■意味も分からず口にしていた「土人」
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■意味も分からず口にしていた「土人」
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少し時間がたってしまいましたが、やはり書いておきたい。朝日新聞の責任は重大だと思います。
1つ目は、従軍慰安婦の「吉田証言」の誤った記事。
2つ目は、これをコラムとして批判した池上彰氏の記事を朝日新聞が掲載拒否した記事。
3つ目は、東電社員の「命令を無視して撤退した」という「吉田証言」の記事。
どれも目を疑わざるをえないようなことです。ジャーナリストとしての責任と誇り、良心というものはないのでしょうか。
1つ目については、事実的根拠に基づかない、「軍による強制連行」をあったとする証言をいとも簡単に容認し、何度も掲載してきたこと。国際世論は慰安婦の事実があったということが問題で、「強制か否か」には影響されないとしていますが(クマラスワミ報告)、そんなことはないと思います。この誤報記事によって河野談話を呼び、日韓の従軍慰安婦問題は大きくこじれ、長い間日本は恥知らずの国とされ、外国各地で慰安婦像設置という屈辱の根拠となっています。
2つ目については、池上彰氏が上記のことをジャーナリストの立場で、自分自身が連載している朝日新聞のコラムに載せようとしたところ掲載拒否されたということです。数日後に掲載されましたが、コラムを読む限り、池上氏の批判は当然のものであり、述べられている意見もすごく真っ当です。なぜ朝日は掲載拒否したのか。池上氏は毎回、このコラムでは複数紙を読み比べ第三者の立場で社会問題についてコメントしています。ところが、朝日にしてみれば、「朝日新聞に掲載してもらっている1ジャーナリストの分際で、朝日について口出しするとは何事だ」ということらしい。まったく呆れたものです。それで波紋が大きくなると、やっと掲載に踏み切りました。
こういった組織の構造は、ひじょうに気味悪いし、気分が悪い。このような構造は大企業に見られますが、朝日というのはただの会社ではありません。新聞社です。世の中の事実と真実を伝える使命があり、なにびとに対しても言論の自由を封じてはならない所のはずです。この新聞社は、ただのサラリーマンの集まりの会社でしかないのでしょうか。おそらく、こういった社風が朝日の中にも常にはびこっているのでしょう。しかも一部の編集幹部が他の編集員に有無を言わさぬ圧力を持っていると思わざるを得ません。
3つ目にしても、2週間ほど前の記者会見で朝日新聞社長が謝罪していましたが、事実を確認せずに報道してしまったということに呆れてしまいました。事実を事実として正確に確認できていないということ、確認できていないのに報道するということは、もはやジャーナリズムの責任を果たしていないということです。
たとえば、事実を巧みに隠ぺいする者がいて、事実を簡単に見破れなかったというならともかく、これら2つの「吉田証言」(同じ「吉田」で紛らわしいですが)は隠ぺいどころか本人により公開されたものです。公開されたものについて十分な検証ができないということは、むしろ事実を恣意的に曲げて解釈していたとしか思えません。
いったい、朝日新聞は何を考えているのでしょう。その横暴さにいまだに腹が立ち、おさまりません。もはやジャーナリズムの崩壊集団、言論の権力集団と言っても言い過ぎではないと思います。
東京都議会での女性議員にセクハラ・ヤジを飛ばした問題で、鈴木自民党都議がまず名乗り出ました。しかし、残りの「生めないのか」などのヤジを飛ばした複数と思われる議員は、黙り込んでいます。だいたい、鈴木氏も最初はしらばっくれて、「自分は言ってない。なんですか、あんたたちは」とマスコミのインタビューに横柄に答えていたくらいです。こういう人たちは、黙って、嘘ついていれば保身につながるから言いたいことを言ったあとは隠れていればいいと思っているのでしょう。これが、都民に選ばれた議員と思うと、怒りが増してきます。
