■ ディズニー作品とジブリ作品
『アナと雪の女王』(原題'Frozen’)は、2013年度のアカデミー賞長編アニメーション賞と主題歌賞(主題曲'Let It Go')を受賞した。ディズニー作品らしく愛と夢と希望の感動を与えてくれるストーリーだ。子どもだけでなく、いや、むしろ大人が見た方が感動する作品といっていい。
長編アニメーション賞に同時にノミネートされていた宮崎駿監督の『風立ちぬ』は賞を逃した。というより、この2作品を比較すると「ディズニーのほうが勝ち」と言わざるを得ない。(『風立ちぬ』については「『風立ちぬ』宮崎駿 ~ アニメと文章の濃密な時間」に詳しく書いたのでご覧ください。)
まずもって、映像が素晴らしい。宮崎監督も人間の表情や風景のディテールにこだわる人ですが、それ以上にこの作品は登場人物の表情が生き生きとしている。顔のつくり自体は目が顔の半分もあって人形のようだけれど、一刻一刻変わる表情や仕草、髪の動きまでまるで生きている人形、いや途中からは人間そのものに思えてきて、たっぷり感情移入できる。
それはちょっとした目の動き、口もと、指先、体の動作にも言える。人間の表情や動作を何百万例もコンピュータに取り入れ、その「動き」をCGでアニメ化しているのだろう。こんなことは宮崎アニメでは、予算や技術の面からいってもとうてい無理な作業である。なにより宮崎監督自身がそういう手法を望んでいない。宮崎監督はあくまで手描きで地道にアニメ制作することにこだわってきた。もっとも、この方法では限界があることを監督自身が一番よくわかっている。そのために宮崎氏自身のアニメ作家寿命を縮めてきた感がある。長編アニメ1作に10年前後もかかってしまうとなると、本人自身も気力・体力の限界と闘わなければならないし(監督引退の大きな理由)、人を何十人も雇っている以上、興行次第でスタジオ・ジブリの経営も大きなリスクを負うことになる。
『アナと雪の女王』は、誇張ではなく、このアニメで本場のミュージカルが楽しめた気がした。日本語版の吹替えもほとんど違和感がなかった。主役2人(松たか子、神田沙也加)以外はいわゆる知られているタレントではない声優・俳優陣でよかった。宮崎作品でいつも納得がいかなかったのが吹替えだった。『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』あたりまでは実力派の声優が吹替えをやっていたので安心して観ていられたが、いつからか、テレビでよく出るタレントがやたら吹替え陣に加わってきた。それは、作品そのもののレベルを落としてしまった。一般に、テレビで知られているタレントの声には艶(つや)がない。タレントは声だけで演技しないから、台詞がかすれてぼそぼそし、声がスカスカなのだ。存在感がない。最新作の『風立ちぬ』も、主人公の声(タレントではないけれど)は失敗だったと思う。
宮崎氏は、「普通の人間は声優のようには喋らない」と言ったそうで、そのため日常の自然な感じで喋れるタレントを使ってきたということらしい(鈴木プロデューサーの話)。しかし、それを言ったら舞台や映画、ドラマなどの配役の台詞については、実際に人間が日常で喋るようには喋らないし、小説の会話文だって、絶対にあんなふうな喋り方はしない。「あんなふう」とは、「日常の自然な感じ」という意味だ。喋るように会話文を書いたら、小説作品にならない。アニメにしても虚構(フィクション)なのだから、虚構の声をいかに日常的なものよりも本物らしく創り出すかがだいじなのだと思う。そのためには、虚構の声に命を懸けている声優(または俳優)を起用した方がよほどいい。
■苛酷な運命の受入れと決意を歌う名場面
この作品は、ストーリーも映像も音楽も歌唱力すべて含めて、アカデミー賞受賞は当然だったと思う(念のため、僕は宮崎アニメのファンです)。ところで、僕はたった1つ、この作品(吹替版)でどうしても気にかかるところがあった。それは、姉のエルサが自分の魔法の力を抑えきれなくなって雪の山を1人で歩いていくシーンだ。
前半の大きな見どころの場面である。エルサは、魔法で人を傷つけてしまうことを恐れて、幼少から今日まで自分を抑えて生きてきた。女王となる戴冠式の日、追われるように城を出ると、これからは過去の自分を捨て、自分の魔法の力を信じて「ありのままに」(let it go)、自分らしく、自分の道を生きて行こうと決意する。何にもとらわれず、人々と絶縁し、雪と氷の王国を築いてたった独りでそこに住もうとする。
この時のエルサの心情を歌ったシーンは圧巻で、本作品の名場面となっている(その楽曲が主題歌賞となった)。エルサは、今までの自分を解き放って自由に生きる決心をする。未来に向かって夢や希望を、映画を観る人にも与えてくれる場面のようにも思える。実際、ここの断片だけを抜き取ってみれば、さまざまな苦難を乗り越え、力強く前向きに進もうとするエルサがそこにいる。
それだけ、この場面は強い。本当は、ここで共感を抱くところなのかもしれない。なのに、しっくりこない。なぜだろう。それは、エルサには苛酷で悲劇的な未来しかないからだ。夢などかけらもない。エルサは、そんな世界に飛び込もうとしている。よほど強い決意がないと踏み込めない。愛のない世界へ入るのだから。感動的な名場面であるが、すべてを跳ね返してしまう冷たさが残る。愛からの訣別のシーン。エルサの自由とは、孤独の自由なのだ。「これでいいの、かまわない」(let it go)という拒絶の意志で自分を奮い立たせるが、自分を殺す道でもあることは彼女自身がいちばんよく知っている。
Let It Go.
この名曲を歌う松たか子の澄んだ声はみごとだが、日本語訳で聴くと未来に希望が持てそうな歌に聴こえる。でも、それではエルサの今の状況に合わない。そこに違和感を感じて、僕は英語版で何回も聴いてみた。歌のニュアンスが違うのは翻訳だからしかたない。英語版で聴くと、あの場面で主題曲のシーンを持ってきたことが納得できる。英語版では、自分を永遠に閉ざしてしまう断固とした決意が感じとれる。それが哀しいほど心を揺さぶる。だからこそ、自分を呼び戻しに来た妹のアナをも拒絶する。そうでなければ、最終場面で本当の愛に目覚めたエルサの心が氷解する意味がなくなってしまう。ついでに言うと、さすが主題歌賞を取った英語版の歌を聴いてしまうと、日本語版では物足りなくなってしまう。(主題歌の英語版、日本語版は『アナと雪の女王』公式ホームページで聴くことができます。)
―― とまあ、ここまで考えなくても十分に子どもでも楽しめるアニメに変わりはないけれど。もう1つ言わせてもらえれば、原題はあまりに子どもに夢がない。‘Frozen’では、それこそ「凍えるよう」で冷たすぎるのでは? その点、日本語版タイトルは、まさに和製ディズニー(?)っぽくて、これは「日本語版の勝ち」というところか。