スーパーアスリートの報酬
クリスティアノ・ロナルド。ポルトガル代表。2008年、バロンドール(世界最優秀選手)とFIFA年間最優秀選手のダブル受賞に選ばれました。この2冠に最近輝いた選手に、ブラジルのロナウジーニョがいます。
この二人に限らずスーパーアスリートに共通するのは、その才能によって一族の「小王国」を築いたということです。貧しい家に生まれながら、類まれな才能と努力により、一般人には眼もくらむような巨額報酬を得ているのです。仮に30歳で引退しても、特別贅沢せずにごく世間並みの、ちょっと人より裕福な暮らしでいいなら、何もすることなく「一族小王国」を今後一生養っていけるだけの所得を稼いでいます。(日本円で年俸何十億か、何百億か、あまりに私たち庶民とは桁違いなので、憶えていません。年収567万8千912円とか、身近な金額なら1円単位まで憶えているのですが。)
ロナルドやロナウジーニョなど、超有名なサッカー選手が話題になると、親族一族・友人が、広大な土地とひとつの大きな屋敷の中で、幸せそうにいっしょに集まっている様子が、テレビで紹介されたりしています。スーパーアスリートの巨額報酬の例は、もちろんこの二人の例だけではないでしょう。たまたまテレビで紹介されたのを挙げたまでですが、特に貧しかった家庭に育ったアスリートほど、自分の才能だけで、自分が愛し自分を愛してくれている人たちとともに豊かに安心して暮らせることは、これほどの幸せはないでしょう(個人の考え方と将来の生き方は別として)。
日本の引退選手のライフプラン
ところで、26歳と29歳 ―。 何の年齢だか分かりますか? 日本のJリーグ選手とプロ野球選手の平均引退年齢だそうです。いや、カズだって40歳でもやってるし、あの中田ヒデだって30過ぎまでやっていたろう。イチローや松井だって35~36歳でも大リーグでまだやっていける・・・。
そうです、超一流選手は40歳近くまで、あるいは40歳すぎても現役でやっていけるのです。思ったより平均引退年齢が若いのは、プロの世界に入ったものの、数年たたないうちに自分の才能、実力に見切りをつけて、去って行かざるを得ない人があまりにたくさんいるということです。華やかな世界にい続ける選手は、ほんの人握りなのです。
日本のサッカー界では、いくら一流選手になったとしても、ロナルドやロナウジーニョのように、「一族小王国」を養えるだけの報酬はめったにもらえないでしょう。それに、新人選手の数年間は、普通のサラリーマンがもらう初任給より少なかったりすることもあります。だからこそ、辞めて行かざるをえないのでしょうが・・・。
引退した選手は、第二の人生のライフプランをどう考えていけばいいでしょうか。おそらく、中学・高校時代から、自分が打ち込んできたスポーツを中心に生き方を考えてきたことでしょう。ライフプランについて言えば、現役引退時点で白紙になってしまっているのではと思います。この人たちには、引退後の就職活動という実践的な指導も確かに必要でしょう。実際、Jリーグでは転職支援の専門組織(キャリアサポートセンター)ができているようです。しかし、それだけではなく、根本的なライフプランの考え方、お金の運用の仕方など、長い眼で見れば専門家(ファイナンシャル・プランナーなど)のアドバイスも必要だと思います。
無名で引退した人の中には、今も迷える人生を模索している人も少なくないのかもしれません。競技生活から、早く「普通」の人生に切り替えられればいいと思います。
悪童が帰ってきた。
それでも、みんな何かを期待して観ていた。出る前は、さんざん、ぼろかすに言われ、中日まで勝ち続けても、「最後はバテる」、「優勝の顔じゃないよ」、と書かれ、決戦を前にしても、「やっぱ体力と自力で負けるな」と言われ続ける。それでいて、みんな何かを期待していた。そして、勝った。優勝。腕白、がむしゃら横綱が戻ってきたのだ。土俵中央、両手で派手なガッツポーズ――。
ここで、ほんとうは座布団が乱れ飛んでほしかったのですが、一、二枚だけ、当てがはずれたように朝青龍の顔をかすめてふわふわと飛来した程度でした。最近は、大ぶりの座布団を升席の縁にくくりつけて、はずして投げ飛ばさないようにしたということを新聞で読んだ気がします。私は千秋楽以外、時間的に大相撲を実況で観ることができなかったので分かりませんが、ほんとうに座布団は飛ばなくなったのでしょうか。もしそうなら、武蔵川理事長というのは、なんとも酔狂のない人間だと、半分腹を立てて思います。(あとの半分は、飛んでくる座布団によるけがの予防対策ということですから、やむをえませんが・・・。)それに、優勝後日、「土俵上のガッツポーズ」に厳重注意をしたとか。理事長としては、立場上、厳重注意をせざるをえない「建前上のポーズ」が必要だったと言ったら穿っていますか? なにしろ、相撲は「神事」なのですから。