どうやら、このまま自民党は調査もせずに幕引きにするようです。みんなの党は当初のように、残りのヤジの声紋分析をして、言った本人を特定すべきです。「ほかのヤジはだれも聞いていない」などと、自民党の吉原幹事長は言っていますが、鈴木氏も何日もたってしゃあしゃあと出てきたのです。これは、ヤジを言われた塩村議員1人の問題ではなく、女性全員に関わる問題です。また、男性にとっても女性に対する侮辱行為ということでたいへんな問題です。このようなことを言う議員が、だんまりを決め込んでごまかそうという根性は絶対許せません。
セクハラ・ヤジそのものも許せませんが、周りで隠し合い、黙り込んでいれば何をしてもいいという根性がおかしいのです。そういう体質が、自民党内にははびこっているのでしょう。いったい、言った張本人は今、どういう気持ちでいるのか。1人が名乗り出たのだから、これでもういいだろ、とでも思っているのか。鈴木氏が名乗り出た後も、「なぜこんなことが、いつまでも問題になるんだ」と自民党内で言った人がいるそうです。呆れるばかりです。それにしても、いまだ出てこない「本人」は一時的な「記憶喪失」状態に陥って、その時のことをまったく覚えていないのかもしれません。であれば、大事な議会の場で、自分の言ったことも分からなくなってしまうだけでも議員失格です。
そういえば、中学に上がったばかりの頃、僕も「記憶喪失」になった(もちろん比喩です)ことが思い出されます。休み時間、教室で級友とふざけ合っていた時です。授業開始の時間になって担任の先生が来たのであわてて席に着きました。先生は教室に入るなり、「誰だ、こんなことをしたのは!」と怒り出しました。見ると、教師用の机と椅子が乱雑にとんでもない位置に動かされていたのです。「やった人間は、名乗り出なさい!」と言われても、誰も名乗り出ません。僕は、ひどい奴だな、やった奴はさっさと出てこい、と半ば腹が立ちました。
その後も先生の説教は続いたのですが、そのうち、休み時間の光景が徐々によみがえってきました。「あ、机を引き回してふざけ合っていたのは、俺たちだ」。休み時間中はおふざけの絶頂状態だったので、その時のことをまったく覚えていません。こうして冷静になってくると、はっきり自分たちがやったのがわかってきました。しかし、いまさら出られません。とうとう先生は説教をやめ、授業を始めました。僕は、授業が終わるまで気が気ではありませんでした。
授業終了後、僕たちは2人で自分たちがやったのだと先生に謝りに行きました。先生は、級友のほうは説教中にすぐに気づいたが、僕のほうはわからなかったと言いました。確かにそうでしょう、僕自身、あの時の記憶がまったくとんでいたので、まさか自分を「本人」だとは思ってもいなかったのです。
あの時のことを考えると、僕は休み時間中のことは、まさに「記憶喪失」状態にあったわけです。まあ、鈴木都議ほかセクハラ・ヤジ議員も似たようなものかもしれません。議場でやたら興奮(?)してヤジを飛ばしたけど、後になってみたらその時のことをまったく覚えていない。一時的、というより自己都合で身勝手な「記憶喪失」だったのでしょう。時間がたつにつれ、「あ、あれは俺がやったんだ」と気付いたけれど、いまさら名乗り出ていくわけにはいかない、名乗り出たら議員生命が危うくなる・・・。
中学に上がったばかりの、まだ子どもともいえるあの頃の僕らと、まさかこの人たちの精神レベルが同じ程度、いやそれ以下だったとは! 議場で記憶がなくなるほどの精神状態(?)にいたなんて・・・。当時、僕らはすぐ後で謝りに行きましたが、ヤジ議員たちはそれさえしなかったのです。ほんとにこんなので議員が務まるのでしょうか。それ以前に、こういう人たちは人間としても最低レベルです。お願いですから早く出てきて、さっさと議員を辞めてもらいたいものです。
また、司法試験制度を変えるという。受験回数制限を3回から5回に増やし、受験の機会を拡げて法曹離れを防ぐというのです。この迷走ぶりはいったいなんだろうと思います。こんなことしていて将来、法で裁いたり、法を守ったりする専門家を養成できるのでしょうか。
