FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

おのこらは強く豊けく、おとめごは聡く優しき ― 郷里三島の同窓会

2009-07-25 12:30:39 | シニア&ライフプラン・資産設計
3週間前、2回目の中学校同窓会に行ってきました。学年合同の同窓会で、参加者は110名ほど。当時、私のいた郷里静岡県三島市の中学校は1クラス42~43人、1学年11クラスですから、学年全体で470名いました。今では、学年クラスも、少子化で半分くらいだそうです。

今回、所在が確認できた人数は325名。それでも、110名ほどの同窓生が一同に集まるわけですから大変なものです。前回、4年前の時はこれよりさらに多くの同窓生が集まったのです。各担任の方も出席されていました。ただ、残念なことにすでに物故されていた先生もいらっしゃいます。考えてみれば、当時担任だった先生の年齢よりも、今では私たちの方が上に行ってしまっているのです。

前回も、今回も、オリンピックではないですが、4年ごとに全同窓生の所在確認、連絡、主催と、地元に残って力を尽くしてくれた同級生の開催委員の人たちには、大変お疲れ様、感謝、感謝です。

不思議なもので、人間の意識というものは、20年、30年という時間をあっという間に超越してしまうものです。おそらく、街で通り過ぎて誰だったか気がつかなくても、こういう同窓会の場に来ると、顔の面影、名札を見ただけで、一瞬に時を越えて当時に戻るのです。

そこには、今の職業や地位は関係ありません。当時のクラス社会のそれなりの位置関係に自分が戻るわけです。まったく他意のない自分たちに戻り、当時を懐かしみ、楽しみ、浸るのです。

もっとも、都合があって来られない人は別としても、ここにこうして来られる人は、少なくとも不幸ではないと同窓生が言ってました。痛ましくも病気や事故で亡くなったりした友人もいるとのこと。所在が不明、所在が分かっても連絡が取れない、何らかの問題や不幸を抱えていてここには来られない、そういう同窓生も少なからずいるということです。

それを考えると、一時的な郷愁、慰みの時間を昔の友と共有できることは幸せなことだと思います。特に、私のように大学生活からずっと東京にいる者には、たまに帰ることだけでも懐かしくてたまらないのです。幼少、少年時に歩いた場所、遊んだ辺りを頭で追いながら、実際に帰郷しては過去の時間を確かめるように歩いたりします。確かに時を経て、変わったものは多いけれど、変わらないものもあるのです。

人は同じように歳をとります。同じように時間が過ぎます。友人たちの顔を見ていると、歳をとることは何ら恥ずべきことではないと思えてきます。みんな同じ時間が流れたからです。男子も女子も。
―― おのこ(男子)らは強く豊けく、おとめご(乙女子)は聡く優しき
中学校の校歌の一節も、自然と口に乗ってきます。つらいことも、悲しいことも超えて、同じようにここにいるのです。ここにいることに、「ありがとう」と言いたくなります。

時はまた、無情です。次に逢える時は、また何人の同窓生が集まれるでしょう。時間は平等でもありながら、これからはその人の時間を蝕んでいくこともあるのです。しかし、いつでも時を超えることが出来るのも人の意識であり、心でもあるような気がします。

プルーストの長い長い小説の最終章、主人公が意識の中で、サロンに集まる貴族たちの容貌の上に流れる歳月の跡を回想する場面があります。時間という波が容貌という岩を侵食しながらも、厳然と荒海の中で立っている、そんな貴族の顔 ―。

「おのこら」も「おとめご」も、そうありたい。

タイガーは死んだのか ― 三沢光晴の死とプロレス

2009-07-10 01:22:57 | 芸能・映画・文化・スポーツ
プロレスラー三沢光晴がリング上で死んでから、4週間ほどになります。
私は、三沢光晴としての試合はほとんど見てません。2代目タイガーマスクとしてデビューした頃、一部映像で見た程度です。それでも、試合中に死亡した時(実際にはリング上で意識を失ってから)の映像が流された時は、相当なショックでした。

生前の三沢選手については、スポーツ紙や格闘技雑誌で知っていました。というより、私は一時期、それなりにプロレスファンでした。ジャイアント馬場、アントニオ猪木、初代タイガーマスクと、私のプロレスファン歴は、そのあたりまでで、その後はK-1とか、総合格闘技のほうに興味が移ってしまいました。

