作年数10年を超える彫刻だとは思いもよりませんでした。除幕式に参列した当時の政財界の大物たち、最前列の吉田首相などは幕がとり払われた瞬間、唖然としてしばしぽかんと口が空いたままでした。そのあまりに見事な、巨大な天女像に誰しも驚きを隠せなかったのです。当時の皇太子夫妻(今の天皇・皇后両陛下)の姿もありました。(これらの様子は先日のTV番組「美の巨人」で放映されました。)

 

見て飽きない。いろいろな仏像を見てきましたが、そうそうありません。これを仏像と言っていいかわかりませんが、仏教では、天(天女)は、六道のうち人間と菩薩の中間にあるのですから、ひとくくりに仏像と言っていいでしょう。それにしても、仏像にしてはまばゆく、天女にしてもあまりに美しく、目がくらみます。その色彩と模様の中に自分が迷い込み、包み込まれ、溶け込んでしまいそうなめまいを感じます。

  

 

 


高徳院 鎌倉の大仏 ~ 美男におわす仏さま  

2010-06-13 03:02:33 | 仏像・仏教、寺・神社

高徳院  鎌倉の大仏(5月)

鎌倉や みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな (与謝野晶子)

あまりにも、あまりにも有名な大仏さま。
大仏といえば、鎌倉の大仏と奈良の大仏。どちらも何度か見に行ってますが、奈良東大寺の大仏さまのほうがお顔が端正で、威厳があって、大仏殿の中にいるというそのことで荘厳さを感じていました。太い柱や蓮華の台座、光り輝く安寧の場所へと続く天蓋、人々が願ってやまない極楽への強い想いが現されています。大仏さま(盧舎那仏)の頭上に広がる天の奥の奥に、目もくらやむ荘厳な世界がある―。奈良の大仏さまの前に立つと、その光景がいつも心の中に繰り広げられていきます。

ただ、ちょっと四角っぽいお顔が、どうもロボットみたいで、それが気になるといえば気になる点でした(今のお顔は兵火で2度も焼かれた後に造形されたもので、最初は円かったそうです)。でも、頭でっかちの小学校学級委員タイプに見える、鎌倉の大仏さまよりはずっと好きでした。

かたや、その鎌倉高徳院の大仏さまですが、久しぶりに行ってきました。与謝野晶子が「美男におわす」と詠んだという。前々から「どこが美男?」と晶子に問いかけていました。文学者というのは、作品を詠む(書く、創る)ために、自分の中で対象を美化しがちで(だから、恋をしやすい)、この歌もそうなんだなと思っていました。

このたび行って見て、晶子の歌にようやく納得できました。確かに「美男におわす」のです。こういう審美眼(あるいは宗教観)というのは、年齢によって変わってくるものなのでしょうか。人工的でなく、仏教伝来の頃から見られる仏さまと同じお顔。しかも、こちらの大仏さまは、建立当時変わらずの造形だそうです(晶子のいう釈迦牟尼は誤りで阿弥陀如来)。本堂は波に流されて坐像は雨ざらしですが、これもまたいい。

季節折々の風景、山や樹や花や空や雲までも、色とりどりの移り変わりに映えて、何ともいえない、自然に融けた開放感なのです。すぐそばでじっと坐っていると、一緒に呼吸してくれている、自分のためにいてくれる、安心する、落ち着く、ずっとそこにいてもいい、護られている、そんな感じがしてきます。仏さまというのは、もともと心の中にこうして大きくあまねく、人とともにいるものなんだなあ、と改めて思えてきます。

奈良の荘厳さももちろん好きですが、本来仏さまというのは、自然、心、空、宇宙と一緒に、そのまま開けっぴろげに「美男におわす」のだなと、しみじみ感じました。ありがたいこころのひとときでした。


ゲゲゲの深大寺めぐり ― 鬼太郎茶屋の周辺で

2010-05-26 01:56:19 | 仏像・仏教、寺・神社

   深大寺山門近くの龍(左)と鬼太郎茶屋

毎朝8時からNHKで『ゲゲゲの女房』をやっています。仕事があるので土曜日の朝くらいしか見られません。舞台は調布で、主人公の水木しげる氏は若い頃よく、近くの深大寺に散策に足を運んでいたそうです。(「竜虎と饅頭と美女と ― 深大寺の山門前で」)