神も歓喜するような出来事が起きた時は、人間は踊り狂ってもいいではないですか。神も酒に酔い、歌い、踊る、それが洋の東西、神話にも出ています。土俵は、神のいる場、なおさら一瞬の祭に酔いしれればいい。
それにしても、朝青龍という相撲取りは憎めない。やたらガキっぽくて、それでいて妙に大人ぶっている。ふてぶてしい、しかし、いつまでも子どもごっこをしている。理事長に諌められても、マスコミにたたかれても、うつむきながら舌を出して、にやりとしているのでしょう。
相撲は神だ、神だ、と言う相撲協会。神事が先か、勝負が先か。神事が先ならあそこまで勝負に沸くか、勝ち負けにこだわるか。それこそ人間のどろ臭いお金が乱れ飛ぶ八百長相撲の噂はどこへ飛んでいったのか。稽古で弟子をかわいがり殺して踊りまくる暴力はどこへ行ったのか。薬物で土俵の塩を汚染する力はどこへ・・・。土俵の外で闇の力が乱れ飛ぶより、土俵上で座布団の花が舞い飛ぶほうがよほどいい。
オバマ新大統領の就任演説を聴いて、ある意味、ほっとしたところがあります。昨年の大統領選勝利演説を読むと(あのスピーチライターは27歳の青年だそうです)、あまりに素晴らしかっただけに、あれ以上の原稿が書けるのだろうかと人ごとながら心配していました。実際には、今回の就任演説でのオバマ大統領の言葉は、アメリカ国民に今の厳しい現実を直視してほしいと訴えるものでした。演説は、情緒的でもなく、賛歌的でもなく、現実に立ち向かう勇気が必要なのだ、と。
日本にいる私たちも、今は現実を見る必要があります。トヨタに続き、ソニーが大幅な人員削減策を発表しました。今や、誰もが「失業」の二文字から避けられない可能性があります。いたずらに不安をあおるつもりはありませんが、これが今の現実です。個人の生活に限って言えば、今いる会社を離れた時、当面の問題として生活していけるかどうかを早めに確認してみることです。まず、お金の問題です。
失業手当で食っていけるか
今、45歳とします。大企業の社員なら、あまり転職もなく勤めてきているでしょうから、雇用保険の被保険者期間は20年以上になります。もし解雇となれば会社都合となりますから、330日(11ヵ月)間、失業手当(雇用保険の基本手当)がもらえます。どれくらいもらえるかは、その人の賃金によります。大手企業の社員であれば、一日にもらえる手当(基本手当日額)は、上限の7,775円になると考えられます(詳しい計算は省きますが、賞与を除く月給が約46万円以上ならこの金額におおよそ該当します)。一日7,775円であれば月に233,250円、これが11ヵ月ですから総額2,565,750円。税金はかかりませんから、丸ごと手に入ります。
また、早期退職扱いなら退職金の上積みがあるでしょう。仮にないとしても、20数年間働いてきた分の退職金は出ると思います。それさえないとしても、会社都合ですから退職に当っていくらかの手当が出てもおかしくありません。これらの金額と先ほどの失業手当、そして現在の貯蓄、すべて合わせてどれだけの猶予が可能かを把握してみてください。
これで、再就職までの期間に合わせての収入が見えてきます。支出では、日常生活費のほか教育費や住宅ローン(家賃)の支払いも考慮します。退職手当があれば、一部分をそれに充てることができます。いざとなれば、配偶者(40代)、子ども(10代後半)が団結して支出を切り詰め、パートやアルバイトで収入を稼げば何とか切り抜けられるかもしれません。
ブランドとプライドを捨てられるか
失業手当を「なんだ、そんな程度のものか」、と考えるかそうでないかで、その後の求職活動がずいぶん変わってきます。上場企業の管理職にいた人に限って、プライドなのか知りませんが、「今さら職安(ハローワーク)なんか行けるか」、と言って失業給付の手続きをとらない人がいるようです。好況期と違って不況期の再就職は長引き、辞めた時に手続きしておけば、と後で悔やむそうです。