受験回数を増やすというが、そもそも回数を制限することに問題があったのです。受験失敗を繰り返し、社会に出られなくなってしまう、いわゆる「司法試験浪人」をなくすことが目的だといいます。この国は、いつから(ずっと前から?)個人の生き方にまで節介を焼くようになったのでしょうか。
そういうことを改革するのが司法大学院の創設ではなかったか? 当初は、大学院修了生の70~80%が合格できる制度を目指していたはずでした。しかし、実態は合格率20%台まで落ちて、志願者を落胆させました。単に落胆させただけではありません。中には、いったん社会に出てから法曹を志して来た人もいます。それが合格率低下によって、支払った高い授業料と、その間に社会で働いて得られるはずだった収入や経験、出会い、チャンスを犠牲にした「逸失利益」の代償は、はなはだ大きいといえます。
「落ちるのは本人の努力が足りないんだから、そんなことまで責任は取れない」と言ってしまって済む話ではありません。もとはと言えば、試験が難しすぎて受験を諦め一般社会に流れていく優秀な人材を引き留めるはずの司法大学院創設だったわけです。試験に合格しないのは、本人の責任だと言っている場合なのか。明らかに矛盾しています。
だいたい、試験が難しいということと、頭脳が優秀であることとは一致しないということぐらい、当局の人間はとっくにわかっていたからこの制度をスタートさせたはずなのに、そのうち「合格者のレベルが落ちる」などと言い出して、合格率を徐々に引き下げ始めました。それは教える側と制度に大きな問題があるのでは、と考えたくもなります。
大学入学試験はじめ資格試験一般は、理解力、暗記力など、能力のほんの一部しか試されません。そうした能力も必要ですが、その部分に偏重して難しくさせてきたのが問題なのです。それを改めて、優秀な人材を法曹界に入れるのが当初の目的だったのです。
それに、受験回数の制限というのは意味がありません。司法浪人となってしまい社会に「復帰」できなくなる人を救済する措置というが、まったく笑えません。受験を志すのも続けるのも、またやめるのも、そんなのは本人の意思以外ありえません。そんなことまで国がかまうというのは、合格後に司法に携わる人間が、国や誰かの言いなりになるということを意味するものです。
現在では、司法大学院を修了してもすぐに受験せず、さらに受験勉強を重ねてから本試験を受ける「受け控え」組が目立っているそうです。また受験者も経済的事情などから大学院に行けない人が受ける「予備試験」組が「大学院修了」組の数を逆転したとのことです。だから、予備試験についての見直しも図るという。これはまったく本末転倒で、大学院制度そのものの改革とはき違えています。
■「紙の中の知識」から脱け出せ
大学入試、入社試験、資格試験など、一般に難易度の高いと言われる試験に合格するほど、優秀と見られるのが日本の風潮です。しかし、それは単に「一次元」「二次元」の世界でしかありません。自分と紙(参考書、テキスト、テスト用紙)の関係(一次元)、自分と講師との関係(二次元)の知識でしかありません。要するに紙の中だけの「紙きれの知識」でしかないのです。
そのような基礎次元の知識を試されて、それが難関だからといって合格しても「三次元」「四次元」での社会では通用しません。実社会では、問題解決力、想像力と創造力、論理力、表現力、発想力、分析力、調査力、開発力、構築力、指導力、ネットワーク力といった能力が必要とされます。個人にとっては、人間と人間、人間と組織や社会との関係があり、個人や人種にはそれぞれ感情・意思・信仰・歴史など複雑な環境や事情が絡んでいます。つまり、そういう意味での複次元的(三次元・四次元)な世界では、単に「紙切れ」の知識だけで問題は到底「解答」できるものではありません。そういうことに対処できる法律家を育てるための司法大学院制度だったはずです。
