FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

『ボヴァリー夫人』 ~ 平凡と不倫、エマの愛

2014-07-25 19:48:57 | 文学・絵画・芸術

 「彼女はあらっぽく服をぬぎ、コルセットの細紐をひきぬいた。紐はすべりおりる毒蛇(どくじゃ)のように彼女の腰のまわりにシュッシュッと鳴った。素足のまま爪先で、戸がちゃんとしまっているかをも一度見に行って、そして、着ているものを一気にみんな脱ぎすてた ―― 青ざめて、ものもいわず、真剣な顔で彼女は、わなわなと身ぶるいしながら、相手の胸にとびついた。

 しかし、冷汗にしとどになったその額に、よくわからぬ言葉につぶやく唇に、狂おしくなった瞳のうちに、その腕の必死の抱擁のなかに、極端な、正体のつかめぬ、暗いなにものかがあった。」(フローベール『ボヴァリー夫人』新潮文庫 生島遼一訳) 

 この文章が150年も前に書かれたものであることに、まず驚かされる。現代作家の小説の一場面だと言われても信じてしまう。それくらい、描写がみずみずしい。

 『ボヴァリー夫人』は、今さら言うまでもなくフローベールの代表作である。この19世紀の作品は、リアリズム小説の先駆けと言われ、当時、作家の模範的文体とされた。日本の近代・現代作家の小説を読んでいる時も、まるで眼の前で現実(あるいは映画の場面)を見ているように描写している作品がある。よくまあ、見てもいないものをここまで細かく書けるものだと感心させられることがある。多少なりとも、フローベールの影響なのだろう。

 小説の内容は、医師の妻、エマ・ボヴァリーの不倫である。アンナ(『アンナ・カレーニナ』)にしても不倫の愛である。エマもアンナも、平凡で退屈な夫に飽き足らず、若い男との恋愛に熱を上げ、最後は破滅(自殺)する。この時代は、今のように恋愛をしてから結婚するということはなかったようで、自分の心、肉体を燃え上がらせる経験なくして結婚生活に入ってしまったのだろう。結婚生活という枠の中に、女の情熱を閉じ込めておくことができなかった。

 エマは、それでも平凡な家庭生活を維持してきた。そこへ第三者である若い男が現れる。このとき、経験したことのない恋愛感情が生まれ、これが自分が求めていた本当の愛だとエマは思い込んでしまう。だが、こうした愛はしょせん、もろく崩れる。幻影である。大恋愛の果てに残ったものは、互いの幻滅。夫と同じ退屈な男が眼の前にいる。エマは、また違う男のもとに通い、肉体関係を重ねる。しかし、エマはすでにこの男にも捨てられていることに気づかない(気づいた時が破滅の時である)。

 平凡で退屈であることは、エマやアンナからすれば「悪」なのである。華やかで情熱的で、波乱があって、毎日が心ときめく生き方 ――。しかし、どうしてそんな毎日が送れるというのか。読者は、エマやアンナの生き方を見て、なんて馬鹿な女だと思うかもしれない。「平凡」だって、それは幸せの一つだ、と。

 文学は、何も倫理・道徳めいたことを書くものではない。小説は説教書や教養書ではない。生の真実(ありのまま)を描き出すものである。エマはこの上ない美女だがつまらない女、不倫、愛人、贅沢、借財、破滅、そして自ら死を選ぶ。そういう女の生き方を、真実に迫って描くのが小説家(芸術家)である。「馬鹿な女だ」とエマのことを本気で思わせ、しかもその魅力に夢中にさせたなら、作家の勝ちなのである。

 ところで、女の肉体に潜む性については、男には本当は分かるはずがないのだが、男である作者フローベールは、女の本性を知りつくしていたのだろうか。この疑問の前には、世界文学史に残る傑作を残した、というのが答えである。もっとも、これまで文学の評価をするのは大半が男だったから、本当の女が描かれているのかは、女にしかわからないかもしれない。とはいえ、男から見た女が真に描かれているかという見方からすれば、つまり、これが女の本性かと男が納得すれば、それはそれでいいのだろう。

  『ボヴァリー夫人』は『アンナ・カレーニナ』とともに、19世紀小説の傑作と言われている。男女の愛というものは、どうして読者をひきつけてやまないのか。きっと誰もが今の結婚生活に満ち足りない大恋愛をやり残してきているのだろうか。もし、それをやってしまったら、それこそ主人公の愛のように悲劇を巻き起こしてしまうので、ぐっと踏みとどまるかわりに、こういう作品を読んで架空の恋愛を楽しんでいるのだろうか。

