FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

相続税対策に保険は要らない

2008-12-31 02:37:52 | シニア&ライフプラン・資産設計
「おれのため」と「あなたのため」

「振り込め詐欺」がさらに増えているそうです。これだけ社会問題になっているにもかかわらず、騙されてしまうのは不思議です。いつも思うのです、人を騙す知恵(悪知恵)があるなら、その頭をもっと人のためになることに使えばいいのに、と。

人は、「おれ、おれ、おれのためだから」と言われると、ころりと騙されやすいのでしょう。特に身近な人間のことなら尚更です。私のお気に入りのCMに「あなたのためだから」というのがあります(外国為替取引のCM)。人は、「あなたのためだから」と言われると、逆に警戒してしまいます。このCMはその辺のところを逆手に取っているので、見るたびに思わずにやりとしてしまいます(女性タレントの疑り深い表情がこれまたいい)。

外国為替取引については、ここでは詳しく説明しません。あくまで余裕資金で楽しむ程度にやられるといいでしょう。円が高いからと勧められても、為替の動きは株式以上に激しく、予測するのが難しいとだけ言っておきます。

それよりも、気を付けていただきたいのが、「あなたのためだから」にプラスして、「奥様のためだから」「お子様のためだから」と、遺された人の相続税対策にもなると保険商品を薦められる場合です。もちろん、保険はある程度(程度の問題)必要です。だからといって、なぜそこに相続税を絡めてくるかです。


元本保証にならない?

定年退職で退職金をどっさり(このご時世で羨ましいかぎりです)もらった人は、金融機関から一時払いの変額年金保険などを勧められるでしょう。この商品は、運用成績によっては満期の受取額が増える(あるいは減る)年金保険です。今のこの時期、運用業績が悪化して、さすがに金融機関は勧めづらいでしょうが、「元本保証型」で「相続税対策」のためになると言われると、つい誘いに乗ってしまうのではないでしょうか。

元本保証型といっても、保険料のうち何割かを運用するので、手数料が高いのです。この運用する部分を特別勘定といいますが、金融機関の商品説明資料では、何割くらいなのかはっきりしません。要するに元本を保証するための運用に手数料がかかり、さらに保険のための費用として手数料がかかるのです。さらに購入時の初期費用、年金受取期間中、挙句には途中解約すると数%も解約手数料がかかります。普通、物を買う時、セットで買うと安くしてもらえるものですが、金融商品だけはいろいろセット(貯蓄、保険、運用)にすると、逆に手間がかかるとかで手数料が高くなるのです。

仮に1,000万円の一時払いで変額年金保険に加入すると、60歳から70歳までの10年満期で、手数料は大雑把に200万円以上(初期費用5%として、1,000万円×5%で最初に50万円引かれ、運用関係費用+保険関係費用が2%として、積立金950万円×2%×10年で190万円)もかかります。しかも、これは実際に加入者がお金で支払うわけではなく、自分が申し込んだ運用資産から毎月控除されていきますので、加入者は知らずのうちにコストを負担しているのです。金融機関もこれで商売するのでとやかくは言いませんが、払う方としては元本を保証してもらい、少しでも受取額を増やしてもらうためにこれだけ払うのと同じわけです。死亡した時の「家族のためだから」と言われると、つい心が弱くなりますが、実際はこのご時世、預けた年金資産はたいして増えないし、これなら定期預金で置いといてもいいかと思いたくなります。


相続税対策にはならない?

もうひとつ、「家族のためだから」で弱いのが、「相続税対策になりますよ」という囁き。そもそも、年金と保険で相続税対策を考えること自体、無理があります。確かに保険に加入していると、相続があった時に課税価格が控除されます。妻と子2人(法定相続人3人とする)なら、1,500万円(500万円×3人)が非課税になるのです。でも、ちょっと待ってください。これは相続税がこれだけ現金で戻ってくるのとは違います。税率を掛ける前の課税価格が低くなるだけです。1,500万円分にかかる相続税を計算してみると、175万円。175万円の相続税を浮かすために、先の例では200万円以上払うのと同じことになるのです。

さらに、相続税支払いに該当する人は、おそらく退職金1,000万円や2,000万円程度ではほとんどいないのが現実です。法定相続人3人なら、8,000万円まで非課税だからです(5,000万円+法定相続人1人当たり1,000万円×3人)。これを超えても配偶者は1億6,000万円までの非課税枠があります。上の例にあるコストを負担してまで相続税を浮かせる効果があるのは、ざっと資産が1億数千万円以上の人が該当します。だからといって、保険が最有力の対策とは思えません。そういう人は、もっと根本的なところで相続税対策が必要になるでしょうね。