また、上場企業にいた人ほど、前職と同じ待遇(給与や役職、福利厚生)にこだわるようです。上場か非上場かに加え、会社のあった土地やビル、社員数、施設や設備、こうした眼に見えるブランドについても再就職に際して敏感で、同じレベルを求めがちです。そういう人ほど、今まで自分が身に着けていた(身に着けさせてもらっていた)「一流会社」というブランド&プライドの面で、現実とのギャップに悩むことになります。
問題は、再就職のための求職期間がどれだけ続くか見えないことでしょう。これが最も不安になるところです。大きな会社では、何ヵ月前から退職の「内示」(いわゆる退職勧告)があると思いますので、その時点から転職エージェントなどに登録しておくのも一手です。そうすることで、少しでも失業期間を短くすることが可能となります。
仮に離職することになったとしても、お金の問題では当面何とかやっていけると判断できるなら、今からいたずらに不安にならずにすみます。この時機を機会に、将来のためにキャリアを積むきっかけが訪れたと思うほうがいいでしょう。そういう人は、「給料落ち」にも「ブランド落ち」にも強い人です。
まずは、次の文章をじっくり読んでみてください(斜体は書き換え)。
クライアント(C):
― もうやめにしよう。昇進も決まりました。おかげでけっこうな昇給もあります。せっかく手に入れた新しい待遇、むざむざ棒に振るには及びません。今さら投資に眼をくれるより、一生、仕事に精を出し、会社に尽くしたほうが無難です。株をやって大損したり、今の仕事がおろそかになって社内の評価が下がったりしたら、元も子もありません。
ファイナンシャル・プランナー(FP):
― では、今までお望みになっていたことは、ただ、ああしたい、こうしたい、という口の上のこととでも? 定年後は世界遺産めぐりの旅行、海と山に別荘を持ち、自分の土地で作物を育て、週1回は知人らを呼び夜食会、たまに気が向けば自前の窯で焼き物を作り、頼まれれば老人介護の慰問で無償講演もする。家族子孫に恵まれ一族繁栄し、人々に喜ばれ、いつも暖かく迎えられる・・・。そのためにはリスクを恐れず、株取引だけでなく先物、オプションにデリバティブ、なんでもやってみましょう、そのための、この私めが指南役と、そう言ってくださったあとで 一眠りして、今眼が覚めてみると、さっきは平然と見据えられていたものが、今度はちらと垣間見ただけで、ぞっとして気が沈むとおっしゃる? 解りました。家族への愛情も、そんな頼りのないものなのでしょう。考えていらっしゃるご自分と、思い切った行動をなさるご自分と、その二つが一緒になるのを恐れておいでですね?
ひそかに定年後の貧窮した生活に怯え、不安を抱き、世間から隔絶された孤独な生活に追いやられる、そんな将来の自分の姿を思い描かされて、少しでも資産を増やしたい、健康で安心した、ゆとりある老後生活を送りたいと言っていた方が、大損するリスクがあるとあなたの耳元でささやく声に怯えだし、昇進した途端、リスクは一切取りたくないと言われる。会社で昇進したくらいで、あなたの生活にどれだけの影響がありましょう。上司の思惑とあなたの言葉が寸部違わずということがありましょうか。業績の傾きを理由に、じつは些細な上司との行き違いから、いつ解雇されるかわからない大きなリスクは負っておいでなのに、富を増やすほうのリスクは1円の損でも取りたくないとのこと。つねづね資産が この世の宝とお思いになり、それがほしくてたまらぬ方が、われから御自分を臆病者と思いなし、魚は食いたい、脚は濡らしたくないの猫そっくり、「やってのけるぞ」の口の下から「やっぱり、だめだ」の腰くだけ、そうして一生だらだらとお過ごしになるおつもり?
C:
― お願いだ、黙っていてくれ、男にふさわしいことなら、何でもやってのけよう、それも度がすぎれば、もう男ではない、人間ではない。
FP:
― それなら、このたくらみをお打明けになったときは、どんな獣に唆されたとおっしゃいます? 大胆に打明けられた方こそ、真の男、それ以上のことをやってのければ、ますます男らしゅうおなりのはず。あのときは、時と所が脚なみそろっていなかった、それをなんとか御自分で整えようとまでなさった、だのに、その二つが自然に向こうから整ってきたきた今、かえって尻ごみなさろうという。私は子供に乳を飲ませたことがある、自分の乳を吸われるいとおしさは知っています ― でも、その気になれば、笑みかけてくるその子の柔らかい歯ぐきから乳首を引ったくり、脳みそを抉りだしても見せましょう、さっきのあなたのように、一旦こうと誓ったからには。
C:
― もしやりそこなったら?