―― いいえ、単に私たちは、いつだって恋愛が好き、それだけなのよ。

 なんだか、そういう女たちの声が聞こえてくるような気もする。


法隆寺 ~ 仁王門の疾風、静と動の瞬間

2014-07-19 10:51:03 | 仏像・仏教、寺・神社

 法隆寺。夏。

 体内のすべてのエネルギーをじりじりと絞り、やがて溶かし、生の源から一滴もらさず吸い上げてしまうかと思われる何年か前の暑い日。僕は、法隆寺中門の仁王像をいつまでも見上げていた。

 風だ――。

 金剛力士(仁王)といえば、東大寺の運慶・快慶のものが第一と思っていた。像高8メートル、阿形、吽形とも、どしりと構え、動こうともしない。いや、動きはあるのだが仁王像そのものは動かず、動かずして仁王そのものを取り巻く万象が動いているようにも思える。動いているものを仁王像の前で止めているようにも思える。隆々たる筋肉と形相、うごめく血管と骨格、これこそ静なる動、動なる静を象徴している。

 その彫刻美も第一等に数えられる。比類するものなき・・・・、と思っていた。が、ある夏、僕は法隆寺の金剛力士像の写真を見て度肝を抜かれた。今さらといえば、今さらだ。東大寺の仁王なら大仏(盧舎那仏)と同じくらい小学校の時から知っている。東大寺の次はなしと勝手に思っていたので、法隆寺の仁王像については恥ずかしながら、あまり注目もしていなかった。

 眼の前でよく見ると、法隆寺の金剛力士像は、東大寺の力士像に匹敵するほど迫力といい、造形美といい、素晴らしい。匹敵するのは、なにも大きさだけではない。むろん、ただ立っているだけでもない。たった今、からからに熱した疾風とともに立ち現れたという感じがする。手先の指がはりつめてぴんと反り、風に乗った天衣が巻き上がっている。時空に乗ってここにたどり着いたばかりだ。漂う空気が仁王像の身体の周りでまだ揺らいでいる。

 驚いたのは、その動きだ。吽形。まさに疾風を巻き込んでいる。ぐっと、後ろに引いた太い肘と腕、盛り上がった肩、空気の隙間に入り込んだ5本の指の間からは、今まさに急流のような勢いが流れ込んでくる。ぎゅっと結んだ口には、白臼(しろうす)のような太い歯が並び、見開いた眼は何ものかを射ている。

 また、阿形。腰を降ろし重心を保ち、振り上げた拳と大地を圧する垂直の腕、そのバランス感覚は何とも巧みに立ち、動きそうでいて、巨大建築物のごとく微動だにしない。僕はこの阿形、吽形2体の金剛力士像を見ていて飽きることがなかった。ぐわあーん、と像内から湧き上がる気の嵐に完全に巻き込まれていた。

 興福寺や薬師寺にも、大きさとしては小さくなるが造形的には素晴らしい金剛力士像はある。しかし、隆とした筋骨や怒りの構え、邪悪を鎮める形相のわりには、今ひとつ躍動感を感じることがなかった。もともと金剛力士というのは躍動するというよりは、静かなる動きをもってして邪気を退けるのだから、動かざる「動」というものがあり、そこに美があるのかもしれない。

 しかるに、法隆寺の金剛力士像はまさに動こうとしている。あるいはたった今動いていて、じっと音を聴くように一瞬静止した瞬間なのか、と思わせる。どしりと微塵も動かない東大寺の仁王像と、これが違う。

 法隆寺には、釈迦三尊像、百済観音像、救世観音像と国宝級の仏像がある。それらは僕も眼にして魅了されたことがあるが、仁王像を見た時のこれほどの驚きはなかった。


風薫る乙女 ~ 桜の咲く並木の下で

2014-07-13 01:01:38 | 文学・絵画・芸術

 薫風(くんぷう)に 

 髪なびかせて 

 君が行く ――

 

 桜の咲く頃、並木のある街道沿いの小径(こみち)を

 自転車に乗って

 薫る風に髪をなびかせ

 少女がすれ違って行った。

 その時、さーっ、と動いた風が僕の膚に触れ

 かすめて行った。 

 僕は思わず自転車のスピードをゆるめて振り返り

 行き去る乙女の姿を追った。

 桜は、少女の後ろ姿を

 満開に飾っていた。

 

 たった、これだけのことだけど、その瞬間が、青春のある時期(女子中学生のみずみずしさ、女子高大生の華やぐ頃など)を一瞬に思い出させることがありませんか。何気なくしている時、特別なある香りや風をすっと運んでくる。それは、具体的な思い出とは限らない。それでいて具体的な思い出を誘い出す、その時その時の特別な感覚としかいいようがない。

