FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

三島由紀夫と金閣寺 ~ 永遠なる「美の鳥」 鳳凰  

2009-11-28 01:21:03 | 仏像・仏教、寺・神社

伊藤若冲の「白い鳳凰」、「あさひの鳳凰」と、鳳凰つながりで――。

まず、次の文章を読んでみてください。三島由紀夫『金閣寺』の有名な一節。

「私はまた、その屋根の頂きに、永い歳月を風雨にさらされてきた金銅の鳳凰を思った。この神秘的な金いろの鳥は、時もつくらず、羽ばたきもせず、自分が鳥であることを忘れてしまっているにちがいなかった。しかしそれが飛ばないようにみえるのはまちがいだ。ほかの鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠に、時間のなかを飛んでいるのだ。時間がその翼を打つ。翼を打って、後方へ流れてゆく。飛んでいるためには、鳳凰はただ不動の姿で、眼(まなこ)を怒らせ、翼を高くかかげ、尾羽根をひるがえし、いかめしい金いろの双の脚を、しっかと踏んばっていればよかったのだ。」(『金閣寺』三島由紀夫)

この文章を何かの断片で読んだ時の印象がずっと残っていました。『金閣寺』は、文学的にみれば、三島由紀夫の最高傑作といえるものでしょう。晩年に『豊饒の海』(4部作)という代表作といえる作品を残しましたが、このうちの第1巻(『春の雪』)くらいが三島氏の最後の円熟さを思わせるものではないかと思います。三島氏の文章は、日本古典文学の遺産を現代文に華麗に溶かし巻きつけたもので、プロでもそうそうまねて書けるものではありません。

金閣寺の鳳凰なら中学生の修学旅行で見ているはずですが、あれは物的に見ていただけで何も記憶がありません。大人になって、心的に見たのはずっとあとです。上の文章に書かれた鳳凰、そして金閣、私は想像をめぐらしました。金閣の上に立つ鳳凰、その翼をひろげ、双(に)の脚で屹立するようすが、『金閣寺』全編を読み進むにしたがって、浮かび上がってきました。

池のこちらから遠く見る金閣寺は、おもちゃのように美しい。それは手に取れるように華奢でやさしく、壊れそうな建物です。それだけに、またこの世でないような非現実感があり、眺めていて飽きない。近くに寄るにしたがい、非現実感が現実として現れて、かえって、なかなか眼の前にあることが信じられない。

放火による炎上で再建されて、建物を蔽う金箔がまだ剥離もせずに黄金の完全さをそのままに放つ――、よりめまいを感じさせるのでしょう。嘘のようであって真(まこと)、真のようであって嘘の感覚。あまりに完全な姿を見せられると、ひとは本物かにせものか分からなくなります。焼失前の金閣のほうが、よほど現実的な美しさ、妖しさがあったのかもしれません。だから、修行僧が心を乱され、火を放ってしまったのか――。

金閣に立つ鳳凰。この世の王の象徴、美であり、永遠に存在する化身。時をはばたく翼と羽。鳳凰がなければ、金閣は金閣でなく、永遠の美の象徴であることもなかったはずです。この鳳凰は、若冲が描いたエロティックな鳳凰とちがって、両翼を張り上げて力強い双つの脚で踏ん張る姿は、永遠の「時の王」を謳歌しているようです。

金閣寺にふさわしい季節は、秋や冬や春や、いろいろあるでしょう。私は暑いさかりの夏に行きました(夏の金閣寺が好きということではなく、夏休みくらいしか行けないので)。暑いなかにも、人は多く、外国人ももちろん大勢いました。私の前をずっと歩いていたインド衣装の、薄い褐色のはだをあらわにした、漆黒の長い髪が美しい女性に私は眼を奪われていました。その女性が美しいということもそうですが、池の水面に金色に輝く金閣寺と、眼の前にいる東洋の幻想的な美女とがあまりに合わさって、そこに三島由紀夫が描く一つの小説世界が映し出されるようで、心地よい幻覚を覚えていたのです。

金閣と鳳凰、東洋の異国から来た美しい女。やはり、金閣寺は人を眩暈(めまい)の世界に引き込んでしまうのでしょうか。




高尾山 ― 山頂に向かう寺 薬王院

2009-11-22 03:34:18 | 仏像・仏教、寺・神社

 高尾山 薬王院・本社

薬王院は高尾の山の中にある。山頂へは、この境内を通り、登っていく。

秋の綺麗な空に誘われて、高尾山に行きました。もう何度か行ったので、物珍しくもないと思っていたところ、驚きがありました。人、人、人、人。どこへ皆、行脚して行こうというのか。

ケーブルカーは何十メートルも、横数人ずつの列で続いていました。大晦日から元旦の初詣のように人が並んでいる。いつもは乗るケーブルカーを諦めて、ハイキングコースに回りました。登山と言えば緩やかですが、散歩と言えばかなりきつい勾配のある坂です。頂上まで90分。その路も、行脚の行列で埋め尽くされてました。

