モハメド・アリ氏が亡くなって1ヵ月ほどになる。僕は今でも、アリ氏死亡の特集番組「アリ・猪木戦」を思い出す。
僕自身は、「アリ・猪木戦」をリアルタイムで見た世代だ。当時、どんな決着になるか興奮して見ていたものだが、試合結果は「世紀の茶番」とか「世紀の凡戦」とか酷評されたように、僕ら自身も正直、落胆させられた。いくらプロレス技封じのがんじがらめのルールにしても、アントニオ猪木なら派手な決着を見せてくれるだろうと、みんなが期待していたのである。
「猪木はチキン(臆病者)だ」というのも、そうなのかとさえ思った。なにしろ、15ラウンド、ほとんど寝てばかりいたのだから。試合後、アリは猪木の何十発ものキックを脚に受けた影響で入院、ヘビー級世界タイトルマッチも延期せざるをえなかった。猪木もつま先の骨にヒビが入っていたということで、その真剣勝負らしさは知ったけど、あれから40年間、もどかしさが残っていた。
そして、1ヵ月前の録画試合である。録画を見だしているうち、僕は背筋が凍る思いがした。確かにルールの縛りがあったのは再確認できた。しかし、アリのグローブを見て仰天した。グローブが、拳より少し大きいだけだったのである。これは、リアルタイムの試合では気づかなかったことだ。
プロボクシングのグローブというのは、どの階級の選手も風船のように大きく膨らんだものをはめている。オンス(重量)が大きいほど、風船のように大きく、したがってそれだけグローブの中がクッションとなって、当たってもダメージが小さくなる。しかしアリはこの時、通常、ヘビー級の選手がはめる10オンスのグローブではなく、4オンスのものをはめていたのだ。
これもアリ側のゴリ押しのルールだったのだろう。あんなに小さなグローブでは、ほとんど生の拳並みの威力があるだろうし、さらに両拳をぎゅうぎゅうにバンテージで固めていたという。まさに鉄の塊の拳というより、真剣の刃だ。ヘビー級のボクサーがこんな拳で振り回したら、かすっただけでも一太刀で斬殺されるほどのダメージだろう。
実際、猪木自身の解説によると、額をかすっただけで、試合後大きなコブになっていたという。僕は、これを知って、この試合がとんでもない真剣勝負だと悟った。猪木はあの寝技戦法しかなかったろう。アリにしても、猪木の技を警戒したからこそ、深入りしなかった。まさに一触即発、アリのパンチか猪木の技か、勝負は瞬間に決まるはずだった。
そういう状況で見ると、ハラハラ、ドキドキの迫力は並大抵ではなかった。誰が「茶番」だ、「凡戦」だと言ったのか。まったく勝負のすごさをわからない大人たちだった。僕はまだ少年だったから、ドンパチ、バタンキューの派手なプロレスこそ真剣勝負だと疑わなかったのだが、40年後の時間を経て、真剣の勝負に酔っているところだ。本当の勝負というのは、決して派手なものではない。
総合格闘技が日本でも興り始めたころ、あまりの地味さに最初は見る気もしなかったが、真剣勝負であることがわかってくると、その迫力にハマってしまった。「アリ・猪木戦」も格闘技を見る目が肥えていないと、地味でつまらない「茶番」「凡戦」でしかない。しかし、40年前のあの勝負は、一流の格闘家であれば誰でも、試合のすごさを思い知ったのではないだろうか。
今では、この試合の「名誉回復」がすでになされていることだけが救いだが、今初めて録画を見た人が、表面的な動きだけを見て、やはり「茶番」「凡戦」だなどと思わないでほしいと思うばかりである。
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