コミックはあまり読まないほうですが、今でも読み続けているものがあります。
一つは「島耕作」。
「島耕作」シリーズは、「課長」時代が傑作で、サラリーマンとしての自分と重ね合わせて、仕事のやり方や上司との付き合い、女性の扱い方(?)などを、これを教科書として楽しみながら学んだものです。ただ、島耕作が出世していくにつれ(今では日本を代表する大会社の社長)、だんだん自分との距離が広がりすぎて、ちょっと現実感がなくなっていき、少し興味が薄れてきているのも事実です。
もう一つは「ゴルゴ13」。
「ゴルゴ13」といえば、こちらも若い時代の一人の殺し屋から今では国際舞台で政治を動かすほどの超一流スナイパー(狙撃者)へと出世(?)し、かなりかけ離れた存在となっています。しかし、ゴルゴが超大物に出世すればするほど、このシリーズ作品は逆に現実感が優ってきて、イマージネーションが高まり、読むほうの創造力を刺激してくれます。
最近、「ゴルゴ13」の通算100巻メモリアル号(My First Big 小学館)としてこれまでの傑作(主に1970代~1980年代の作品)が一冊となって出たので、読んでみました。数ある傑作の中で、多くのファンが傑作とするものに「芹沢家殺人事件」があります。私も、これは超傑作だと思います。1975年の作品ですが、最初に読んで以来、時々あのおぞましい光景が脳裏から蘇ってきます。
この作品は、作者(といっても、原作者のさいとう・たかを氏以外に、分業制でシナリオ専門のライターがいるそうですから、本当は誰の原作かはわかりません)が特別に思い入れた、一世一代のシナリオだと思います。ゴルゴが誰なのか、誰がゴルゴなのかを、渾身の筆で作者が描いたのが伝わってきます。ゴルゴの正体の謎を扱った作品はいくつかありますが、作者(さいとう氏?)は、シリーズの途中で、ゴルゴを今後永く作品で生かしておくためには、いったんケリをつけるために、ここでゴルゴの正体を明かしておく必要があったのかもしれません。もっとも、「芹沢家殺人事件」はゴルゴ13の本当の正体を極限まで突きつめておきながら、最終的には明かしていません。
「芹沢家殺人事件」― 。昭和20年代に起きた一家5人惨殺事件、家族殺害の犯人と思われる5歳の少年・芹沢五郎(ゴルゴ?)が成人した後、ただひとり生き残った姉を、自分の正体を知る最後の証人ゆえ抹殺する・・・(読んでいない人のために殺人の方法は書きません)。その時から芹沢五郎はゴルゴ13になるべく十字架を背負う宿命となる。まるで、実際に起こった凄惨な殺人事件のような現実感をもって迫ってくる作品です。
この作品の頃から、ゴルゴは実際の政治・経済の国際舞台で現実世界と交錯し、現存するスナイパーとして国家や軍の依頼により政府要人や組織大物らを狙撃していきます。表舞台に見えない闇舞台で現実に存在し、裏の世界より歴史を変えていきます。
「芹沢家殺人事件」は、横溝正史の小説にあるような殺人ミステリーと、一族の歴史に秘められた謎、おぞましき血の連鎖、ゴルゴ13という超人が誕生するまでの種明かしを絡めた傑作です。あのゴルゴ独特の風貌と醸し出す雰囲気は小説という言語世界では表現しきれませんし、ましてゴルゴという超存在を実写で演じきれる俳優が存在しないということで映画化も難しいものです(実際、高倉健や千葉真一とか、何人かの俳優が挑んでいますが、どこまで迫りきれたでしょう)。
ゴルゴ13が死ぬ時は、生みの親さいとう・たかを氏が亡くなる時だと思いますが、ゴルゴの死は、さいとう氏の死よりも世界中で大きく報道されることでしょう。現実世界を超越したテロリストの死として。
(村上龍のテレビ番組「カンブリア宮殿」に出演した時、さいとう氏は「すでにゴルゴの最終幕は頭の中にでき上っている」と語っていました。)
龍馬が、またブームらしい。
また、というのは、坂本龍馬は、日本人が好きな歴史上の人物の中でも、つねにトップクラスにいるようで、たびたびドラマにされたり、何人もの作家により書かれている。
ずいぶん昔、やはりNHK大河ドラマでやっていた『竜馬がゆく』(司馬遼太郎・原作)がかすかに記憶に残っている。北大路欣也が坂本竜馬で、千葉道場で修行をしている場面だけが記憶にあるが、あとはほとんど覚えていない(あまり熱心に見ていなかったのかもしれない。ちなみに、司馬遼太郎の場合は「龍馬」ではなく「竜馬」である)。
ずっとあとで、司馬遼太郎の同名小説『竜馬がゆく』を読んだが、小説を読みながら、この場面はドラマだったらどんなふうだろうと思い浮かべたりしたが、後の祭りで、『竜馬がゆく』は当時のテープはほとんど残っていないそうだ。ただ、僕としては、龍馬といえば「北大路」竜馬なのだ。