深大寺はよく来るお寺です。『ゲゲゲの女房』がテレビで話題になる前、今年も正月に来ました。先日も妻の診察のために、杏林大学病院に行った帰りに寄ってきました。深大寺は周りの風景に溶け込んだお寺で、何となく落ち着きます。山門周辺の通りが、いかにも‘ここだけ’のためにあって、静かで古風で足を誘う、「気」のようなものを感じます。いくつもある蕎麦屋にもよく入ります。そのうちすべての蕎麦屋を征服しようなんて考えたりしましたが、今のペースではいつまでかかることやら・・・。

テレビの影響からか「鬼太郎茶屋」ではかわいい鬼太郎グッズを売っていて、若い男女が何組か入っていました。店の脇にある茂みの塀には、ネズミ男やぬりかべ、一反もめんにぬらリひょん、とおなじみの妖怪のつくりものが立っています。屋根には鬼太郎の大下駄がのっかっていたり。おすすめに「目玉おやじの栗ぜんざい」とかがあって、さすがこれは食べる気にはなれませんでした(目玉おやじがぜんざいの中に入っている? でも人気なのかも)。路の並びのどこにも、「ゲゲゲの女房 テレビ放映中」「水木しげるの第2のふるさと」というノボリが立っていました。番組はこれからも半年くらい続くので、しばらく「ゲゲゲ」でにぎわうかもしれません。

私が小学校の頃だと思いますが、初めて「鬼太郎」を週刊漫画で見た時は、何とも不思議な感じにとらわれました。当時は『河童の三平』とか『墓場の鬼太郎』というタイトルだったと思います。少年の頃というのは、地獄や墓場、幽霊や妖怪、あの世など異形世界というものを怖いとか不気味とか思いながらも、なぜだか引きつけられたものです。「コワイもの見たさのなんとか・・・」というやつです。野球や戦争ものの多い中で、水木しげるの漫画はあんまりにも異色だったので、見たくないけどつい見てしまう。ほかの漫画をひととおり見終わったあと、最後になって、わざと読みとばしておいた「鬼太郎」を読んでしまう。絵のタッチも、初期の頃は「カサカサ」した、かわいた妖気というのでしょうか。おどろおどろした、湿っぽい感じの気味悪さではなかったのが、少年たちにも読まれた要因ではなかったでしょうか。

その後、自分の子どもが小学生になった時は、私の頃よりも少しかわいくてユーモアっぽい、絵もきれいになった『ゲゲゲの鬼太郎』がテレビや映画で見られるようになったのでした。民話や仏教、民族信仰、神話、昔話の中から独自の創作世界で妖怪たちを蘇らせ、子どもも大人も、時代を超えて心の奥に残っていく「異界」を、水木しげる氏はつくリだしたのです。



高幡不動尊金剛寺 ~ 不動明王と「鳴り龍」

2010-03-27 01:41:03 | 仏像・仏教、寺・神社

思わぬところに、「鳴る」龍がいた。

高幡不動尊は、立川からモノレールで10分足らずである。この寺は、タイミングがあえば、不動堂の中に入って座し、僧侶たちの読経と声明が聞ける。そして、身代わり本尊である不動明王坐像の前に進み出て、ひとりひとり拝むことができる。身体の底に響く真言宗の太鼓の音は、次第次第に、こころの奥、奥へと響き、そして感動が全身に伝わってくる。その後、管主の説教の言葉も素直に聞くことができ、なんだか、古都に来たようで得した気がしてくる。

不動堂のひとつ奥、大日堂の中に入ると、古来日本一といわれる丈六の不動三尊像(重要文化財)が拝める。不動明王は像高285.8cm、火炎光背は419.8cm。中に入って拝観しなくても、ガラス越しに外から参拝できるが、こうして間近に仰ぎ見ると、その迫力はまったく違う。

朱の中で、燃え上がる人間の情念、怒り、迷いを鎮めるかのように赤く座しておられる。もともと不動明王は如来の化身であるから、仏格では最高位にある仏像だ。大日如来と同等の格をもち、霊験と威厳に満ちている。如来三尊のように優しく落着いた前に座すのもいいけれど、このきわめて雄偉な像の前に立ち、“ああ、ほんとに力づくでもいいから、なんとか、なんとかしてほしい”という時には、しみじみすがりつくように拝みたくなる。