 香りと言っても、実際に何か決まった香りではない。脳が覚えている、あるいは記憶が化学反応しているのか、その独特な香りが頭の中(というより心)で融合し出すイメージについてくるものなのだ。

 それは、もう一度取り戻そうとしてもすぐに立ち消えてしまう、儚い夢のようなもの。だけど、確実に誰の心の中にも醸し出されてくるものだと思う。そして1年、2年の後もあれば、20年、30年の時を経て浄化されてくるものであるのかもしれない。


同窓会での名刺 ~ 定年後に持つ「無名の肩書き」

2014-07-08 00:20:44 | シニア&ライフプラン・資産設計

 今回も、郷里(三島)の中学校同窓会の案内が来た。我が母校の同窓会は特別で、学年全体で行う。生徒数が少ないからではない。1クラス40人余(42~43人)、それがA組からk組まで11クラスあった。1学年で450人くらいの卒業生がいる。さすがに今は、少子化の影響からか減っていると、教師になった同窓生が前回の同窓会で言っていた。

 これだけの人数が一堂に集まる盛大な同窓会である。といっても、残念ながら全員が出席できるとは限らない。所在がわからなかったり都合がつかない人、亡くなった人などがいるので全体の2~3割くらいだろうか。それでも、100人を超える卒業生が集まる。第1回以来、この学年合同同窓会の地元幹事メンバーたちは、たいへんな苦労をして手配してくれたわけである。

 同窓会の場では懐かしさが先行し、誰もが少年少女期に戻って大いにはしゃぐ。今の仕事や立場というのは、いっさい出さないことが本当は望ましい。口頭で「何してる?」「こんな事を細々やってるよ」くらいにしておくのがいい。こういう場は、仕事上の地位、収入の上下関係が憶測されそうなことは極力出さないのがいいのだ。当時のガキ大将は歳をとってもガキ大将だし、ピエロ役は今もピエロに戻る。

 ところで、そうはわかっていても僕は前回の同窓会で、まさにまずい思いをした。多くの同窓生が地元に残っていて地元の人間になりきっている。大学以来、東京に残っている自分はなぜか複雑な心境を抱いていて、地元に帰りたくても帰れないよそ者のような意識が常にある。地元と言っても、三島は東京から新幹線で1時間、数時間で日帰りができるところだ。しかし、それでもたまにしか帰らない。帰っても日帰りで戻るくらいの半分よそ者意識から、級友らとの懐かしさもあって、つい名刺を出してしまったのだ。

 「ここで、こんなことやってる」。地元の人間どうしなら、こんなことはしない。いつでも会える。しかし、自分はいつでも忘れていないのに、地元を離れた人間は地元の人間から忘れられていく。そんな気持ちから、「東京に出てきたときは連絡してほしい」という思いで会社の名刺を出してしまう。

 大それた有名企業や中央省庁に勤めているわけでもなく、求められもしないのに差し出す哀しさ。そんなのは、ごく親しかった級友同士でこっそりやればいいのだ。みんなが輪になって集まっているところへ、ビジネスの名刺交換の感覚でやると、歓談の雰囲気がたちまち凍ってしまう。そんな雰囲気を背中で感じる。特に同じ東京組の同窓生同士で、「やあ、やあ」と懐かしがって名刺なんか出し合ったりすると、ビジネスの場の雰囲気に一変してしまう。

 たとえば、地元出身の議員がいて、昔の友人たちと和気あいあいとしているところに割って来たとする。在学中ろくに口もきいたこともない自分らに議員の名刺など差し出され、「やあ、よろしく」などと握手を求められたら、これは自分のことを「1票」として当て込んでいるなと、つい思ってしまう。もちろん、仲の良かった友がそうであるならば、ぜひとも応援したくなるのだが。ここはビジネスの人脈交流パーティでも、選挙立候補の応援パーティでもないわけだ。

 もっとも、定年組が増えてくると、出そうにも名刺がない。会社の名も肩書きもない。でも、だからこそ「自分は今、こんなことをしているのさ」と、過去の組織にとらわれない「自分の肩書き」の入った名刺を出せたら素敵だ。そこには「NPO ○○代表」とか「○○仕掛け人」、あるいは「地元○○アドバイザー」などの名があったっていい。それが自分の生き方を証明できるものであれば。

 


「武蔵野夫人」はなぜ死を選んだか ~ 武蔵野「はけ」という所 

2014-07-02 10:04:07 | 文学・絵画・芸術

 ずっと前から、「武蔵野」という響きが好きだったし、気になっていた。武蔵野というのは、だいたいどのあたりを言うのか。それで、国木田独歩の『武蔵野』という小編を読んでみた。名品で格調がある。けれど、武蔵野がどのあたりか。東は吉祥寺・三鷹、南は調布・府中から北へ狭山まで広がる一帯、あるいはもっと広い地域を武蔵野台というらしいが、よくわからない。