きつめの坂道には若い男女、男同士と女同士、親子、中高年からちょっとお年寄り、ベビーカーの子まで・・・。そして、ほんとに目立ったのは外国人の多いこと。アジア系の人も少なくないけど、欧米人の多さ。なんか、ロスアンゼルスかどこかの観光地に来たような気がしてきました。京都や奈良、鎌倉ならいざ知らず、こんな(と言ったら怒られるでしょうか)山に、よく来ましたねえ、という感じです。

ついこの間(?)まで、高尾山といえば、中高年の方のハイキングコース、親子連れ、その中にポツリと、ディズニーに行きそびれた若い人が来ている感じの賑わい程度でした。観光客はそこそこいましたが、ちょっと並べばケーブルカーやリフトにも乗れたのです。山頂は好天で、富士山が見えますが、さほど広くはない頂の広場に、やはりイベント開催のように人がかたまっていました。

先ほどから思い立っていたのですが、どうもこれは、ミシュランの「3ツ星観光」にあるようです。日本の山では富士山とこの高尾山が3ツ星観光地に指定されたとのこと。おかげで、テレビの旅番組でもよく取り上げられているようです。手ごろの場所で、紅葉時期、3ツ星のお墨付き。これなら、若き人も外国の人も来てみるのは分かります。

前に来た頃は、山頂に着いても閑散として、「若い人は、休みの日にはこういう所に来ないで、都心に行っちゃうんだろうねえ~」なんて言いながら、のんびり散策していたのがウソのようです。世界遺産とかに指定されると急に観光客が増えて土地が荒らされてしまうということをちらと聞いたりすると、経済的に土地が潤うこともいいことだし、いつまでも賑わってほしいと思う反面、すぐに荒れたり廃れたりしないで、とも思います。



烏天狗・大天狗(高尾山 薬王院)

薬王院は、真言宗のお寺です。四天王門の前、本堂そして本社の前と、大天狗と烏天狗が対になって3ヵ所で立っています。本社の前の両脇に立っているのが有名でしょうか。これは修験道の山伏の姿からきているもので、天狗像は神格化されたものです。もとは不動明王に仕える随身(護身の家来)です。本社は、改めて見ると色鮮やかに朱を主体に塗られ、柱と柱を渡す梁の木に彫られた鳳凰、龍、獅子などの鳥獣、壁面に描かれた仏道の絵に眼が惹かれます。

アメリカの女子高生なのか、ひとり群れから離れ、四天王像や仁王像、天狗の像や壁画など、熱心にカメラを向けているのが印象的でした。大きな身体の外国青年が、みやげ屋の饅頭を一口、おいしそうに食べているのを見ると、こちらも幸せな気分になり、「国際観光地」高尾山がこれからも賑わうようにと願いました。




ブリューゲルと暗い絵の中の野間宏 

2009-11-19 02:02:18 | 文学・絵画・芸術
『死の勝利』(ブリューゲル)

11月15日の日経新聞「美の美」欄、見開き2ページに「野間宏とブリューゲル」という記事が載っています。

ブリューゲルはともかく、野間宏の名を、どれだけの人が知っているでしょう。小説を志している(志していた)人にとっては、必読の作家だと思います。埴谷雄高、武田泰淳、などと同世代の戦後派作家です。ノーベル賞作家の大江健三郎や三島由紀夫より少し前の世代です。代表作『青年の環』(全5巻)でアジア・アフリカのノーベル賞と言われるロータス賞を受賞しています。

野間宏は、私が最も大きな影響を受けた作家です。それまで、ドストエフスキー、サルトルといった翻訳もの中心に読んでいた頃、サルトルの全体小説を引き継ぎ、その小説方法を乗り越えて完成したと言われる『青年の環』を読んで、非常に影響を受けたのです。野間氏の作品は、それこそ眼で1文字1文字舐めていくように、また舌の上で言葉のひとつひとつを転がしていくように読んでいきました。

冒頭の、ブリューゲルを題材とした『暗い絵』という作品も衝撃的でした。それまで日本の小説では太宰治とか芥川龍之介といった、近代文学の小説家くらいしか読んでいなかった私は、その文体に眼がくらんでしまいました。こんな文章があるのか、と・・・。

「草もなく木もなく実りもなく吹きすさぶ雪風が荒涼として吹き過ぎる。はるか高い丘の辺りは雲にかくれた黒い日に焦げ、暗く輝く地平線をつけた大地のところどころに黒い漏斗型の穴がぽつりぽつりと開いている。・・・・」(『暗い絵』)