FP:
― やりそこなう? 勇気をしぼりだすのです。やりそこなうものですか。(以下略)
<※斜体文は、シェイクスピア作『マクベス』(第1幕第7場 福田恒存訳 新潮文庫)の部分を書き換えたものです。斜体以外は原訳文です。>
『マクベス』の名場面です。武将マクベスは、魔女にそそのかされて自分の野心を実行すべく王の殺害をたくらみます。暗殺に心がぐらつくマクベスの心理をたくみに夫人が操ります。マクベスをクライアントに、マクベス夫人をFPにして書き換えてみました。原訳文と読み比べてみてください。こんなFPがいたら、ちょっとコワイですね。反面、強行に後押ししてくれるアドバイザーを一般投資者は望んでいることも事実。結局、自分の意志の問題ですかね。
最後のほうの部分は、マクベス夫人の有名な台詞です。それにしても、シェイクスピアは心理学の達人です。『オセロー』や『ジュリアス・シーザー』、『ヴェニスの商人』、おなじみ『ロミオとジュリエット』などの中にも、人物の心理を巧みに操り、深く読み取る台詞が随所に出てきます。
いつも富士を見て育った
忍野からの富士 2009.01.02
いつも富士山を眼の前にして育ってきました。小さい時から、道の先向こうの空を仰ぐと、富士山がいました。家と家が両側に並ぶ、通りをまっすぐ延長して空を見上げれば、その真ん中に富士があったのです。
幼稚園から小学校まで、教室で絵を描きなさいと言われると、すべての子が画用紙の真ん中に富士山を描いたものです。小学、中学、高校と、校歌の中には必ず富士の名がありました。
だから、東京に来て、富士山を当たり前に見れないのが物足りなくなるのです。年に1回ぐらいは富士山を目の当たりに見に行きます。よく行くのが、河口湖や山中湖。車で2時間ちょっとあれば行けます。特に冬が、空気が澄んで富士が美しい。山中湖へ行く途中の忍野(おしの)村から見る富士山は、村の民家と相まって、時代劇の映画スクリーンに入ってしまったように風景の中に浸りきってしまいます。今年の正月も、富士山を間近に満喫しました。
異世界的な美術館
久保田一竹美術館本館
初めてそこを訪れたのは偶然でした。数年前の、富士を見に行った時の河口湖。そこは、湖の大橋を渡って、さらに山の入口に進んで行った場所に隠れ里風にありました。インドの古城に使われていた地獄にも天国にも通じる門。池を見下ろしながら小丘の道をゆっくり歩いていくと、琉球石灰岩の円柱に支えられた白い回廊が見えてくる。そこが、「久保田一竹美術館」です。美術館というより、建物、テラス、階段、庭、滝、道、扉、柱組みと屋根、回廊、すべてがひとつの美術品のようです。
ここはまた、大理石のさざなみ打つ形をした階段の上から見渡す眺望の中に、美しい富士山が見える場所です。久保田一竹(2003年85歳で他界)さんも、富士に魅せられた人です。「一竹辻が花」には、富士山を描いた連作があります。初めて、本館に飾られた着物の染物を見たとき、言葉が出ませんでした。おそらく、絵画として描いただけでも、久保田一竹という名は画家として後世に残るでしょう。それが、すべて絵の具ではなく染物として染められた絵であり、色彩なのです。
色と色の境目がない、自然界の空気の移ろい、水の流れ、山の肌合い、深くも淡い、高きから低きに流れるごとく、こうした染めの色の輝きは、いったいどこから出てくるのだろう。ひとつの着物だけで何百回という、気が遠くなるような染色の水洗いが行われるといいます。
『光響』(作品群の一部)
「交響」80連作は、残念ながら生存中には完成叶わず、現在は氏の後を継いで65連作ほどまで完成したようです。この連作は、ひとつひとつの着物だけでも絵柄が染物として完成しており、これだけでもすごい芸術品なのですが、80連作すべてが完成すると、全体がパズルのようにつなぎ合わされ、富士の雄大な姿と自然界の宇宙が現されるという壮大な作品群です。今、私たちは、その連作の何作かを見ることができるのです。
花と音、富士と海、宇宙
