FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

天女(まごころ)像 ~ 天女の降臨 

2011-07-31 00:02:10 | 仏像・仏教、寺・神社

作者は佐藤玄々。完成は昭和35年、この時71歳。


高齢のため、自分では手をかけることはなく、弟子・技術者数百人が各部を担当して完成したという。佐藤玄々は、メガホンと指揮棒を持ち、ガラス越しにまるで映画監督のように制作を指揮しました。

こうして高さ11メートル、6750キロの天女が降臨したのです。

 

東京日本橋・三越百貨店に入って立てば、誰でもこの降臨像を拝むことができます。正面下から見上げる、あるいは正面から上がり2階回廊からまっすぐに見つめる、左右に移動しながらゆっくりゆっくり、時の移ろいを楽しむかのように、角度の変わる天女を見るのもよい。そうして、真後ろに立って、目の高さにある天女の後ろ姿を拝むこと、肩に止まる鳳凰や背にくつろぐ孔雀を見ることだってできる。

 

衣の、複雑で絢爛な模様と色とりどり、光背は炎に包まれたようにも、光に覆われたようにも見え、その中央に立つ天女。たおやかでふくよかな顔、掌の柔らかく盛り上がったぬくもり、降り立ったばかりの今にも踏み出しそうにはね上がった厚みをもった足の指、この天女像をこんなに贅沢に鑑賞、いや拝ましてもらっていいのでしょうか。しかも、ただで・・・(もちろん、デパートの商品を買うのは自由です)。

 

初めてここで見たときは、なにやらバカでかいモニュメントがあり、一時的な客寄せに造った安物の大型瀬戸物みたいな張りぼてオブジェという印象でした。これが、樹齢500年のヒノキからできた、制作年数10年を超える彫刻だとは思いもよりませんでした。除幕式に参列した当時の政財界の大物たち、最前列の吉田首相などは幕がとり払われた瞬間、唖然としてしばしぽかんと口が空いたままでした。そのあまりに見事な、巨大な天女像に誰しも驚きを隠せなかったのです。当時の皇太子夫妻(今の天皇・皇后両陛下)の姿もありました。(これらの様子は先日のTV番組「美の巨人」で放映されました。)

 

見て飽きない。いろいろな仏像を見てきましたが、そうそうありません。これを仏像と言っていいかわかりませんが、仏教では、天(天女)は、六道のうち人間と菩薩の中間にあるのですから、ひとくくりに仏像と言っていいでしょう。それにしても、仏像にしてはまばゆく、天女にしてもあまりに美しく、目がくらみます。その色彩と模様の中に自分が迷い込み、包み込まれ、溶け込んでしまいそうなめまいを感じます。

  

 

 


刑事コロンボ ~ ピーター・フォークのはまり役

2011-07-16 16:10:46 | 芸能・映画・文化・スポーツ

 

『刑事コロンボ』のピーター・フォークが亡くなった。

コロンボ・シリーズがなくても、ピーター・フォークは渋い役柄で独特の演技をし、主役というより主役級の脇役で有名になっていたでしょう。

 

『刑事コロンボ』は、決定的な出会いでした。これほどのはまり役はなかったようです。よく、いい作品に出会ったおかげで成功したと、俳優も世間も言います。いい作品に出会ったところで、ダメな俳優はダメで、作品も自分も生かせずに落ちぶれていくものです。

 

あの、よれよれのレインコート、安葉巻、ぼさぼさの髪、ポンコツ車(あれは警察署所有の車ではなく、マイカーのようです。自分の費用で修理したりしていますから)、「うちのカミさんが・・・」、「最後に一つだけいいですか~」、これらはフォーク氏自身が思いついたキャラクターだそうです。やはり、作品と俳優のキャラクターがマッチしなければ、名作シリーズは生まれないものです。

 

最初に犯行があって、犯人が先に割れてしまう。ミステリーでこういう手法があるのかと、最初はちょっと驚きでした。そこから、じわじわとホシを詰めていく知恵の攻防、これが私たちをひきつけるのです。この手法は、ミステリー小説では「倒叙」といい、決して『コロンボ』が初めてではありません。しかし、これを定番としたのはこのシリーズです。

 

それにしても、犯人たちの図太さは、ある意味見習うところがあります。会社社長、政治家、弁護士、作家、技術者、俳優、ジャーナリスト、芸術家、マジシャン、エリートビジネスマンなど、社会的地位の高い人間が犯人ですが、犯行が暴かれても、彼らは泣きついたり、わめいたりしません。「まあ、仕方ない、バレてしまったものは」、などと淡々とし、それまでの強がりを決して崩しません。牢獄から出た後も、実力で必ずはい上げってくるまでさ、という強み、その生命力のすごみを感じます。コロンボの方が犯人に無駄な同情をしたりしてしまうくらい、犯人たちは傲然としているのです。人生ではそんな強さを見習うべきか、見習ってはいけないのか、錯覚に陥ってしまいます。

 

ところで、先に犯行が暴かれる定番手法と言いましたが、私の見た限り、唯一、異色の作品がありました。『さらば提督』。ご存じ、知っている人は知っているでしょう、人気番組『0011 ナポレオン・ソロ』のロバート・ボーンがゲスト犯人役になった話です。定番では、当然ロバート・ボーン役が最初に犯行にかかわっていて、犯行を隠ぺいするのですが、その彼が途中で殺害されてしまうのです。しかも、最初の殺人は、彼の犯行ではありえない事実が出てきます。では、真の犯人は?・・・これが、最後の最後まで分かりません。ご興味ある方は、DVDをご覧ください。

 

いやはや、よれよれコートで安葉巻、ポンコツ車の安月給刑事は、このシリーズのおかげでハリウッドでも大邸宅を構える大富豪になったといいますから、人生なんてわかりません。『コロンボ』がなければ、ピーター・フォークは並みの俳優で終わったか、いや彼ほどのアクの強い演技派なら、ほかの作品での超はまり役のシリーズをつくり出したか・・・。まるで、話の中の殺人犯たちのようにその図太さを感じ取れそうです。