司法試験に合格したというだけでは、合格者の将来や収入、進路が約束されるというものではありません。そんな基礎レベルの能力を試す段階で「質を落としたくない」などと考えていたずらに難関にしたり、人材がいなくなるからと難易度を緩めたり、本来の試験から予備試験に受験生が流れるから予備試験制度を変えようとか、本質から外れたことばかりしています。こういう人たちもやっぱり、「紙切れの知識」だけでやってきた人たちなのでしょう。そろそろ、そういった意識から解き放たれなければ、法曹界にかぎらず、日本はダメになっていくのではと、ひじょうに危惧されます。
猪瀬直樹氏の著作を最初に読んだのは、『ミカドの肖像』だったと思う。もうずいぶん前だが、「ミカド」(帝=天皇)という言葉に惹かれて読んだ。この著作については内容を忘れてしまったが、かなり知的好奇心を刺激されたのを覚えている。続いて、『天皇の影法師』も興味深く読んだ。
最近(2~3年前)では、『作家の誕生』という新書を読んだ。月並みの作家論ではなく、文章の裏に膨大な資料読みがあることが窺われた。まちがいなく猪瀬氏は、ものを書く者にとっての1つの方向性を示してくれる作家だった。「だった」という過去ではなく、現在もそういう作家だと思う。だから、と言うとおかしいかもしれないが、猪瀬氏は「政治家」ではない。それゆえ、「傲慢に」権力を振りかざさなければ都政もうまくいかなかったのだろう。
また、自分自身が「政治家としてアマチュアだった」から、今回のような失敗をし、醜態をさらしてしまったと言いたかったのではないか(辞任記者会見で)。僕は、アマチュア政治家だったなら、「5000万円借入れ」が発覚した時点で、すぐに都知事を辞めてほしかった。政治家として不慣れ(ずる賢いプロではない)なので、こんな重大なミスを犯してしまった、ごめんなさいと言ってさっさと辞めれば、こんなに本人も傷つかなかったろうし、都民、国民も政治的な迷惑を被らなかった(都政が一時的に滞ったという意味で)。
仮に作家としての力と、政治家としての力が別物であるならば、すっぱり「腐れ」を切り離して(5000万円の説明責任は残るが)、作家活動に戻れば、猪瀬氏の今後はこれほどまでに悲惨にはならなかったように思う。「作家力」と「政治家力」を本当に区別できるかどうかというと、これはなかなか難しい問題ではある。真実を見極めてそれを追求し、行動することは、本来どちらにも共通するものであるはずだ。作家、政治家どちらかにとって、真実を見なくてよいというわけにはいかない。結局は、小手先の「力」ではなく、その人の人間性の「力」によるものだ。
今となっては、猪瀬氏の著作がどこまで真実に基づくものなのか、文章の言葉の端々が怪しくなってしまう。そうなると、過去の著作も、これから書かれるであろう著作も、どれだけの人が読んでくれるかどうかもわからなくなる。猪瀬氏の場合は、虚構(フィクション)を書く作家ではなく、事実(ノンフィクション)を書く作家なのでなおさらである。そういう意味では、同じ作家でもこれまでの作家知事(青島氏、田中氏、石原氏など)のように小説家であるほうがまだ、フィクションという逃げ道があったように思える(何か不正を犯していたのでは?という意味ではなく)。
猪瀬氏は当面、「5000万円」の真実を赤裸々に公表することで、かろうじて作家としての道をつなげられるのではないだろうか。僕は、猪瀬氏のノンフィクション作家、ジャーナリストとしての能力はすごいものだと今でも思っている。だからこそ、今度のことは残念でならない。作家はしょせん政治家なんぞには向いてないと世間に思わせてしまったこと(本当は個人の資質の問題だが)、著作に書いてあることなど結局は綺麗ごとの正論ぶったものでしかないと読者に思わせてしまうこと(本来、著作物は著者と切り離して評価すべきだが)、こうしたことが僕をすごく落胆させた。
僕は、猪瀬直樹という作家がこういう形で今まで生み出してきた著作を無とし、作家活動を終わらせるのではなく(猪瀬氏自身、作家として再スタートすると言っている)、もう一度知的興奮を与えてくれる著作を書いてほしいと切に願っている。それが、作家を目指す者たちへの1つの道しるべになるならば。
