天龍寺には2度行った。
2度行ったのに、どうしても天井画の雲龍図に記憶がない。先日、テレビ番組『美の巨人たち』で加山又造の雲龍図だとわかった。見ていれば忘れるはずがないので調べてみたら、1997年の制作で、僕が2度目に行ったのがちょうどその直前だったのだ。移築当時は、それまで明治期の雲龍図(鈴木松年画伯・作)があったらしいが損傷著しく、現在は一部のみが保存されているという。
日本の寺には、天井に描かれた龍の図は珍しくない。最近では、鎌倉建長寺の雲龍図(2003年、小泉淳作画伯・作)が記憶に新しい。これは、できたばかりの頃に見てきた。天龍寺の龍とは違った迫力がある。天龍寺のは写真で見ると、巨大な円の中に、長くて太い胴体すべてをくねらせ、8の字にとぐろを巻こうと自らの身体を押し込んで構えた力強さと不気味さ、そして威厳がある。八方睨みである。どこから見てもこちらを睨んでいる。どの位置に移っても、龍にまっすぐ睨まれる。そのように描いてある。平面画というのは、正面を見つめている眼を描けばみな、「八方睨み」になるのだ。ためしに、正面を見ている顔の写真を八方からずらして見るとわかる。アイドルの顔は、いつでもどこからでも君を見つめてくれている。神聖なる龍とアイドルと一緒にされたんじゃあ、たまったもんじゃないと言われそうだけど。
じつは、ここで天井画のことを続けて書きたいわけではなく、雲龍図の記憶がなかった天龍寺のことだ。
1度目に行った時、僕はまだ学生だった。彼女も最後の学生の年だった。その年、夏に能登で知り合って、その時は別れた。9月には再会のため、僕は大阪の彼女の所へ東京から会いに来ていた。それで京都を一日巡り嵐山に来て、朝、2人で天龍寺にいた。
なんとなく、大方丈を廻って曹源池(そうげんち)のある庭を歩き、書院に上がって池を見ていて、これから、つまり将来のことだけど、自分は何をしようかと考えていた。僕の心の空虚を埋めるように、隣に彼女は一緒にいた・・・。庭を出て、庫裏(くり)の前に来ると、そこは舞台のように空の下に開けていた。僕は彼女の顔を忘れたくなかったので、そこを背景に写真に撮ろうとした。でも、どうしても撮らせてくれない。両手で顔を隠してしまう。照れなのか、恥じらいなのか。恥じらい? 僕らはもうそんな歳じゃない。まだ早い午前の境内は、人はいなかった。拡がる空、開かれた境内は、思い出にちょうどよかった。なのに、思い出にしたくない、撮られた自分をあとで見られたくない・・・、そんな理由なのかと考えたけど思い当たらず、それで僕は、機嫌を少しそこねていた。
――ごめんなさい。
少女と大人の女が混ざりあった小さな彼女の顔が、叱られたように下を向いたまま言った。彼女自身は、自分の心の隙を埋めきれないでいるのか、何かに怯えた感じで何度か、「ごめんなさい」を言った。僕は、彼女自身の不安を知らなかった。
写真に撮っていなくても、その顔は、今でも忘れないでいる。
新幹線の夕刻のホームでは、ちょっと感傷に浸ったが、それは彼女を思いやる気持ちからではなかった。次はいつ会えるかわからないという、僕の勝手な気持ちだった――。
もうずいぶん前のことで、彼女も母親になっているだろうし、孫だっているかもしれない。あの日、彼女の就職面接のさ中に大阪まで押しかけて、都合も聞かず面接日の合い間に京都のデートに付き合わせた僕は、もしかしたら彼女の人生の方向を少し誤らせてしまったかもしれない。時々、そう思う。僕次第でいつでも一緒にいてくれる。彼女を、そんなふうに考えていた。あの後、就職がどうなったか、僕は聞こうだにしなかったのだ。
天龍寺は、記憶に残しておきたい寺だ。だからあの時、天井にいまの雲龍図があったなら、ずっとその龍は記憶にとどまっていたはずの寺なのだ。彼女の顔、唇や眼、手の感触とともに。