プロ野球セ・リーグがパ・リーグと歩調を合わせて、ようやく4月12日に開幕することが決定しました。
これは、まったく正しい判断だと思います。セ・リーグの選手会もまっとうな主張だったと思います。セ・リーグは、渡辺読売巨人軍会長(役職は正しく思い出せません)が、当初、「言いたい奴には言わせとけ! パ・リーグはパリーグ、セ・リーグはセ・リーグだ」と、あのベランメイ調で言ってました(石原都知事にしろ、渡辺会長にしろ、電波に流れる言葉が汚く、いつも不快です。権力と自信を持ちすぎると、ああいう口のきき方になるのでしょうか)。
それを受けて、セ・リーグの加藤コミッショナーが、「批判を甘んじて受けるうえで、セ・リーグは3月25日に、先行して開幕する」と断固とした言い方で宣言していました。こういう時こそ、被災地の復興を元気づけるためだと。どうも違うような気がします。確かに、戦後の復興期に国民を元気づけるために野球開催が再開されたと聞きます。しかし、今回はまだそういう段階ではないでしょう。被災状況の深刻さが日ごとに増していくときに、いまだ被害の実態が把握しきれていない、死者もまだ増えている状況で、本当に今、ナイターを見たい人がいるのか。
被災地のみならず、被害の少なかった東京でも企業は電力の節約を行っており、都民も計画停電で被災地ほどではないにしろ、不便を我慢しています。莫大な電力を使ってまでナイターを行う必然性があるのでしょうか。
高校野球は開幕しました。彼らはこの1年間(夏の大会からは半年間)、甲子園を目指して頑張って練習してきました。もちろん、甲子園大会も中止しろという意見もあったようです。しかし、これは違うでしょう。どこが違うのだと言われれば、違うと言うしかありません。プロ野球は、興業なのです。甲子園は、被災した地元球児も被災地を代表して全力を出すために出場するのです。しかも、彼らの多くは一生で一度、その土に足を踏みしめるために来るのです。出る側も見る側も、興業とは違います。
歌手加藤ジョージが地元の被災地、仙台に見舞いに訪れました。当初は、家族親類の無事を確かめ、地元避難民の人たちを励まそうとギターを持ち込んで歌を聴かせようと思ったとのことです。ところが、避難所を訪れて、そういう考えが甘いことを知りました。そのような段階に、まだ被災者の心がいってないのです。歌で元気づけるというのは、寝る所、食べるもの、飲むもの、電気・ガス・水道がある程度復旧し始めてからでしょう。テレビ映像は、まさしくそれを物語っています。
電気が十分いきわたっていないところにあって、こうこうと莫大な電力を使って、何の励ましになるでしょう。誰もがプロ野球ファンではないでしょう。年寄りや、おさな子は、野球にそれほど関心はないでしょう。
最終的に開催を遅らせましたが、それも担当大臣に苦言されてから決めたというのですから、セ・リーグの横暴に怒りに近いものを感じ、呆れたりもしています。