小学校2~3年の頃から、自分の小遣い稼ぎのために新聞配達をしていた。その日、学校を終えて、いつものように夕刊の配達をする時間だった。「コ」の字型に家々に囲まれた路地の中央に置かれた折り込み台で、同じ小学生仲間が、めいめいに分担の新聞を受け取っていた。僕は自分の分を受け取ると、折り込み台で新聞の種類ごとに配達順に並べていた。のちに東京に出て新聞奨学生となった時、新聞1紙ごとに専売所があって驚いたが、地方(三島)では、その配達区域内の新聞を1か所で全部扱っていた。全国紙(日経、読売、朝日、毎日、産経)はもちろん、地元紙(静岡新聞)、そして全国スポーツ各紙。
その日は、特別だった。普段、新聞記事など、スポーツ紙以外まったく気にも留めず配達していた僕たちであったが、見出しが異常だった。
「ケネディ大統領暗殺」
どの新聞も一面、上から下までぶち抜きで、白抜きの大きな見出しが葬儀案内のように印刷されていた。そして、大統領がオープンカーの上で撃たれた瞬間の写真が生々しく載っていた気がする(「気がする」というのは、狙撃の瞬間が後でテレビで何回も映されたから、その日の夕刊にも載っていたと思うということだ。)
ジョン・F・ケネディが、政治家としてどういう人物なのか分かりもしなかったし、テレビや新聞などでアメリカの現職大統領ということ、その大統領が若くてかっこいい俳優のような人だというぐらいしか当時は知る由もなかった。
「キョウダン」という言葉も、その時初めて聞いた。
音声だけで聞けば、小学生の僕には教室になじみの「教壇」ぐらいしか思いつかなかった。何度も繰り返される「キョウダン」が、「凶弾」であることが分かるにつれ、生々しくも、何かすごいことが起きたのだと知った。
朝礼でみんなが整列した時、ニュースで知ったこの事件について、「ケネディ大統領が暗殺されたんだって」と、まるで近所の誰それのうちで大変なできごとが起きたという延長感覚で話していたのを覚えている。朝礼台に立った校長だか教頭も、「アメリカの大統領が・・・」と言っているのが聞こえた。むろん、小学生がそれ以上のニュースの意味を知るべくもなく、その話題は、僕らの上を通り過ぎて行った。
その後、中学に上がった頃だと思う(ケネディ暗殺から5年)。ケネディ大統領の実弟、ロバート・ケネディ大統領候補(上院議員、元司法長官)が、「キョウダン」に倒れたという事件が起きた。今度は、すぐに「キョウダン」の意味が分かった。兄のケネディの場合は、凶弾による即死だった。だから、すでに死亡後のニュースだった。しかし、今度の場合は、凶弾に倒れてから何時間も重体の状態が続いているニュースだった。
「今も危篤状態で、危険な状況が続いています」と、テレビやラジオでは、頻繁に伝えていた。
「脳を撃たれた」という報道と「危険な状態」が続いているということが繰り返されており、僕は、これは助かったとしても、政治家としてはもちろん、一生普通の生活も無理なんだなと思って聞いていた。この時も、政治的関心からほど遠いところで、現職大統領に続いて実弟の大統領候補が狙撃されたという大事件に接していたに過ぎない。
あれから50年。アメリカ大統領の長女、キャロライン・ケネディ氏が駐日大使となった。父の大統領が暗殺された時、まだ5つか6つの愛くるしい女の子がテレビに映されていた。ケネディ家の人気はまったく衰えていない。本国でも、この日本でも。ケネディ暗殺の真相探しもまた、派手に復活しているようだ。ケネディ兄弟の暗殺は、アメリカが自由の国になる道のりでの、大きな「闇」であった。自由な民主大国であっても、このようだったのだ。アメリカが、本当に自由の国となったか、もっと自由を目指している国なのか、僕にはまだよくわからない。
ここにきて、「自由」から本当に遠い、怖い事件が起きている。朝鮮半島の北では、最高権力者の側近ナンバー2が、「国家転覆陰謀罪」で失脚。逮捕、軍事裁判、銃殺処刑までわずか数日で断行された。その直前にこのナンバー2の側近たちも、彼の眼の前で銃殺されたという。これは、粛清である。まだこんな恐ろしい政治が、いとも簡単に行われている国がある。最も「自由」から遠い国、その国が日本の近くにある。