よく、プロレスは「八百長」だとか「ただのショー」だとか言われ続けていました。私はファンとしてプロレスを観戦している頃からそういう言葉に強い反感を抱いていました。「八百長やショーで、あれだけの緊張感ある試合が見せられるか」と、いつも思っていたのです。

そのうち、仕事で帰宅が遅くなると夜8時のプロレス中継を見なくなるようになり、テレビの放映も打ち切られるようになりました。この頃からが、三沢選手の全盛期と重なり、彼の試合を映像で見ることなくきていました。また、K-1や総合格闘技の人気が盛り上がり、自然、そちらに関心が移っていったというわけです。

総合格闘技を初めて見たとき、その試合展開があまりにプロレスと比べて違うのに戸惑いました。試合の流れが硬直していて、プロレスのように派手に流れていかないのです。一つの投げ技にしても、プロレスでは、鮮やかに投げ、投げられ、いわゆる「きれい」なのです。それに反して、格闘技のほうは、かったるい。もたもたしている。投げるほうが投げようとすると、投げられるほうは必死に抵抗して、そこで何分ももみ合い、膠着する。それが、最初はすごいストレスでした。

しかし、考えるに、オリンピックの柔道でも、互いに相手を投げよう、相手に投げられまいと、真剣に組み合っていれば、そうそう鮮やかに技が決まるものではありません(だから、鮮やかに決まると喝采なのです)。そういう風に見ていくうちに、総合格闘技の一見もたついた「かったるさ」が、本当の真剣勝負に見え、非常な迫力と緊張感を覚えるようになり、はまっていきました。

要するに、この時点で、「なあんだ、プロレスなんて、しょせん、単なるショーじゃないか」と世間が言うように私自身も思えてきて、ほとんど関心がなくなってしまったのです。しかし、総合格闘技を見ているうちに、今度は逆にプロレスの見方が変わってきたのです(見る眼が肥えてきたのか)。確かにプロレスは「ショー」です。それも、真剣勝負のショーなのです。相手が技を掛けて来れば、真剣勝負で受けて立つ。肉体と知能で技を受け、技を仕掛け、かつ試合を組み立てていかなければ、「ショー」が成り立たないのです。その主導権を握れるのが勝者であり、ヒーローになれるのです。

アントニオ猪木は、プロレスラーとして、肉体も知能も最高レベルにいたレスラーだったと言われます。つまり、相手の技を引き出し、相手の見せ所を十分出しながらそれをすべて受け止めて、最後に「最高のショー」として成立するようにトドメをさす。時代劇のように、一度は悪役の凄みを引き出しておいて、主役が窮地に陥りながらも、最後は主役が斬り倒す。ここに、観客は歓喜するのです。

これは、八百長というのではなく、格上のレスラーが相手の技、相手が組み立てている試合の流れを凌駕しなければ成り立たない高度な「ショー」なのです。真剣勝負で勝てないレスラーは、いつまでも自分の「ショー」を実現できないのです。逆に、ただ強いだけでは、「ショー」が成り立たない。

三沢選手も、この「ショー」の組み立てが抜群だったと言われます。相手との真剣な技の掛け合い、受け合い、見せ合いがあってこそ、プロレスは成り立つのです。今回の事故は、三沢選手の体調が思わしくなかったところ、受身の達人である三沢選手が受身を取りそこなって事故に至ったと言われています。すでに、プロレス団体ノアの社長業に専念すべく、今年中に引退を考えていたという、三沢光晴選手。現役最高峰と言われる選手が、その試合中に亡くなるというのは、本当に痛ましい限りです。

力道山、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、橋本真也など、現役中(もしくは引退後まもなく)に亡くなったレスラーがいますが、いずれも怪我や病気、あるいは暴行など、リングの外で亡くなりました。リングの上で死亡した名もなきレスラーもいるようですが、現役最高峰にいるレスラーがまさに技を掛けられて死亡するということは前代未聞でしょう。