さらに奥の山門をくぐって、大日堂に入る。そこに「鳴る」龍がいた。天井画のこの龍が、日光東照宮の「鳴き龍」と違って「鳴り龍」といわれるのは、実際に「声」を聞いてみれば分かる。東照宮の龍は、拍子木をたたくと“キュィン、キィン、キィン”と金属音を出して、確かに鳴く。

ここ大日堂の天井画の中央、真下に立って、両手を打つ。“びゅるん、びゅる、びゅる”と聞こえる。鳴いているというより堂の天井か何かが震えて響いてくる。まさに「鳴って」いるように聞こえる。龍はおそらく「鳴く」のではなく、全身で「鳴る」のであろう。そうすると、こちらの龍のほうが、よほど本当に鳴いているように聞こえる。

東照宮では、堂内で寺職の人が拍子木を叩いて龍を鳴かしてくれた。でも勝手に参拝者が鳴かすわけにはいかない。うれしいことに、この高幡不動の大日堂内では、天井の龍の下に立ちさえすれば、誰でも何度でも両手を打てば鳴いてくれる。面白がって、何度も叩いて龍を鳴かしてみた。

そのたびに龍は、“びゅるん、びゅる、びゅる”と鳴ったのである。




建長寺 柏槇(びゃくしん)と龍 ~ 燃える木

2010-03-11 00:28:01 | 仏像・仏教、寺・神社

 建長寺 びゃくしんの木(2009年秋)  

建長寺には燃える木がある ― 。
生きている木がある。生きてもだえる木がある。

鎌倉建長寺に行くたび、そう思う。樹木の名は柏槇(びゃくしん)。三門を抜けて、針葉樹の巨大古木群が巨人たちのように並ぶ。大きいのは樹齢750年、高さ13メートル、樹木の周囲は7メートルもある。成長は遅いが、修行すればここまで大きくなるという禅の教えに通じるということでよく禅寺に植えられると言われます。(冒頭の写真は建長寺では小さいものです。)

あの、燃える炎のような針葉樹の葉のかたまり、上へ上へと命のように燃える、もだえるような形は、一度見たら忘れられません。三門から列をなして並ぶ樹木群は、すごいな、という以前に見とれてしまいます。あれは、生きているかたまりです。植物や動物というより、命のかたまりに見えます。

太い幹はよじれ、肉体のままです。よじれながら太く、大きく、空を目指していく。奔放に枝を、太い腕を、肉体の関節を無視して空間を侵食して伸びていく。しばらく、圧倒されてしまいます。

木は、鑑賞されるものではなく、まさしくたくましく生きていくものであることをまざまざ見せてくれます。こんな情欲っぽい、幹や枝や、炎のような針葉の束を見て、禅僧は修行ができたのだろうか。いや、こんな命の炎のような激しさを見るからこそ、修行になるのだろうか。

法堂の天井画「雲龍図」小泉淳作画伯

またまた、龍。(残された名宝 ― 竜虎と麗しき官女
境内の柏槇(びゃくしん)に感嘆しながら、法堂(はっとう)の入口をくぐって天井を仰ぐと、巨大な龍が描かれています。日光東照宮の天井画「鳴き龍」は有名ですが、十余メートル四方のこの龍も、あれと同じくらい迫力があります。鳴いたりはしませんが、音なき音で、無音の声を発している感じです。(この「雲龍図」は平成14年に公開されたばかりです。)

「燃える木」と龍と禅僧―。いつか、そんな組み合わせの物語を、ここ鎌倉の禅寺を舞台に展開してみたい、そんな激しくも落ち着いた心の境地になりました。(2009年秋の頃)




深大寺の山門前で ~ 竜虎と饅頭と美女と  

2010-01-23 19:54:44 | 仏像・仏教、寺・神社

 深大寺 「竜虎相打つ」

深大寺には、よく行きます。
ここ2~3年は、初詣のお寺になっています。春は、隣の神代植物園に行ったりして、暖かな中、植物を愛でます。前には、深大寺山門近くの日帰り温泉に浸かって来ました。

