FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

ラファエロ ~ 聖なる母子と闇の謎

2013-05-19 16:56:00 | 文学・絵画・芸術

 ラファエロ『大公の聖母』

誰もがこれを「マリアとイエス」と見るでしょう。頭上の光輪は聖母子であることを明かしています。厳かに、この上なく慈しみある美しさはマリアそのもの、ふくよかな、幼くも賢さを超絶した子は、これもイエスに見紛うことありません。 

ところが、知らない人がそのタイトルを見ると戸惑ってしまいます。

『大公の聖母』。

大公とはトスカーナ大公フェルナンド3世のこと。「ラファエロ展」(国立西洋美術館)の展示パネルにそう書いてあります。この大公が所蔵していた「聖母」の像であるということです。大公が肌身離さず手元に置いていたことから『大公の聖母』と呼ばれるようになりました。 

しかし、ラファエロの名を知っていても美術史に詳しくない人が読むと、描かれている子はのちの大公幼児期の像で、その子を抱いているのは大公の母となります。その母を「聖母」になぞらえて画家に描かせたという解釈に捉えられかねません。素直に見れば、聖母マリアとイエスの絵なのに、なまじ中途半端な解説文が入ることで、宗教的な意味も芸術的な興味も急に白けてしまいます。 

もっとも、これは展示の問題で、ラファエロという天才の評価は変わりようがありません。この絵の価値も不変で、その魅力は計り知れないでしょう。ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』にも似通うその描写方法(ラファエロはダ・ヴィンチから大きな影響を受けています)、顔や身体の輪郭をはっきり描かずに陰影・明暗だけでぼかしながら描く方法(スフマート)は、幻想的で奥深く、この上なく暖かな柔らかさを表現しています。まさにラファエロの代表作、大公が生涯手離さなかった理由がわかります。 

どうしてこれほどまでに慈愛ある美しい聖母マリアを描くことができるのでしょうか。背景は黒く、厚い布のような闇に塗られています。「黒」にさまざまなトーンの色があるとすれば、最も深い闇のような黒さです。この黒の背景が余計に神秘さを呼び込みます。 

・・・ところが、近年の研究では、エックス線で透かして見ると背景に風景や窓、建物が描かれているのが分かりました。背景の塗りつぶしは、明らかに後世の手にかかるものだということです。すると、『モナ・リザ』のような自然風景が背景にあるのか、ラファエロの他の作品にある明るい風景なのか(たとえば『聖家族と仔羊』のように)と想像され、興味が俄然湧いてきます。 

黒がいいか、明るい風景がいいか、これはどちらとも決めつけかねない。「どちらもあり」というのも2つの作品として楽しめたりして、「それもあり」でしょう。それにしても、いつ、だれが、何のために漆黒の闇に聖母子を包み込んだのか ―。 

  ラファエロ『アテネの学堂』

ラファエロといえば、個人的にはもう1つ好きな代表作があります。『アテネの学堂』です。ここにはプラトン(ダ・ヴィンチの顔で描いてある)、アリストテレス、ソクラテス、ヘラクレイトス(ミケランジェロの顔で描いてある)、ピタゴラス、ユークリッドなどに加えて、ラファエロ自身の肖像が描かれており、興味尽きません。まるで古代をテーマにした映画でも見るようで、そのまま人物全体が動き出してきそうな錯覚が起きてきます。残念ながら、今回の展示では縮小複画でしか見ることができません(本物はバチカン宮「署名の間」の壁画)。20代の哲学に興味ある頃、この絵を飽きもせず眺め、この壮大な世界観に浸っていたものです。