私としては、天才といわれる三沢選手の試合を一試合でもじっくり見ておきたかったというのが正直なところです。格闘家はリングの上で死ねれば本望と言いますが、本当でしょうか。アントニオ猪木のように、絶頂を下り気味になった時、それを悟って余力を残しながら、ファンの前でリングを去るのが、王者の最高の去り際のように思えます。

三沢選手は、そういう意味で残念だったのではないでしょうか。王者の去り方にはそれぞれドラマがあります。冥福を祈ります。


政治家・光源氏を取り巻く女たち

2009-07-02 06:19:18 | 文学・絵画・芸術
『源氏物語』は、「雲隠」の帖で、いったん終了します。この帖で、光源氏は出家し、死亡したとされるからです。作者紫式部は、はっきりと源氏の死亡を書いておらず、「雲隠」という表題のみで、帖には文章がありません(このあと、「宇治十帖」といわれる源氏の子孫の物語が始まる)。(『源氏物語ミュージアム 栄華と地獄と極楽と』)

「雲隠」まで、文庫本にして7巻分(瀬戸内寂聴訳・講談社文庫)だから、相当長い。長いけれど長さを感じさせず、一気に読めるのは、訳者の功績が大きいと思います。

政治家としての光源氏は、天皇と同等の地位、准太上天皇(じゅんだいじょうてんのう)まで上りつめ、栄華を我が物にしました。もともと、天皇の子だったとはいえ、母親の桐壺の更衣は身分が高くなく、源氏は皇太子(東宮)にはなれませんでした。それどころか、若気の至りで異母兄である現帝(朱雀帝)の最愛の人と密通したのがばれて、流罪になってしまいます(「須磨」)。

この最大の危機を救ったのは、光り輝く天皇の子であるという源氏自身の存在性でもあり、源氏を取り巻く女性たちでもあります。罪を解いたのは、直接には源氏を慕う現帝(朱雀帝)ですが、生活を直接支え、孤独と不安の心を支えたのは女性たち(特に明石、紫の上)です。

源氏は一度関係があった女性には生涯気にかけてやり、経済的援助も惜しみません。恋愛関係や肉体関係がなくなっても、ブスと知れず関係を持ってしまった女(末摘花)に対しても、生涯気遣ってやります。そうした心や人への思いやり(特に女性への)が、めぐりめぐって、源氏を盛り立てていくのです。並外れた容姿のみならず、学問や、文学、音楽、芸術の才も並みはずれて優れている源氏だからこそ、とも言えます。

苦難に逢っても、源氏はいずれ頂点に立つことになります。政治家としての源氏の仕事については、ほとんど書かれていません。書かれていなくても、読者は源氏が順調に出世していくのを知らされます。政権に復帰してからは、自分の流罪に関わった朝廷関係者を要職から離していきます。そして、自分の周りには、自分が朝廷政治を運営しやすいように、源氏の一族や関係者を配していきます。

これは、政治家としてのしたたかさというより、権力者としては当然のことです。いくら才能・能力があっても、沈められていくべき者が多くいるのも政治の世界、古今、変わりません。そして、父桐壺帝の妻(源氏の憧れの人、藤壺)との密通で出来たわが子・冷泉帝の正妻に、かつての愛人(六条の御息所)の娘を据え、自分が後見人になることで最高絶対の権力をものにするのです。

こうして、源氏は絶対の権力を握ると、壮大な女の園(ハーレム)を建設し、いつでも自由に、その日その日に好きな女性を訪ねることが出来るようにしたのです。まさに、わが世の春、栄華をものするのです。源氏は、稀代のプレイボーイです。女性に優しく、女性の愛と性がなければ生きていけない性分です。しかし、同時に、いつでも権力維持を考えていた政治家でもあるのです。それは、自分を守るためと、愛する女たちを守るためでもあったのでしょう。

『源氏物語』では、光源氏自身も含めて、時の支配政治に大きく揺り動かされます。女たちもまた同じです。朝廷の勢力地図が動くたびに、貴族の勢力が揺すぶられ、同時に女たちの悲喜も生じます。作者紫式部のすごいところは、このあたりを、それとなく、しかもきちんと書いていることです。それがなかったら、『源氏物語』は、単なる恋愛小説か、ドン・ファン物語で終わっていたでしょう。