先週まで、松屋銀座で「久保田一竹と川崎景太」展をやっていたので仕事の帰りに寄ってきました。雨と金曜夜ということで空いていて、落ち着いて見ることができました。この時感じたのは、この空間は花と同時に、幻想的な音楽と自然に調和するものなのだということでした。今年の正月、何度目かの河口湖の美術館では、なぜか最初の出会いの感激が薄れてしまったような気がしていました。この松屋の展示場へ来た時、その理由が分かりました。最初に感銘を受けたほとんどの作品が、こちらのほうに一時的に移されていたのです。
改めて見て、ちょっと血が震えました。富士連作、新しい海の5連作、80連作「交響」の一部の作品群。人は悲しくても涙が出ますが、何か信じられないような驚きにぶつかると、やはり涙が出そうになります。それは、宇宙的なものがこの現実界に出現した時と同じです。「凄い!」―。これが芸術の根源に触れる悦びなのかもしれません。
久保田一竹さんは、20代で室町時代にあった幻の「辻が花」に魅了され、この研究を始めました。しかし、戦争召集、ソ連抑留、極貧生活などを経て、本格的に研究に取り組むことができるようになったのは40歳になってからでした。その後20年の歳月を重ねて、60歳の時に独自の「一竹辻が花」を完成させたのです。日本だけでなく、世界中で高い評価を得ています。数年前まで私も知らなかったのです。今は若い人にも認知され始めているようです。もっともっと多くの人に、これら作品の素晴らしさを知ってもらえればと思います。
20代、40代、60代、80代と、苦難の中でも20年おきに大きな段階を昇り、大輪の花を咲かせてきた人生は、富士のように雄大というしかありません。久保田一竹さんは、「交響」80連作を仕上げるまでは百歳過ぎても死ねないと生前語っていたそうです。私が作品に出会った時もまだ存命中で、本当に連作が完成することを夢にされていたようです。これから先は、後が継がれて完成するのを見守っていきたいと思います。
ヴェニスの商人たちのリスク感覚
「いや、決してそうではない ―― ぼくは運がよかったのだ ―― ぼくの投資は、なにもひとつの船にかかっているわけではない。取引先も一箇所だけではない。それに全財産が今年の商いの運不運に左右されるわけでもない。だから、船荷のことで気をくさらせはしないよ。」(第1幕 第1場 福田恒存訳 新潮文庫)
投資のリスクの話になると、この『ヴェニスの商人』(シェイクスピア・作)の台詞がよく引用されます。リスクの概念は相当古く、『リスク』(バーンスタイン・著)では西暦1200年頃から書かれています。『ヴェニスの商人』は、ヨーロッパ中世の頃、海洋貿易船に商人が投資していることを物語っています。簿記の方式ができたのもこの頃だと言われています。一航海を一会計期間として収支を記録し、儲けを分配したのです。
冒頭の主人公(アントーニオー)の台詞は、明らかに分散投資を現しています。友人から、「今回の航海に多くの財産を投資して、航海が無事かどうかでふさいでいるのか」と問いかけられると、主人公は上の台詞を言うのです。当時は、航海が無事かどうかが最大のリスクでした。嵐で難破したり、海賊に襲われて沈没するのは珍しくなかったからです。ですから、一つの商船にすべての財産を投資しないで、分散したわけです。一隻の船が難破しても、残りの船が無事還ってくれば、莫大な利益の分配があったのです。
「一つのカゴにすべての卵を乗せるな」―。最近では、リスクを避けるための分散投資について、必ずこの譬えが言われます。すべての卵を乗せたカゴが下に落ちたら、すべての卵が割れてしまう。だから、卵をいくつかのカゴに分けて入れる。要するに、一度に同じ銘柄に投資するな、ということです。
「ローリスク・ハイリターン」はありえない
ひとつ加えておくと、「ハイリスク・ハイリターン」について、考え違いをしている人がよくいます。
―「ハイリスクを取れば、必ずハイリターンになる」(大きなリスクを取れば、必ず大きなリターンが得られる)。
これは、明らかに違いますし、危険な考え方です。正しくは、
―「ハイリターンを得るためには、ハイリスクを取る必要がある」(大きなリターンを得るためには、大きなリスクを取らなければならない)。