株価暴落で、金融機関はこの商品の「元本保証」をするための穴埋めで損失を大きく膨らませ、この商品から撤退も考えているところもあるようです。つまるところ、「あなたのため」と言われたら、本当に「自分のため」なのか、よく考えてみてからでも遅くはないはずです。

(※このブログは金融機関とは関係ありません。中立的に私見を書いています。)

源氏物語ミュージアム ~ 栄華と地獄と極楽と

2008-12-30 14:09:51 | 文学・絵画・芸術

 源氏物語ミュージアム(宇治)

今年は、『源氏物語』が書かれて(正確にはその存在が確認されて)から、千年ということで、いろんなイベントや出版がされたようです。

ドラマや、コミックでも何人かの作者が書いていますので、若い人も中身はよく知っていると思います。現代語訳もいくつか出ており、何年か前、私は谷崎潤一郎訳で、確か「須磨」当たりまで読んだ記憶があります。最近は、やっぱり作者と同じ女の言葉で読みたいと思い、瀬戸内寂聴訳で読み始めました。もちろん、時間を見て全巻読むつもりですが、もう年末、続きは来年になるでしょうね。

それでも今年中に、なんとか『源氏物語』にちなんだことを書いておこうと思ったのは、「千年紀」という響きでしょうか。私は光源氏の栄華を極めた前半生にも関心がありますが、それ以上に興味あるのは、栄華を過ぎた後半生、仏教観の強くなった話です。詳しくは、読み進んでからにしますが、華やかさのあとの死生観、死生観あってこその美がひときわ引き立つということです。

このことは、実際に現地に立つと分かります―。
それは、暑い夏の日でした。およそ、『源氏』の世界に思い立つような気候ではありません。白雪や紅い葉の敷きつめる地面を歩く時季と違って、余りある夏の光線が降り注ぐ中に、ひっそりとミュージアムがありました。宇治の駅から10分ほどですが、夏の中を歩くにはじゅうぶんすぎる時間。まだ開設して間もない頃の「源氏物語ミュージアム」に、人はまばらでした。


宇治の物語

中はちょっとした異世界でした。『源氏物語』の世界が、特に「宇治十帖」の世界が立体的に展開されています。そこに、「薫の君」がすぐそばに立っています。等身大で、2人の姉妹の姫君を覗き見ているところです。私は一緒になって、琴を弾く君たちを外から見ています。ここから「宇治」の物語が始まります(ミュージアムでは、人形による演戯でムービーに上演されてました。これがまた幻想的で、特に女の姿かたちは、実物の女以上に色香を感じました)。

「宇治十帖」の「浮舟」は、薫と匂宮との恋に苦しんで宇治川に入水します。それを救い出したのが横川僧都(よかわのそうず・恵心僧都 源信がモデル)。源信は、実在の平安の名僧で『往生要集』を書いた人です。そこには、仏教地獄の世界が生々しく書かれているのです。私は、哲学の延長で仏教書を読み漁ったことがあり、この書もじっくり読んだものです。この源信に救われた浮舟は、結局、出家の道に進むことになります

『往生要集』には、小野小町ほどの絶世の美女でも、いつかは年老い、髪は抜け、膚はぼろぼろ落ちて醜くなり、そして地面に野垂れ死にし、やがて肉体は腐り、蛆がわき、臭くなり、ついには骨と皮となる、この世もひとつの地獄である―。このような現世をまざまざ見せておき、救われるのは仏の道であると、リアリストとしての源信は教えているのです。名僧に救われた美しくも苦悩する「浮舟」が出家するのは、物語としては道理だったのです。宇治川に身を投げた女の長い黒髪が川の流れ流れにまとわりつかれる、なんともいえない妖しさと情欲と哀しみは、最後に穏やかに救われることを予言しているようです。

ミュージアムは、宇治にあります。この地は、永遠の平安の都、浄土を現しています。平等院は極楽を現世に出現させたものです。鳳凰堂から見渡す街は、今は面影が少なくなってしまいましたが、往時は土地一帯すべてが浄土を現すべく、平安で安穏できる建造物で埋め尽くされるはずだったと思います。

『源氏物語』の作者が最後にこの地を選んだのは、必然だったという気がします。ミュージアムを出たあと、しばし私は、美しい苦悩の君が身を投げたという宇治の川を見下ろしていました。