司馬原作の竜馬は無口でどちらかというと無愛想、風体にはかまわず、大柄でド近眼だがやたら剣の腕がたつ(北辰一刀流の免許皆伝)。出会う女はみな、なぜか竜馬に惚れてしまう(史実の女性がいるので、作り話ばかりではなかろう)。政治感覚に優れていたが、商才にも長けていた。商船の会社(亀山社中)を作り、薩長の懸け橋となった。明治維新後も生きていれば、坂本竜馬は、政治よりも商人(経営者)として名を残しただろうと、作者は書いている。
今は、NHK大河ドラマの『龍馬伝』だ。毎週見ているが、「福山」龍馬、「武田」海舟と、俳優の顔が表に出ている。これは、仕方ない。作者によって、俳優によって、それぞれ解釈している坂本龍馬像がみな、違うから。「福山」龍馬が、やたら喚いたり、叫んだり、泣いたり、笑ったりしていると、「なんか、違うぜよ」と思ってしまう。僕の知っている竜馬は、あくまで無口で、あまり表情を顔に出さない、近眼のせいでいつも眩しそうに眼を細めている、いざとなれば脅しや口説きの決定的な殺し文句を言いたげな口元、それが出会う人間(男も女も)の心を虜にしてしまう。喜怒哀楽がないのではなく、笑うところは豪快に笑う、酒宴などでは騒ぐところは騒ぐ、とメリハリがあったらしい。
まあ、少し調べると、ドラマや小説で描かれている坂本龍馬は、史実とはだいぶ違うらしいことが書いてあったりするが、そこはそこ、一介の下級武士の浪人が、薩摩の西郷と長州の木戸を結びつけるのだから、これはたいしたことだった。今でいえば、失業中の人間が、民主党と自民党の党首同士の手を結びつけることか?(スケールが小さいか? 政界では時々、自分を現代の坂本龍馬だと名乗る人間が出てくるが・・・。)
ちょっと不満なのは、『龍馬伝』の龍馬には、当時の大人物がこの男に魅力を感じ、信頼しきるほどの何かが十分に描き出されていない。これは、脚本家の力量不足か、俳優の演技力の限界か。
それとも、坂本龍馬という人間は、史実に迫らなければ、永遠に本当の姿がわからないものか。
また、というのは、坂本龍馬は、日本人が好きな歴史上の人物の中でも、つねにトップクラスにいるようで、たびたびドラマにされたり、何人もの作家により書かれている。
ずいぶん昔、やはりNHK大河ドラマでやっていた『竜馬がゆく』(司馬遼太郎・原作)がかすかに記憶に残っている。北大路欣也が坂本竜馬で、千葉道場で修行をしている場面だけが記憶にあるが、あとはほとんど覚えていない(あまり熱心に見ていなかったのかもしれない。ちなみに、司馬遼太郎の場合は「龍馬」ではなく「竜馬」である)。
ずっとあとで、司馬遼太郎の同名小説『竜馬がゆく』を読んだが、小説を読みながら、この場面はドラマだったらどんなふうだろうと思い浮かべたりしたが、後の祭りで、『竜馬がゆく』は当時のテープはほとんど残っていないそうだ。ただ、僕としては、龍馬といえば「北大路」竜馬なのだ。
司馬原作の竜馬は無口でどちらかというと無愛想、風体にはかまわず、大柄でド近眼だがやたら剣の腕がたつ(北辰一刀流の免許皆伝)。出会う女はみな、なぜか竜馬に惚れてしまう(史実の女性がいるので、作り話ばかりではなかろう)。政治感覚に優れていたが、商才にも長けていた。商船の会社(亀山社中)を作り、薩長の懸け橋となった。明治維新後も生きていれば、坂本竜馬は、政治よりも商人(経営者)として名を残しただろうと、作者は書いている。
今は、NHK大河ドラマの『龍馬伝』だ。毎週見ているが、「福山」龍馬、「武田」海舟と、俳優の顔が表に出ている。これは、仕方ない。作者によって、俳優によって、それぞれ解釈している坂本龍馬像がみな、違うから。「福山」龍馬が、やたら喚いたり、叫んだり、泣いたり、笑ったりしていると、「なんか、違うぜよ」と思ってしまう。僕の知っている竜馬は、あくまで無口で、あまり表情を顔に出さない、近眼のせいでいつも眩しそうに眼を細めている、いざとなれば脅しや口説きの決定的な殺し文句を言いたげな口元、それが出会う人間(男も女も)の心を虜にしてしまう。喜怒哀楽がないのではなく、笑うところは豪快に笑う、酒宴などでは騒ぐところは騒ぐ、とメリハリがあったらしい。
まあ、少し調べると、ドラマや小説で描かれている坂本龍馬は、史実とはだいぶ違うらしいことが書いてあったりするが、そこはそこ、一介の下級武士の浪人が、薩摩の西郷と長州の木戸を結びつけるのだから、これはたいしたことだった。今でいえば、失業中の人間が、民主党と自民党の党首同士の手を結びつけることか?(スケールが小さいか? 政界では時々、自分を現代の坂本龍馬だと名乗る人間が出てくるが・・・。)
ちょっと不満なのは、『龍馬伝』の龍馬には、当時の大人物がこの男に魅力を感じ、信頼しきるほどの何かが十分に描き出されていない。これは、脚本家の力量不足か、俳優の演技力の限界か。
それとも、坂本龍馬という人間は、史実に迫らなければ、永遠に本当の姿がわからないものか。