写真は、山門近くにある「竜虎相打つ」の像(こういうタイトルだったか定かではありません)。実物でないと、ちょっと見にくいかもしれませんが、高さ2~3メートルほどの石像です。左にSの字に天から地へと這うように降りて来て首をもたげているのが竜、身を反転し今にも襲い掛かろうと牙を剥いているのが虎。中央あたり、虎の背中から尻尾にかけてちょうど良く、すわりのいい凹みがあり、そこに1円玉やら5円玉、10円玉やらの「お賽銭」が置かれています。

竜虎の像は、昔から絵師に多く描かれています。狩野山楽や、橋本雅邦の屏風画が有名です。‘陸の王’虎と、‘天翔ける空の支配者’竜。相打つこの両雄の対決はどちらが強いのか―。といっても、竜は架空の生き物、実際に対決はできないのですが、屏風画などを見ると、なんとなく竜のほうに余裕がありそうな気がします。この石像では、「相打つ」(相打ち)、つまり引き分けのように思えます。

見方を変えると、竜と虎は、決して両雄が闘う身ではないようです。竜も虎も、古代中国では麒麟や鳳凰と同じように四方を護る神、仏教でいえば四天王です。つまり、竜と虎は、互いに闘うために睨み合っているのではなく、この世の四方を鬼神から護るために睨みを利かせているのではないか。仏像の四天王の顔は、どれも怒った形相をしています。同じように悪を威嚇しているからです。

たまたま、陸の王と天の支配者を1枚に納めるべく、闘うよう互いに睨み合わせていますが、この世を護る象徴として強い覇者、竜と虎を配置した構図なのだと考えると、まったく違く見え、安心してありがたい気持ちになるから不思議です。

ただ、やはり、強いもの同士がまさに闘おうとしていると見る方が迫力が出て、わくわくと想像力を掻きたてられるものです。天才絵師たちの筆も、この両雄の闘う図に強くそそられてきたのでしょう。・・・そう思いながら、虎の背の「お賽銭受け」に今年も小銭を置いて来ました。

深大寺に来る楽しみはもう一つあり、わずか100メートルちょっとの門前の露店通り。子ども時分の三島大社の露店が懐かしく、深大寺の門前通りでは、必ず焼きたてアツアツの草饅頭を食べ、オコシの菓子を土産に買って帰ります。さらに、今年から楽しみができたのは、フランス風クレープを売る外人美女が露店に入っているのです。

旅番組で紹介されたおかげか、この正月は、フランスから嫁いできた美女の前は人だかりでてんてこ舞い、さすがの美しい顔もあまりの客の注文で引きつっていて、ちょっと気の毒になってしまいました。





三島由紀夫と金閣寺 ~ 永遠なる「美の鳥」 鳳凰  

2009-11-28 01:21:03 | 仏像・仏教、寺・神社

伊藤若冲の「白い鳳凰」、「あさひの鳳凰」と、鳳凰つながりで――。

まず、次の文章を読んでみてください。三島由紀夫『金閣寺』の有名な一節。

「私はまた、その屋根の頂きに、永い歳月を風雨にさらされてきた金銅の鳳凰を思った。この神秘的な金いろの鳥は、時もつくらず、羽ばたきもせず、自分が鳥であることを忘れてしまっているにちがいなかった。しかしそれが飛ばないようにみえるのはまちがいだ。ほかの鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠に、時間のなかを飛んでいるのだ。時間がその翼を打つ。翼を打って、後方へ流れてゆく。飛んでいるためには、鳳凰はただ不動の姿で、眼(まなこ)を怒らせ、翼を高くかかげ、尾羽根をひるがえし、いかめしい金いろの双の脚を、しっかと踏んばっていればよかったのだ。」(『金閣寺』三島由紀夫)

この文章を何かの断片で読んだ時の印象がずっと残っていました。『金閣寺』は、文学的にみれば、三島由紀夫の最高傑作といえるものでしょう。晩年に『豊饒の海』(4部作)という代表作といえる作品を残しましたが、このうちの第1巻(『春の雪』)くらいが三島氏の最後の円熟さを思わせるものではないかと思います。三島氏の文章は、日本古典文学の遺産を現代文に華麗に溶かし巻きつけたもので、プロでもそうそうまねて書けるものではありません。