 大岡昇平の『武蔵野夫人』では、小金井、国分寺あたりが小説の舞台となっている。そのある一帯を「はけ」(峡)というらしい。だいたい僕の生活圏と重なっていて興味がわき、読んでみた。僕がよく行った所も、どうやら「はけ」の一地域らしい。

 小説自体は、簡単に言えば姦通(古い表現)小説である。戦後の人妻と復員兵の幼馴染みの従姉弟同士が不倫する話だ。スタンダールの19世紀心理小説にならって、日本の小説でもその方法を試みたというが、あんまり人物と人物の内部にわたって心理を説明(分析)されるのも、途中からうっとうしくなる感じもした。とは言っても、リアリズム小説のように、こと細かく外部描写されるのだって読む気がしなくなるという人もいるかもしれない。

 そういえば、プルーストやサルトル、野間宏など、1人の人物の内部に入って意識の流れや、内的独白をしていく手法もかなりしつこいものだ。ただし、20世紀小説の場合は、人物の1人の中に入ると、その人物の内部から他の人物(外部)を見るという、サルトルの言う小説における「相対性理論」が守られており、それがたいして苦痛にはならないのだ。

 ところで主人公である人妻、道子はなぜ自殺したのか。夫も他人(知り合い)の妻と姦通していることを彼女は知っている。この小説の時代、姦通罪が廃止されたことをいいことに夫は、「結婚したからといってそれに縛られる必要はない、妻以外に好きな女ができたら妻を捨てて好きになった女と結婚すればいい」という考えである。それで知り合いの妻とセックスを重ねるが、いざ自分の妻道子が従弟の復員兵とできていると知ると動揺するようなスタンダールかぶれ(スタンダリアン)の学者なのだ。

 道子は道子で、年下の従弟、勉を愛してしまうが、古風で自制の強い道子は最後の最後のところで勉にセックス(姦通)させない。道子はそれを大切な「誓い」として、2人が一緒になるまで(すなわち死ぬまで)とっておこうと勉と誓い合う。一方で道子は、子のいない夫との生活を維持しようと思う。しかし、このような恋愛が続きようがないのを勉は分かっている。道子を大切に思うがゆえに勉は恋愛に苦しみ、道子の自殺を知った時、自分の性が狂いだす予感を抱いて小説は終わる。

 道子が自殺したのは、たとえ夫と別れて男と結ばれても、自分が育った「はけ」を離れなければならないからである。「はけ」というのは、小説の最初に詳しく書かれているが、これこそ「武蔵野」の特徴であって、中でも小金井、国分寺を中心として続く「崖線」(ガケ、クボミ)のことで、「国分寺崖線」と呼ばれている。

 国分寺には、殿ヶ谷戸庭園や「お鷹の道」と呼ばれる所がある。僕も近辺に住んでいるが、確かにこのあたりは崖が多いし、坂が多い。地形で見ても、野川という河川に沿って、ガクッと直角に崖が落ちている。しかも、迷路になっている。特に国分寺辺りは、碁盤目のように区画されていない。車で狭い坂をくねくね下っては行き止まり、突き当たると、バックではもう坂を戻れないところにはまる。歩いていても、「はけ」の上と下では、確かに格段の高さの違いがある。ただ、崖はあからさまではなく、崖沿いに線路が続いていたりする。「はけ」にはまた、庭園があり、寺や塔、神社があり、植物群があるので崖を感じない。

 このような独特な地域に父の代まで所有してきた土地と屋敷は、道子には生そのものだった。夫と別れて勉と一緒になろうにも、土地の権利を夫に抵当に入れられ、この「はけ」の家を捨てなければならない。それは勉と一緒に住むこととは「イコール」ではないのを知っている。だから道子は、勉との「誓い」(運命)を大事に抱いたまま、「はけ」の家で死ぬことを決意する。

 「はけ」はまた、澄んだ湧水の出る所である。崖の層の重なる所に雨水が貯まり、下層に浸透していくうちに浄化されて名水となる。崖と水、緑の翳りと小路、そして土地特有の家に生きる貞淑な女――。女にとって恋愛は「土地と家」から離されるべきものではないのだ。一方で、愛のない夫との生活においても土地と家に縛られて生きる。その葛藤が道子を死に追いやった。

 不倫とは、エマ(『ボヴァリー夫人』)にしろ、アンナ(『アンナ・カレーニナ』)にしろ、そして道子にしても、結末は同じように悲劇だが、その悲劇のありようがみな違う。