ハイリターンを得るためには、ハイリスクを取らなければなりませんが、ハイリスクを取っても、必ずしもハイリターンになるとは限りません。たとえば、リスクの大きな株式投資をすれば、大きな利益を得られる可能性がありますが、必ずしも得するとは限りません。大きく損することもあるのです。金融投資の場合、価格が大きくぶれることをリスクとして捉えます。今の金融市場は、まさにハイリスクを目の当たりに体験するものです。
バブル期では、株価が上がるのが当たり前でした。その頃、知人たちがよく言ってました。「ローリスク・ハイリターンって、あるんだな」、と。
その頃は、誰が何に投資しても、値上がりして儲かったのです。それが当たり前だと思って投資していたから「ローリスク・ハイリターン」があるものと、まじめに信じきっていたようです。当時のバブル崩壊後の状況は、今とダブって見えます。
冒頭に戻ります。この作品は、経済、法律の入門書としても十分読めるものです。投資、金貸し、借金、保証、契約、など現在のビジネス社会の入門が書かれています。もちろん恋愛もあり、戯曲として十分楽しめます。
ユダヤ人シャイロックは非道な金貸しとして描かれていますが、今読んでみると、現在の時代では特別にあくどいわけでもなく、どこそこの金融機関でもよく見られる行為をしたまでです。いや、金融工学とかが発達したおかげで、今の一般投資家のほうが、このヴェニスの商人より、よっぽど金融機関に痛い目にあっているのではないかと思います。
「K-20 怪人二十面相・伝」を観てきました。
「スーパーマン」「バットマン」「スパイダーマン」と、アメリカでは超人ヒーローものが映画化されましたが、映像、アクション、ストーリーとも、これはハリウッド映画に肩を並べられるのでは、と思いました。CGではない実写に近い、ほぼ生の人間の重量を感じさせた上での速い動きの闘い、これは上級の格闘技を思わせるものです。それに、「ALWAYS 夕日の三丁目」(同じスタッフが製作担当)を思わせる昭和期のディテールと現実感、日本の娯楽映画もここまできたかと、退屈しないで観させてもらいました。
ただ、映画の原作小説『K-20 怪人二十面相・伝』を読んでいないのでなんとも言えませんが、ことこの映画に関しては、元祖・江戸川乱歩の「少年探偵シリーズ」に出てくる怪人二十面相、明智小五郎と切り離して観たほうがいいでしょう。(私自身は、やはり少年期に夢中になって読んだ「怪盗ルパン」のイメージに近かったです)。
元祖・二十面相と明智探偵
昨年暮れ頃、ポプラ文庫から江戸川乱歩の「少年探偵シリーズ」が刊行されました。『怪人二十面相』『少年探偵団』『妖怪博士』『大金塊』『青銅の魔神』『サーカスの怪人』。どれも怪人二十面相と明智小五郎、そして少年探偵団が登場します。これも映画「K-20」のおかげです。映画キャンペーンのためか、二十面相本がいろいろ出ています。
その中で、上記ポプラ文庫6巻は別格ものです。最初に刊行されたポプラ社の「少年探偵シリーズ」は、今でも図書館の棚にあります。おそらく、昭和の初版本に近いものではないでしょうか。僕らが小学校に上がった時に読んだのが、このシリーズだったのです。装丁、挿絵、活字の組版、すべて当時実物のままで、今また出たのです、復刻版が文庫の形となって。
書店に出ている江戸川乱歩全集をみると、今はもう、装丁も挿絵も違います。僕らの二十面相、明智小五郎、小林少年といえば、ポプラ社シリーズの挿絵画家・柳瀬茂氏の描く二十面相、明智小五郎、小林少年なのです。映画やテレビで何度も映像化されましたが、元祖のイメージを超えることはできないようです。そこに、このシリーズ文庫本です。思わず買ってしまいました。残りの巻は刊行されるのでしょうか。
文学的評価とか、小説としての出来とか関係ありません。ストーリーも覚えていません。幼少期に遊んだ道端や広場を、ずっと大人になってから歩いて懐かしむように、どこかの大屋敷の塀や庭の形、木々と花、隠れ道、縁の下、屋根の上、川伝い、遊び場の舞台となったすべて一つ一つを思い出すように、少年時の自分を探訪しながら毎日寝る前にこのシリーズをゆっくり読んでいます。
小林少年は大人になってもヒーローだった?