金閣寺の鳳凰なら中学生の修学旅行で見ているはずですが、あれは物的に見ていただけで何も記憶がありません。大人になって、心的に見たのはずっとあとです。上の文章に書かれた鳳凰、そして金閣、私は想像をめぐらしました。金閣の上に立つ鳳凰、その翼をひろげ、双(に)の脚で屹立するようすが、『金閣寺』全編を読み進むにしたがって、浮かび上がってきました。

池のこちらから遠く見る金閣寺は、おもちゃのように美しい。それは手に取れるように華奢でやさしく、壊れそうな建物です。それだけに、またこの世でないような非現実感があり、眺めていて飽きない。近くに寄るにしたがい、非現実感が現実として現れて、かえって、なかなか眼の前にあることが信じられない。

放火による炎上で再建されて、建物を蔽う金箔がまだ剥離もせずに黄金の完全さをそのままに放つ――、よりめまいを感じさせるのでしょう。嘘のようであって真(まこと)、真のようであって嘘の感覚。あまりに完全な姿を見せられると、ひとは本物かにせものか分からなくなります。焼失前の金閣のほうが、よほど現実的な美しさ、妖しさがあったのかもしれません。だから、修行僧が心を乱され、火を放ってしまったのか――。

金閣に立つ鳳凰。この世の王の象徴、美であり、永遠に存在する化身。時をはばたく翼と羽。鳳凰がなければ、金閣は金閣でなく、永遠の美の象徴であることもなかったはずです。この鳳凰は、若冲が描いたエロティックな鳳凰とちがって、両翼を張り上げて力強い双つの脚で踏ん張る姿は、永遠の「時の王」を謳歌しているようです。

金閣寺にふさわしい季節は、秋や冬や春や、いろいろあるでしょう。私は暑いさかりの夏に行きました(夏の金閣寺が好きということではなく、夏休みくらいしか行けないので)。暑いなかにも、人は多く、外国人ももちろん大勢いました。私の前をずっと歩いていたインド衣装の、薄い褐色のはだをあらわにした、漆黒の長い髪が美しい女性に私は眼を奪われていました。その女性が美しいということもそうですが、池の水面に金色に輝く金閣寺と、眼の前にいる東洋の幻想的な美女とがあまりに合わさって、そこに三島由紀夫が描く一つの小説世界が映し出されるようで、心地よい幻覚を覚えていたのです。

金閣と鳳凰、東洋の異国から来た美しい女。やはり、金閣寺は人を眩暈(めまい)の世界に引き込んでしまうのでしょうか。




高尾山 ― 山頂に向かう寺 薬王院

2009-11-22 03:34:18 | 仏像・仏教、寺・神社

 高尾山 薬王院・本社

薬王院は高尾の山の中にある。山頂へは、この境内を通り、登っていく。

秋の綺麗な空に誘われて、高尾山に行きました。もう何度か行ったので、物珍しくもないと思っていたところ、驚きがありました。人、人、人、人。どこへ皆、行脚して行こうというのか。

ケーブルカーは何十メートルも、横数人ずつの列で続いていました。大晦日から元旦の初詣のように人が並んでいる。いつもは乗るケーブルカーを諦めて、ハイキングコースに回りました。登山と言えば緩やかですが、散歩と言えばかなりきつい勾配のある坂です。頂上まで90分。その路も、行脚の行列で埋め尽くされてました。

きつめの坂道には若い男女、男同士と女同士、親子、中高年からちょっとお年寄り、ベビーカーの子まで・・・。そして、ほんとに目立ったのは外国人の多いこと。アジア系の人も少なくないけど、欧米人の多さ。なんか、ロスアンゼルスかどこかの観光地に来たような気がしてきました。京都や奈良、鎌倉ならいざ知らず、こんな(と言ったら怒られるでしょうか)山に、よく来ましたねえ、という感じです。

ついこの間(?)まで、高尾山といえば、中高年の方のハイキングコース、親子連れ、その中にポツリと、ディズニーに行きそびれた若い人が来ている感じの賑わい程度でした。観光客はそこそこいましたが、ちょっと並べばケーブルカーやリフトにも乗れたのです。山頂は好天で、富士山が見えますが、さほど広くはない頂の広場に、やはりイベント開催のように人がかたまっていました。

