FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

我が家に初めて車が来た日 ― 我が家から車が消えた日

2009-05-16 02:53:34 | シニア&ライフプラン・資産設計
初めて車が来た日

免許を取ったのは、30代ですから遅いほうでした。子どもはすでに小学校中学年で、そろそろ親と行動を共にしなくなる頃です。

最初に乗った車はカローラでした。納車までの2週間ほど、会社から帰ると、毎晩、これから届く車のカタログを繰って、隅々まで眺め、そこからまるで新しい世界が繰り広げられる夢に浸ったものです。車のある生活―。

子どもが親との行動から離れていくまでの数年間、惜しんでいろいろな所に乗って行きました。思わぬ効果は、妻と買物や近場のドライブに行く時に、車の中で二人だけの空間と時間を持てたことです。狭い空間では自然に、普段のこと、子どものこと、仕事や親族のことなど、たわいもないこと、心配なことを話せたものです。

車が離れていった日

車好きな人は、何を犠牲にしてまでも車を持ち、カーライフを楽しむでしょう。私もそうでした・・・。でも、車は、我が家から離れていったのです。
もちろん、あったほうがいい。しかし、以前から乗る距離は多くなかったし、現在では、仕事がら乗る機会がだいぶ減って、月に100キロも乗るか分かりません。

車の購入費を別にすると、駐車場代、車検代(オイル交換や修理代を含む)、自動車保険料、税金、これらをひと月にならすと2万円以上、年間25万円になります。ガソリン代は別です。150万円の車を5年間乗ると、これに年間30万円加わり、月に4~5万円かかります。これだけの負担をしながら、月数回、市内での買物車として考えると、どうも“ペイ”しないのです。

車を何回か買い換えてきました。しかし、寂しいことに、これからのライフプランを考えると、どうしても、家計の大きな見直しはそこにいってしまいます。車については、年間数十万円にもおよぶ見直し断行なのであります。

今月中に車検が迫っていたこともあって、車査定屋に連絡したら、あっという間に格安の値段で査定し(まだ1万キロちょっとしか乗ってません)、翌日には持っていってしまいました。その速きこと、風車(ぱたぱたかけ回って、さっと吹いていった)のごとしでした。気持ちの整理がつかないうちに。妻は、表面では合意していたけれど、二度と会えなくなる我が子を遠くへ見送るように、哀しそうにじっと、車が持ち去られるのを見つめていました。

なんだか、ちょっと落ち込みました。「勘定」は「感情」ではありません。いくら節約できたとしても、車で家族の心がつながっていたなら、持ち続けていればよかったのです。
月に1回、近場のドライブしかできなくても、市内の買物しかできなくても、休日に大型スーパーにいっしょに出かけるだけでも、妻にはそれが楽しみだったのです。それだけのために、月5万円の“車を楽しむ会費”を払っていたと思えばいいじゃないか。

それにしても、妻の切り替えは早いほうでした。せめてもの慰めかもしれませんが、車を手離した以上、これからは貯蓄が目標になったようです。それが、妻なりの代償だったのでしょう。

我が家はまた、車がなかった時代の「自転車隊」に戻りました。妻の心を和らげるためにも、休日はできるだけいっしょに自転車で買物に行きます。車に乗りたいときは、近くに格安レンタカーもあります。そのうち、カーシェアリングも普及するでしょう。

初めて我が家に来たカローラのカタログ。今もボロボロになったまま棚に載っています。

サルトルと与謝野晶子 ~ 哲学的存在論とやわ肌の熱き血潮  

2009-05-01 01:13:06 | 哲学・宗教・思想

―― この柔らかい、熱い血潮がみなぎってくる、私の身体に触れようともしないで、ただただ、我が行く道を説こうとする君よ、さびしいことよ

ドストエフスキー研究家で『カラマーゾフの兄弟』の新訳を出して話題になったロシア文学者亀山郁夫さんが、日曜の日経新聞にドストエフスキーに関するコラムを連載しています(「ドストエフスキーとの旅」)。その中で、フランスの哲学者サルトルに少し触れていました。サルトルの「アンガージュマン」(社会参加への行動という意味)には、学生時代ついていけそうもなかった、と。
私も学生時代、人文書院のサルトル全集を全巻そろえて、片っ端から読みふけっていました。英米文学科なのに、読んでいるものはサルトルとかドストエフスキーの翻訳全集ですから、私の英語力なんて知れたものです。

サルトルの実存哲学の書『存在と無』は、難解ではありましたが、非常に刺激的でかなり影響を受けました。続いて、ハイデッガー『存在と時間』も読みふけりました。哲学書がこれほど面白いものかと当時は感じたものです。サルトルの「アンガ―ジュマン」は、確かに疲れてしまうところがありました。疑問を感じながらもそこから避けて通ることさえ、「自己欺瞞」として自分に跳ね返ってくる考え方なのです。

むしろ、私がとても魅せられたのは、「まなざし」の概念です。弱い自分は常に「他者」の「まなざし」にさらされている。他人に見られることによって、自分の存在は縛られる。その自分を守るためには、逆に「他者」への「まなざし」によって、「他者」を支配することである。他者を見つめることで、他者の存在を束縛できる。大雑把に書くとこのようなものです。

私はサルトルの存在論に夢中になって、自己流の存在論をつくったものです。
「僕は、僕の存在論を確立した。君を変えてみせる」
こんなことをまるで真剣に、まだ付き合ってもいない彼女に言ったりしました。
しかし、しょせん、紙の中の思想なんて、生身の相手に通用しなかったのです。特に、女性には。

―― やわ肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君

眼の前の熱い血潮を抱いてあげることもできずに、思想を語ったところで、どうして世の中を変えることなどできようか。まして、女の心を変えることなんて。
のちに、与謝野晶子のこの歌にうちのめされました。

青春期の脆さでした。