我が国を見れば、「特定秘密保護法」があっさり(ドタバタの末に)決まってしまった。誰も本気で、決まるとは思っていなかったのだ。世の中のみんなが反対しているのに、なぜこんなに急いで決めてしまうのか。この国は、本当に「自由」を守れるのだろうか。北朝鮮、あるいは中国のように、思想統制が始まるのか。本当に僕たちの知りたいことが知らされずに、国の都合の良い「自由」のみが与えられるにすぎないのか。
「国民にとって不都合なことまで、国民に知らせる必要はない」と自民党幹事長が言っている。どういうことなのだろう。「国民にとって不都合かどうか」を「国にとって都合がいいか」で決めるということなのか。
ケネディ大使が赴任して期待されるところはあるが、駐日大使はあくまで本国の政治的意思を伝え、守るのが使命である。日本国をどうこうしてくれるわけではない。日本のことは、日本人がきちんと考えていかなければならない。
50年前のように、「凶弾」による事件など日本で起こってほしくはないが、何か不気味な不安を感じる時代になってきている。
その日の夜は、研修で来ていた東京・木場にあるビルの研修室に全員で泊まることになりました。昼間、生まれてこのかた経験したことのない強くて長い揺れにあい、地震の恐怖を知りました。身の危険を感じ、机の下にもぐろうとしたほどです(0311 14:46)。
しばらくして、ビル内の人間は全員、建物の外に出るよう指示されました。それからも強い揺れがあり、自分たちがいた細長い建物が、しなしなと揺れているのが外からはっきりわかったほどです。2時間ほど外で待機していたのですが、隣のイトーヨーカドーでも客が混乱していて、こちらとは逆に、店の中のほうが安全だから店外へ出ないようにとアナウンスしていました。
近くのロータリーパークの1F広場では大型画面のテレビが映っており、それで地震の規模の大きさを知りました。画面では、仙台沖からまさに陸へと向かって長い白い帯のように津波の先端の波頭が横に連なって、じわじわと、しかし実際は猛烈な速度で恐れる巨大な生き物、いや、人工的な波動ともいえるものが正確な時間を刻んで迫っているのが映し出されていました。
― まるで何かの映画みたいだ。
地球に迫りくる危機を描いたいくつかの映画を思い出していたのです。それが現実に大きな災害をもたらすこととなる直前の映像であるのは間違いないのに、周りの人たちの中で、何か自分が不謹慎な言葉を発したように思えました。確かに、画面が変わると、市街はすでに炎を出して燃えている。この時はまだ、津波が上陸する前だったので、映像は内陸の火災状況だけでした。このあとに襲われた津波被害のほうがはるかに甚大だったのですが、その惨状を知ったのはもっと後でした。
建物内に戻って、インターネットで被害が拡大していくのを追いました。ここ東京で机の下にもぐろうとしたという、そんなレベルではない地震だったのです。みんな携帯電話で連絡を取ろうとしていましたが、メールも電話も通じない、電車も止まり、全線回復の見込みがありません。全員ここに泊まることになりました。家族と携帯で連絡がつながったのは、夜10時過ぎです。
この時点では、被害者の数はネットで公表されているだけではまだ数十人。当然、これは実態が把握できていない数字であって、被害者数がもっと拡大していくのは予測できました。私たちは研修室の椅子を並べてその上に寝ることにしましたが、照明も暖房もトイレも使える。外に出れば、食べ物も飲料もコンビニで手に入る。こんなのは、とても避難のうちに入らない。
同時刻に、東北の被災地には、明かりも暖房も布団もなくなり、そしてもっと悲惨なのは、家も、そして肉親さえも失っていた人たちが何万人もいたということです。東京都心でも、帰宅できない人たちが、直接の被害でないにしろ、寒い夜の中で一夜を過ごそうとしていました。こんな時に、こんなことを思うのはどういうものかとしながらも、自分は運が良かったのかと思うしかありませんでした。