こうした文章がずっと続いていきます。すごい、すごい文章だな、と思いながら、何度も読み返したものです。ここに描写されたブリューゲルの絵を見てみようと、書店で画集を見たりしました。あとで分かったことですが、『暗い絵』に描かれた絵そのものはなく、ブリューゲルのいくつかの代表作を連ねたイメージを元に小説は書かれたようです(日経新聞にはそれらの絵が大きくカラーで載っています)。

西洋小説に対して、日本の小説は比べ物にならない――。と思っていた私は、まったく発想を変えられました。その代表的な作品が、『青年の環』です。なにしろ、400字詰め原稿用紙8,000枚分ということですから、純文学では、プルーストの『失われた時を求めて』に次ぐ長さです(分厚い単行本5冊分)。

当時学生の身であった私は、この大作をまったく苦もなく読むことが出来ました。というより、毎日毎日、この作品を読むのが楽しみで楽しみで、一気に読んでしまってすぐ終わらせないよう、わざと1日50ページ以上は読まないようにしました。時間はたっぷりあったのに。『青年の環』を読むのが日課となり、至上の歓びの時間となったのです。

今の時代では、重厚長大、複雑輻輳した文章で書かれた小説は読まれなくなったようです。野間氏の作品、特に『青年の環』などは、大きな書店に行っても、棚に並んでいません。これも時代なのでしょうか。なんだか、さびしい思いです。

日経の記事がきっかけで、また、復興ブームが来るといいんですがね。



若冲の鳳凰 ― 旭日(あさひ)の中の極彩色

2009-11-15 01:02:12 | 文学・絵画・芸術
 『旭日鳳凰図(きょくじつほうおうず』

先日行った「皇室の名宝」展(「伊藤若冲 ― 極楽を描いたエロティシズムの絵師」)の続きです。

現在も東京国立博物館で第2期が開催されています。じつは、「第1期」をもう1回見に行ったのです。第1期終了1日前ということで、大変な混みようでした。伊藤若冲の『動植綵絵(どうしょくさいえ)』を展示しているホールでは、作品前は数列も重なって、満員電車のように身動きできず、ちっとも前へ移動できないほどでした。係の女性が、しきりに「最前列の人は前へ進んでください」と言ったって、先のほうでじっと動かないので、進みようがないのです。

最初から、度肝を抜かれたからでしょう。いわゆる若冲ホールに入ったとたん、『動植綵絵』(タタミ1畳分くらいの大きさの絵が30幅)より大き目の絵がいきなり飛び込んできたからです。そこからして、もう、人垣が動きません。前に、「白いエロティックな鳳凰」(『老松白鳳図(ろうしょうはくおうず』)について書きましたが、それよりちょっと前に描かれた、すごい絵があるのでした。

『旭日鳳凰図(きょくじつほうおうず』。
旭日(あさひ)を背景に、2羽の鳳凰が描かれています。中央の美しい鳳凰が雄なのでしょう。『老松白鳳図』の「白い鳳凰」と構図がそっくりです。ただ、どちらかというと、まだエロティシズムが足りません。「白い鳳凰」が雌の、女を意識したエロティックな美に対して、これは雄の美しさです。孔雀の、あの雄の美しさと同じです。華やかであること、優美であること、そこにとどまる美。その隣にいる、雄のほうを見ている雌は、メスのふくよかさと、母となる落ち着きがあります。その地味さが飛んでしまうほど、雌としての存在感があります。

はてさて、これはまた、なんという絵なんでしょう。お正月に、鏡餅の後ろに、ちょいとめでたく飾って掛けるという代物ではありません(贋物っぽいものが、小さい頃、正月の露店で売ってたりしていましたが)。

この細密緻密は、絵であって絵ではない。若冲には、この世ではない架空の鳥が、眼の前に写真のように映っていたのでしょう。若冲は、その眼の前にある「現存」を、最高の画材で写し取ったのです。現代に生きていれば、カメラでそのまま写真に残すようなものです。仏様は、カメラの精巧さの代わりに、画材を自在に扱う緻密繊細な指先と、実在を写し取る眼を若冲に与えたのでしょう。

芸術性としては、「白い鳳凰」のほうが高い(と思う)。しかし、前身ともなるこの絵は、これはこれで、1枚のみで伊藤若冲の名を永く残すものです。「こんな絵見たことない」―、というのが最初の印象ではないでしょうか。この絵が最初に展示してあることからして、若冲ホールの満員渋滞の原因なのでした。

それにしても、こういう満員の日に、車椅子の方が何人かいました。満員状態の人垣の後ろのほうから、しかも普通の人より低い目線で、遠くから困ったように観ていました。国を代表する博物館。車椅子からでも世界に知れる若冲の絵を、いや、これからも展示される名品を、自分の生の眼で観たいでしょう。もう少し、障害者の方も落ち着いてゆっくり見られる設備を、と望みます。

今度は、いつ東京に来るのでしょうね。「白い鳳凰」と「あさひの鳳凰」、2枚のポストカードを見比べながら、飽きない秋でした。