先ほどから思い立っていたのですが、どうもこれは、ミシュランの「3ツ星観光」にあるようです。日本の山では富士山とこの高尾山が3ツ星観光地に指定されたとのこと。おかげで、テレビの旅番組でもよく取り上げられているようです。手ごろの場所で、紅葉時期、3ツ星のお墨付き。これなら、若き人も外国の人も来てみるのは分かります。

前に来た頃は、山頂に着いても閑散として、「若い人は、休みの日にはこういう所に来ないで、都心に行っちゃうんだろうねえ~」なんて言いながら、のんびり散策していたのがウソのようです。世界遺産とかに指定されると急に観光客が増えて土地が荒らされてしまうということをちらと聞いたりすると、経済的に土地が潤うこともいいことだし、いつまでも賑わってほしいと思う反面、すぐに荒れたり廃れたりしないで、とも思います。



烏天狗・大天狗(高尾山 薬王院)

薬王院は、真言宗のお寺です。四天王門の前、本堂そして本社の前と、大天狗と烏天狗が対になって3ヵ所で立っています。本社の前の両脇に立っているのが有名でしょうか。これは修験道の山伏の姿からきているもので、天狗像は神格化されたものです。もとは不動明王に仕える随身(護身の家来)です。本社は、改めて見ると色鮮やかに朱を主体に塗られ、柱と柱を渡す梁の木に彫られた鳳凰、龍、獅子などの鳥獣、壁面に描かれた仏道の絵に眼が惹かれます。

アメリカの女子高生なのか、ひとり群れから離れ、四天王像や仁王像、天狗の像や壁画など、熱心にカメラを向けているのが印象的でした。大きな身体の外国青年が、みやげ屋の饅頭を一口、おいしそうに食べているのを見ると、こちらも幸せな気分になり、「国際観光地」高尾山がこれからも賑わうようにと願いました。




向源寺 十一面観音菩薩 ~ 魅せられたる魂とからだ 

2009-10-30 00:24:00 | 仏像・仏教、寺・神社

 忘れずに書いておきたいと思う。
 向源寺(滋賀)の十一面観音菩薩立像のこと。

 仏像に凝っていた頃、どの仏像がいちばん魅力的かあさっていたことがある。全国くまなくこの眼で生の仏様を見るには限界がある。書籍や図鑑、ムックなどをめくる日が多かった。
 奈良の大仏様は端正だが、焼失前の初代作に比べ四角っぽくて、ロボットに見えてくる。鎌倉の大仏様も、はじめて見た時は、勉強のよく出来る学級委員長を思い出した。最近は味のあるお顔をしているのが分かってきた。

 これはと思ったのが、薬師寺の聖観音像、同寺の日光・月光菩薩。この寺で、一人で何分も観音像と対座した。興福寺の阿修羅像も魅力的だし、広隆寺の弥勒菩薩も繊細で優しい。長谷の観音様も見上げて飽きない。東大寺三月堂(法華堂)の不空羂索(ふくうけんさく)観音立像にも、圧倒された。修復前に見た、天平の空のように澄み切った青の中に聳え立つ、唐招提寺金堂におさまる盧遮那仏(るしゃなぶつ)、千手観音など――。

 “いずこも忘れがたく・・・”と言いつつ、“ROME”―、とお忍びのアン王女(『ローマの休日』オードリー・ヘップバーン)が断然と、目を輝かせて声を放ったように、僕も言おう。
 「いずれも選びがたく・・・」としつつ、「向源寺の十一面観音像」―。

 3年前、滋賀のお寺まで見に行くには、ちょっと遠いなあと諦めていた頃、上野の東京国立博物館に来た。
 ほかの仏像もさまざまにあったけれど、「そこ」だけ、天から黄金の光が降ってきていた。身体の周りには、金粉のように、ちらちらと光の虫が舞っている。身体の輪郭は、ひと膜の発光の層が覆っていて、神々しくまぶしい。人々が、「そこ」だけを中心に取り巻いている。全身の金箔はほとんど剥げ落ち、濃い褐色の木肌があらわになっているのに、空気をも輝きに包んでいる。
 それが、十一面観音立像。

