勝利宣言の日、テレビに映るオバマ氏の演説に思わず釘付けになってしまいました。オバマ氏の演説の仕方にしてもそうですが、テロップで流れる演説の文章が、あまりに分かりやすく、かつ心を打つものだったからです。翌日の新聞に演説の全文が載っていたので読まれた方もいるでしょう。
テレビでは、泣いている黒人の姿が映っていました。黒人初の大統領という歴史的な瞬間だからということもあるでしょう。遅ればせながら最近、私もじっくり演説文を改めて読んでみました(英文は分かりやすく簡単な文章で書かれています)。
文章のところどころで、ぐっと来る箇所がありました。これまで虐げられてきた黒人の歴史が塗り替えられようとしている、その瞬間に立ち会っている黒人の心の中に少しでも入ってみれば、日本人でも感じ入るでしょう。
大統領選には、いろんな分野の専門家がチームを作ってフォローしていると言われます。政策や経済担当はもちろん、マーケティング・広報担当、役作り担当、演説スピーチ担当、スタイリスト・・・、さながら大ヒット映画を製作する映画プロジェクトチームのように。演説文章も専門のライターがいます。今回のスピーチライターの文章は、一つの名品といえるでしょう。これは、一編の詩であり、歌であり、そして小説です。
スピーチライターが書いたとしても、オバマ氏の思考・思想の反映であることに違いはありません。彼のキャラクターと人種と歴史とスピーチが、これ以上なく噛み合った、非常に巧みな、そして感動的な勝利演説でした。
演説文は、視線をできるだけ落として書かれています。これは虐げられて、生活身分の低い大多数の黒人人種を意識したものと見られます。かつて、名演説と言われたケネディ大統領の就任演説は、誇り高く上を向いた文章でした(就任演説と勝利演説を一緒に比較はできませんので、オバマ次期大統領の就任演説を読んでから比較してみたいと思います)。
Yes, we can Yes ,we can Yes, we can
演説文の最後のほうでは、このフレーズが何回も文章の中で繰り返されます。それがまた、希望と勇気を与えてくれるのです。貧しい人、年取った人、普通の人、日陰にいる人、病の人、悲しんでいる人、不幸な人、孤独な人・・・、もし、誰かが見向きもしなければ、この地球上で一度でも注目されない人、日が当らない人、そういう人たちに言葉を添えて、勝利の感謝をささげるオバマ氏の声、この一声で、下層にいる黒人たちのすべてがこのアメリカに生きているという証を与えられたのです。これを聞いて黒人の有権者たちが泣かないはずがありません。そして、このことに思いを馳せる人なら、日本人でもちょっとこみ上げてくるのです。
ついでに言えば、この演説文の中には、キング牧師の言葉や、過去にあった黒人に関わる悲しい事件のキーワードや歌詞がいくつも挿入されているとのことです(残念ながら、日本人の私には直感的にはわかりません)。これがまた、黒人の歴史を知る人にはぐぐっ、と来るのでしょう。
文章だけで人の心を動かすことは難しいことです。この勝利演説の文章が感動を呼ぶのは、歴史を変えた勝利をともに祝福するという、大きな現実の重みがあるからなのでしょう。そういう意味で文章は、現実や真実が伴っていなければ、なかなか人の心に伝わらないものなのです(自戒をこめて)。