あの頃、僕らはみんな「少年探偵団」でした。学校が終わって、夕飯食べたあと、わざわざ外に出て行き、暗い夜道をわくわくしながら歩いたものです。突如、二十面相が現れ、事件か・・・? 美しい令嬢がさらわれていたら・・・。怪人二十面相は、高価な宝石や美術品を盗むが、決して人を傷つけない。芸術的に、そして魔法のように盗みを完結する。明智探偵と同様に大ヒーローでした。
中学に上がって、何かの授業で紙を配られ、先生に「尊敬する人の名前を書きなさい」と言われました。私は、まだ想像界に浸る幼少さが抜けず、「小林秀雄」と書きました。少年探偵団の団長です。明智探偵は、小学生の探偵団員を立派な大人として扱い、事件解決にも協力させたのです。その団長です。今なら、ちょっと危険に思えることでも(実際は危険でもなんでもなくても)、危険な目に子どもの身を晒すなんて、と明智探偵に親が目くじら立てるでしょうね。
そのうち、自分の尊敬する人物が「探偵小説に出てくる架空の探偵団長だなんて、中学生にもなって、あまりに子どもっぽすぎやしないか」、と日がたつにつれて、だんだん恥ずかしくなってきました。大人になって、だいぶたってから思い出したところ、私が書いた「小林秀雄」という名前は、少年探偵団の団長「小林芳雄」の間違いでした。
小林秀雄といえば、日本文学界最高の批評家・文学者だったのです。えっ、と思い返したとき、顔が紅くなりました。中学に上がったばかりの小僧が、大学文学部の学生でもあまり読んだことのない偉い文学者の名前を「尊敬する人物名」として書いていたなんて。あの時の先生は私のことを、「小林秀雄だなんて、読んだこともないくせに生意気な」と、思ったことだろうか・・・。
権力者役と服従者役
どうやら人は、相手が無抵抗の状況にいるのを眼の前にすると、暴力や権力を振るいたくなる欲求を持っているようです。かつて読んだものによれば、ある心理学の実験で、もともと同等の人たちを半分に分け、一方の集団を権力側、一方の集団を服従側というぐあいにそれぞれの役になりきらせ、同室に入ってもらいます。最初は全員、遠慮がちにしていますが、権力側の役が少しずつ力を出していくと、服従側の役は抵抗せずじっと我慢しています。
やがて権力側は、どんなことをしても(暴力以外)、服従側が無抵抗に従順になるのが面白くなり、だんだんエスカレートしていきます。それが快感になっていくのです。実験上の役割であることを忘れて、権力側はまるで本当に権力者と錯覚し始め、服従側は役であるにもかかわらず、じっと耐えるうちに惨めな卑屈者になっていく心理に陥っていくそうです。もし、こんな状況がずっと続いたら、両者ともその役になりきってしまう精神構造を人間は持ち合わせているとのことです。
タクシーの乗客も、この不況の世の中、どんな嫌なことがあるのかしれませんが、密室無抵抗の運転手を殺したり暴行するのが多発しているのは、相手が背中を向けた服従者だと見て、自分を権力者と錯覚してしまうのでしょうか。権力(暴力)を振るうことに「快感」を感じてしまうのでしょうか。今は、タクシー内も運転手と客席との間に透明の隔壁を立てたり、小型ビデオを設置したりしているので、どうせ捕まってしまいます。強盗しようにも、運転手は大して売上金を所持していません。
FPがタクシー会社の社員に
私は、転職のさなか、ひとときタクシー会社に正社員で勤めていたことがあるのでよくわかります。といっても運転手ではなく、無線のナビゲーターです。オペレーター室でモニター画面を監視していて、客から乗車希望の電話が入ると、GPSで各タクシー車両が走っている道路上の位置を確認し、一番近い車両を無線で呼び出し配車するのです。
「○号車、応答願います。△△通り角右、3軒向かい左角曲がり右2、はす向かい隣り奥右3軒、××幼稚園下る3メートル左2軒目、山川様宅です」(もう忘れてしまいましたが、実際はもっと専門的な言い回しがあったような気がします。)
これだけのことを、電話で聞いた住所から即座に道路地図をモニター画面に現して、画面の地図を見ながら運転手に無線で伝えるのです。うまく伝わると、
「了解です。□□方面に向かいます」
と返信が入り、ほっとします。
しかし、私の場合、じつは相当な方向音痴で(これでよく採用されたなと思います。あとで採用者も失敗したと思ったのでは・・・)、たいていがトンチンカンな配車指示をしていたようです。
「どこそこ、~行って、~曲がって、~戻って、え~、あ~、まっすぐ~、そこらの3軒目です・・・」(私)
「・・・・・・」(運転手)
「応答願います・・・」
「・・・・・・」
「あの~、○号車、応答を・・・」
「んだあ?・・・・」
「え~と・・・」
「・・・・・・」
この「・・・・・」が、怖いのです。
しばらくしてから、オペ室に先ほどの運転手から電話がかかってくるのです。