 僕は、正面から、背後から、斜め前から斜め後ろから、右から左から、どこから見ても飽きることなく、見続けた。ほぼ等身大で、落ち着いた、たおやかな腰あたりからややくねり、中性を超えた色気がある。それは、しかし、触れがたい色欲(しきよく)を超えたもの。この世的でない、やすらぐ顔立ちだ。

 紙の上で見て、仏様のランク付けをしていたことが吹き飛んでしまうほどの、静かな強いゆすぶりを感じた。仏像は、仏の教えを具現するものだ。だが、人間は美しくないものに惹かれない。いくら正しい教えでも、人の心は、見た目の美しさから入る。美しいから恍惚となり、そこへと導かれる。

 汚いものは、人は目をそらしていく。快楽を求めているのではない。心の静かさを求めているから。この十一面観音像は、美術的にも最高傑作とされている。この像を見ていると、ほんとうに騙されても仏の道へ入っていいと思えてしまう。もともと仏教の「方便」というのは、正しい方向へ人をだまして道を諭すことをいうのだから。
 
 紙の上では、絶対伝わらないものがある。それは、感覚。五感を超えた超感覚。この観音像を見て、それがよくわかる。
 
 



鎌倉 明月院には ― 満月とウサギがよく似合う

2009-10-17 11:12:32 | 仏像・仏教、寺・神社
(明月院 枯山水庭園)

明月院は紫陽花。
紫陽花が過ぎても、明月院は人が多かった。

あじさい寺に行く経路はいくつかあって、多摩方面から来る、新宿経路で回る、東京駅まで出て横須賀線に乗って来る、という路線。毎回違っても、大船駅には着く。大船から鎌倉に向かって駅を離れて行くにつれ、右手に、電車の動きに添ってゆっくり、ゆっくり、大きな観音様がこちらに振り向いてくれる。窓から見るのが、いつも楽しみとなる。「あ、観音様が・・・」と誰かが言う。白い、優しいお顔が自分を見返ってくれる。慈しむ母であり、まだ見ぬ恋人であり、いま寄り添うその人の顔であったりする。

鶴岡八幡、大仏様や長谷の観音様は定番だが、たまにほかへ寄っったりする。建長寺を出て歩いて行くと、明月院がある。明月院へ行く道も初めてではない。歩きがてら行く。茶店や、せせらぐ川、置き土産屋に小洒落なギャラリー。京都や奈良と違い、鎌倉の寺々は、ちょっとこじんまりした古都で、すべて歩いて行けない所はない。

この寺も、ゆっくり見るにはいい。紫陽花の咲き頃は、もっと観光客が多いのだろう。外国人も目立ち、特にアジアの人の言葉もよく聞かれる(顔だけでは分からないが、言葉で韓国や台湾などの人と分かる)。

前にも来たはずなのに、あんまり覚えていない。枯山水庭園は、竜安寺(京都)のものにはなかなか及ばないが、小ぶりでも、本堂の前に人を迎えるように、それが務めかのように、堂々と庭が見られている。石(山と自然)と砂(海)が落ち着いた世界を形づくっている。

その前にある本堂。靴を脱いで上がって、そそくさと畳を擦って敷居を超え、池と芝の見える庭園に向かって欄干に腰かけてみた。少し前ならハナショウブが池の向こうに見えるのだろう。今は花がない時期。コスモスが見える程度だ。少し休んで、畳の間に戻り、今いた場所を振り返る。と、そこには別の世界があった――。

(明月院 本堂)

ああ、これが禅の世界だな、と思った。先ほどまで、なにと感じられなかった景色が、別の世界に変わってしまう。明かりを外から採り入れる代わりに、こちらの間(ま)は光を閉じ込め、ただ中央に大きな円月をくりぬいている。そこから外の世界を取り込む。これだけで、世界はまったく変わってしまう。この円月の隈取りをただ通りすぎて外の景色に見とれていては、そこに感じるものはない。

平凡な世界。そこに入り浸っていては、その場所になじむだけである。ひとつ下がって、境界を変えて見るだけで、「こちら」と「あちら」の世界観は変わる。自然は、円月の境界に閉じられたようで、じつはその宇宙は広がっていく――。

円月の明かり取りは、満月であり、ウサギがよく似合う。

(明月院のシンボルはウサギ。9月下旬 北鎌倉にて)