端から端まで、山なりにうねりをもち、中央部からトンネル状に斜め上方に伸びていくもの、それが、その生命体の突端、‘頭’である。
僕たちは今、鉄筋クレーンのように35mにもまたがる巨大恐竜マメンキサウルスの、まさに骨格の中にいる。「中にいる」というのは、首と胴体の骨組みの付け根の下、洞窟内にいるように、下から仰ぎ見て通り抜けることが出来るからだ。(幕張メッセ「恐竜2009 砂漠の奇跡!!」
この過去最大、全長35mの草食恐竜は、21世紀初頭(ついこの間)、中国の盆地で発見されたばかりだ。今年はじめに、上野の国立科学博物館で恐竜展を見た。そこにいた恐竜はせいぜい7~8m、さほどの驚きはなかった。むしろ、博物館の建物に接して展示されているシロナガスクジラの実物大のオブジェの大きさにしばし見とれたくらいである。
それが一気に4~5倍の大きさを目の当たりにする。ちょっとした驚きなのだ。砂漠化した盆地で骨が発掘された。棲息当時は、緑豊かな湿地帯で、水辺あり、環境良く、生物が多くいたという。
ここから見上げると、体の半分近くある首(16.9m)の先の先にある頭は、まるでウサギの頭くらいにしか見えない(実際は、かなり大きい)。復元した映像を見ると、どうもあまり賢く見えない。あれだけの体の大きさだから、動作は緩慢だろうし、ちょっと愛嬌のある顔は、超巨大なペットぐらいにしか見えない。
ゴジラの体長が50m、ウルトラマンの身長が50m。そう言われても、子どもの頃からピンとこなかった。実感もなかった。いま眼の前で同じくらいの大きさに出逢うと、ゴジラはこれよりまだ大きかったのかと、身体で実感できる。こんな大きな生物が都会を歩いてきたら、確かに「ギャー」とか言って、逃げ惑うしかない(このマメンキサウルスは動作が鈍いし、優しい性格なので、映画のように襲ったりしないけどね)。
前に見た科学博物館でも驚いたことがある。骨の太さだ。象の脚の骨は直径10cm、これでも人間から見ればかなり太い。体長8mくらいの恐竜では、直径30cm、象の3倍はあった。さすが、あれだけの体を支えるには、それだけの太さがいるのだと、その時は感嘆した。
この幕張の恐竜展にきて、やはり、骨を見た。マメルス(マメンキサウルスの愛称)の脚は、こうして下から見る限り、優におとなの胴はある。直径にしたら50~60cm。これは、骨のことである。肉体ではない。肉付きの脚ともなれば、人間など、超ド級の金槌の下、細っこい釘くらいのもんだろう。
マメルスよ。おっとりして、おとなしい、草や葉を食べるだけの恐竜だったろう。そして少し、おマヌケで、おノロマで、おバカなところがあって――。これだけ大きな体を生かしておくための太古の地球は、じつに“母なる大地”を育み、豊饒で偉大だった。やがて運命は彼ら巨大生物を絶滅に追いやった。発掘された中国の盆地砂漠、今は緑も水もない広大な土地をみると、心に荒涼としたものを感ぜざるを得ない。
今でも、年間何万種の生物が絶滅しているという。トラやライオンも絶滅危惧種に指定されそうなのだ。あれだけ大きな恐竜が、環境に適応できなくて絶滅するというのは、やむをえないところがある。しかし、人間と同じ程度の大きさの動物、いや、手に載るくらいの生きものさえ次々に絶滅していくというのは・・・。
環境は、人間の欲望が異変を早めていることが多くはないか。
マメルスは、体が大きいけれど心優しい生き物だった。滅んだのも、地球そのものが変化したのだから、地球の一部のマメルスも変化した(死んだ)。人間は、地球そのものを変化させている。体長は小さいけれど、その力は強大で、ほんとうに「恐い竜」は、このちっこい存在の塊りのほうではないか。
こどものマメロー(愛称)を優しく連れて歩く母親マメルス。誰よりも長い首で、誰よりも遠くを見やることが出来るはずだったのに、いや自らの滅びの日は見えていたのに、どうすることも出来ずに、地球上から去らなければならなかった。
マメルスよ、1億6000万年の眠りから覚めても、はぐれてしまったわが子、マメローを探して、首を長く、長く伸ばしている。