左甚五郎といえば、日光東照宮の「眠り猫」。
猫なのに、あのつるりんとした丸っこい顔がちょっと奇妙なのです。猫の顔にひげがないからです。意外と小さいのに、見とれてしまいます。
ここ、秩父神社にも左甚五郎がいます。本殿正面「子宝 子育ての虎」と東面「つなぎの龍」。ほかにも甚五郎作ではないけれど、北面「北辰の梟」、西面「お元気三猿」と、社殿四方はけっこう見ごたえがあります。
社殿をぐるり―。周り四面を歩くだけで彫刻芸術の傑作を堪能できます。
どれも、「眠り猫」のように丸っこさと柔らかさ、そして奇妙な眠たい気持ちになって異世界に入って行きそうな感覚に捉われます。虎は四面どこにも彫られていますが、豹柄斑点の母虎と3頭の子虎が交わる「子育ての虎」は別格で、何とも言えない子虎の愛くるしさと母虎の包み込む愛情がこちらの足を止めてしまいます。ちゃんと子虎にもひげがあります。
この時代の人は、実物の虎を見たことがないのでしょう。「猫のようでいて、大きくて獰猛な」獣として伝え聞いているのか。親虎のうちメス虎は縞柄ではなく、斑点模様の豹柄ということになっていたようです。それにしても「大きくて獰猛な」獣は、まあなんと、それは酔った猫のようにゆるんだ表情で子虎をかまっています。背に乗る子、飛び跳ねる子、突っかかろうとする子、それぞれのわが子虎たちと遊ぶように、やんちゃさに困りながらも叱りつけるようにしている母虎が、愛情いっぱいでほほえましくなります。
「つなぎの龍」は、暴れる龍を鎖で縛り、繋ぎとめたという言い伝え通り、本物の鉄鎖で甚五郎の龍を繋いでいます。周囲をにらみ渡す守り主「北辰の梟」は、胴体と首が正反対に向いている生まれもった怪異な恰好で、その姿がちょっと威厳であり、ちょっと滑稽でもあります。「お元気三猿」たちは東照宮の「見ザル・言わザル・聞かザル」ではなく、「見るサル・言うサル・聞くサル」の顔があんまりとぼけていて笑えてきます。
5月の頃、秩父の芝桜に来ると、秩父神社に寄ります。外から見る社殿の梁に彫られた彫刻群は、東照宮と比べればその荘厳さに引けを取りますが、宗教的・芸術的な異世界に、いっとき避難するには十分な「聖地」と言えそうです。