「おまえな、ぜんぜん違うだろ、指示がよお。おかげでぐるぐる回っちまったよ。客がいねくなっちまったよ。おめえは、一日そこで無線の前に坐ってりゃあ、給料もらえるだろうが、こっちは、客一人乗せて何ぼなんだ。いいかげんにせえよ。おめえの声が無線で流れると不愉快なんだよ。今そっち行くから、待っていやがれ!」
こんなふうに、運転手に文句を言われるのはざらでした。それが嫌で(というより、どうしようもない方向音痴なので)1ヵ月で辞めてしまいました。私も単に収入のつなぎのつもりでしたから。もともとファイナンシャル・プランナーがタクシー会社の社員になるのが無理でした。採用するほうも私の履歴書を見て「ほう、ファイナル・プランターですか、よく知ってますよ」と言うくらいですから、双方が間違っていたのです。(ファイナル・プランター・・・最後の植木鉢、か?)。
ちょっと脱線しましたが、ということで(どういうことで?)、運転手たちが一日にどれだけの売上を上げて、どれだけの釣り銭を持ち、現金をいくら所持しているかは見当がつきます。はっきり、言います。タクシー強盗したって、捕まるのは明々白々だし、金額的にも割りが合いません。だからといって、もっと大きな金を狙えなんて言いませんが。
ついでに言いますと、タクシー会社に勤める前は、失業してどうしようもなくなったら、「タクシーの運ちゃんがあるさ」と、あたかも最後の砦のように、よく言われたものです(私もそれを地でいったようなものです)。が、私は懲りました。タクシー強盗・暴行事件が頻発しているからではありません。自分の土地勘のなさに呆れてしまったからです。
文豪の墓
三鷹の禅林寺に、妻方の墓があります。正月や盆、彼岸には墓に参ります。今年も元旦に行ってきました。禅林寺には、太宰治と森鴎外の墓があります。
通りひとつ隔てた、はす向かいのほうに、この二人の墓があります。妻方の墓とは通りは違いますが、直線の距離にして数メートルの所。たまにちょっと迂回して、この二人の墓の前を通って帰ります。今年の元旦は、太宰の墓はまだ花も少なく、酒もありませんでした。酒というのは、カップ酒や缶ビール、小さな壜酒、たまに一升瓶などで、酒好きな太宰に読者ファンが煙草なんかといっしょに墓前に置いていくのです。さすがに、正月前に墓の管理者が片付けたのでしょう。そんな墓の前で、一人のカメラマンが墓碑にカメラを向けていました。プロ、アマに限らず、こうして写真を撮っていくのも珍しくありません。
太宰の墓のはす向かいには、案外知られていない鴎外の墓があります。こちらは、どちらかと言うと少々いかめしく、ご立派で、どこか明治の邸宅を思わせるような風格です。作品や生涯に合わせたかのように、ちょっと荘厳さがあるように見えます。ふだんでも、太宰ほどには花は多くなく、ひそかに香が焚かれていたりします。この二人の墓が、斜めに互いに向かい合っているのです。
(寺の境内のほうには、鴎外の遺言碑が建っています。文学作品として吟味したように、遺す言葉も名文です。)
墓と作品
太宰も鴎外も、小学・中学の国語の教科書に載っていました(私の時はそうでした。今も載っているかどうか?)。ですから、これら文豪の作品は否応でも読んでいました。十年後、文学を本格的に勉強する段になって、改めて読んだことがあります。鴎外の文章は確かに格調高く、まじめで、芸術性も高い。すべて読んだわけではありませんが、『高瀬舟』『山椒大夫』(さんしょうだゆう)など、いわゆる定番作品が意外と、と言っては私なんかの分際で言うのもなんですが、それなりに評価の高い名作であることが再認識でき、読んで感銘を受けました。
太宰治は、『人間失格』『斜陽』でしょう。熱烈な読者には異論もあろうかと思いますが・・・。このあたりの作品の文章は、たいしたものだと思います(『津軽』もいいです)。これまた意外にも、と書くと、また怒られますが、教科書定番の『走れメロス』は、大人になって読んでも、いや、大人になって読んでこそ感動します。
それと、印象深いのは短編『トカトントン』。学生時代に読んだ記憶なので、違って解釈しているかもしれませんが、敗戦後の日常生活に戻っている中で、ふとした拍子に「トカトントン」という音が聞こえてくるという主人公の、なんというか、人生の虚無感っぽい作品がなぜか気になって、忘れられないで残っています。打ちひしがれた意識の奥底から突然蘇ってくる虚無の怖ろしい音。ひとたび大きな挫折や無力を経験した人は、それを克服しない限りふいにやってくる音。トカトントン、トカトントントン、トカトントン・・・。
玉川上水に二度も身を投げた太宰の墓は、その人と作品に見られるように、一見奔放で人間臭く、デカダン的でちょっとだらしないのかと思うに反して、ちゃんとした普通並みの墓なのです。そういえば、今年は太宰治生誕百年だそうで、6月19日の桜桃忌は、このお墓の前はさぞかし盛大に、供養の花や桜桃(さくらんぼ)、お酒でいっぱいに埋まることでしょう。
お時間ある方、ぜひ立ち寄って拝んでいってください。その時、ちょっと斜めに振り返って、森鴎外の墓にも掌を合わせみたらいかがでしょうか。