温かいご飯を食べ、炬燵に入りながらテレビを見て、家族と笑いながら夕食時を過ごす。ささやかな、平和で幸せな時間、これは誰しもが受けられるものです。そうしている安堵の時の、まさに一瞬後に、冷たい夜の下に投げ出されたら、それも、家族も、家も、友も、思い出も、財産も、仕事も、愛情もすべて流された孤独と暗闇の場所に突然突き押されていたら・・・。
被災地の人は、それが今、現実なのです。私には、それが考えられないのです。テレビや新聞の報道で見ても聴いても、時が今日までたっても、まだ信じられないのです、これほどひどいことが現実に起きていることが。同じ日本の国土で。大変なことが起きている。いつ、自分たちがそうなっていてもおかしくはない・・・。
1週間たって、東北、北陸、関東、中部を震源として、「中」から「強」弱の地震が続いている。ちょうど、ぽっかり東京を除いて・・・。
宇宙飛行士 若田光一さんがスペースシャトル「ディスカバリー」で宇宙に飛び立ちました。宇宙ステーションに3ヵ月半、滞在します。
私などは、肉体的にもそうですが、精神的な負担はどうなのだろうかと素人ながら心配してしまいます。事実、宇宙に長期滞在して、精神的ストレスからうつ状態になってしまい、地球との連絡ボタンを切ってしまった宇宙飛行士もいるそうです。ジャンボ機程度の空間で、わずか数人だけの日常、しかも失敗が許されない過酷な任務。地上にいてもストレスで潰れそうなのに、今のところ若田さんは「毎日が楽しい」と報告しています。
自由度の大きさが精神的ストレスを救う
密閉空間で、人間がどれだけ精神的に耐えられるか ―。それは、自由度に大きく左右されます。私は比較的、狭くて密閉された空間に何時間いても平気なほうです。ただし、条件があります。その気になれば、いつでもその空間を自由に出入りできるということです。
日常の例では、朝、通勤の満員電車、突然の事故で停止してしまったという経験があると思います。私は数秒で心理的なパニック状態に陥りそうになります(実際は耐えますが)。身動きできない状態で、いつ動くのか、いつまで止まっているのか、さらにその放送(情報)すらないと、心理状態はかなり危なくなります(実際は耐えますが)。
いざとなれば、非常用コックでドアを開け、外に飛び出す究極的な自由度はありますが、そうそう、その自由を行使できません。自由度のない密閉空間は、閉塞空間となります。あのまま、数十分も社内放送がないと、乗客の何人かは明らかに半狂乱になるでしょう。
若田さんの場合、今回の宇宙滞在は密閉空間といえども、ステーション内は任務の制約内で自由に移動できる、NASAとは常時連絡が取れる、いつまでの滞在期間か決まっている、業務時間外は家族や友人とプライベートのメール通信ができる、任務にはルールがあっても全面的な裁量が与えられている、何より名誉かつ好きなことをやれる、などかなり自由度があるといえます。
宇宙飛行士の資質
先日、NHKで、日本人宇宙飛行士を選考する試験の模様をやっていました。千人近い候補者の中から最終選好に10人が選ばれました。ここからさらに、3人を選びます。応募者はいずれもその道のプロ、専門知識と高いレベルの経験を持つ人たちばかりです。3人が選ばれる基準はどこにあるのでしょうか。
優秀な技術と専門知識と経験、最終段階ではそうしたものは決め手になりません。それは全員が備えているからです。黙々と何時間も折鶴を折らされる忍耐力、急変時に短時間でロボットを改造するとっさの対応力、仲間を和ませるコミュニケーション力、プロジェクトが行き詰った時のリーダーシップ、などが隔離施設で試されていました。最後に選ばれるための資質は、結局、“自由を尊重した人間性”という単純なものです。単純であるけれど、もっとも難しく高い基準なのです。
宇宙飛行士となっても、このような高い資質を維持するための訓練が続くのだと思います。私たちが、密閉空間や閉塞空間の中、自由度が低い状況で精神的ストレスを感じるのとはかなり次元が違うのでしょう。