平櫛田中 ~ 転生する「人畜生」

2008-12-27 09:30:06 | 文学・絵画・芸術

 『鏡獅子』

休日のウォーキングを兼ねた散策コースに平櫛田中(ひらくし でんちゅう)彫刻美術館があります。季節の催しの案内を見ながら、たまに入ってみたりします。地元の市にある小さな美術館、というより平櫛田中の自宅を改造したものなので、たまにお宅にお邪魔するという感じなのです(入館料も300円なので、気軽に入れます)。

玄関(入口)脇には、巨大なクスノキの幹がそのままの形で立てて置いてあります(一見、土から生えているように見えますが、置いてあるのです)。田中さんが100歳の時になお20年分彫るために取寄せた原木で、直径2メートルほどもあります。もう亡くなってしまいましたが、あの小さな身体で、この幹をそぎ落としていくのかと、入るたびに圧倒されてしまいます。

先月も「仏像インスピレーション」というものをやっていました。館内は小さいので、展示数は限られてしまいます。おなじみの円空や木喰(もくじき)、もちろん田中さんとその他の彫刻家の仏像作品がありました。「仏像インスピレーション」というからには、仏像がテーマなのですが、せいぜい数十センチの像がメインです。私としてはちょっと物足りなく思いつつも、都会はずれの個人邸を改造した美術館は、品よく丁寧に心のこもった手料理をいただくようで、いつもながら「ほっ」、とする時間と空間でした。

田中さんの代表作で最も有名なのは『鏡獅子』で、2メートルほどの大きなほうは国立劇場に展示されているので、ご覧になった方もいるでしょう。じつは、小さなほう(60センチ弱)の「鏡獅子」がちゃんとあり、こちらは当美術館に常設となっているのです。よくよく見ると、まったく本物のようで、木に着色した鮮やかさが、なんとも言えないのです。

 『転生』

ところで、私がいつも入って眼をとらわれるのは、じつはもう一つあるのです。入館してすぐ眼の前にあるのが『転生』です。これも2メートル以上もあるブロンズ像で、思わず見上げてしまいます。筋骨たくましい鬼が、上から見下ろして舌を出しているのです。それは、何かを吐き出しているようです。よく見ると、舌ではなく、人間が頭から先にべろー、と吐き出されているのです。この鬼も、昔話に出てくる地獄の下級界の鬼などではなく、仏様(如来)の脇にいる守護神に近い、上級界の風格ある鬼です(説明によると、仏教的な守護神や明王とは関係ないそうですが)。

最初は、口から出てくるのが合掌した菩薩像に見えたので、転生というからには明王様の胎内から人間が菩薩に生まれ変わる高尚な仏教の比喩かと思いました。そうではなくて人間で、それもひょんこりととがった頭を先に両腕をぴしゃりと身体に付けて、背中向けにべろんと吐き出されるさまは、なんともまあ間が抜けた、滑稽というより、情けないというより、おもちゃっぽいというか、どうしようもない虫けらみたいです。

鬼にしても、「人間なんざあ、まずくて食えねえ」、というところでしょうか。どうもこの像の前に来ると私は、自分なんか、食えねえ人間なんだろうなあ、としみじみ思ってしまう次第です。あなたも、いえいえ、世にお偉いと言われる方も、一度この前に来られたらどうでしょうか。人の上に立つ人ほど、この人間というものが、おもしろおかしく、ちゃちで、「やがて哀しき」ものだとわかるでしょう。より上の界へ生まれ変わってみたい・・・、と。

静かな雰囲気で館内を回りながら、アトリエ、寝室や居間、茶室や庭園などをふらりふらり進んでいると、まるで自分の居室のように思え、ぼんやりと庭を見ながら想いに耽ってしまうのです。きっと田中さんも、彫刻の合間に、こうして瞑想に心を休めていたことでしょうね。老いたご母堂の胸像を彫っている写真がアトリエにありました。自らが老いながら、母の像を彫る姿にしみじみ見入ってしまいます。


景気悪化の今こそ、金融商品の中身を知る

2008-12-25 00:52:19 | シニア&ライフプラン・資産設計
景気が悪くなれば、物が売れない、売れないから企業業績が落ちる、業績が落ちれば給与がダウンする、そして雇用が削減される、というデフレがまた訪れつつあります。つい、半年くらい前までは原油高騰、物価高騰、消費税アップでこれからインフレ対策をどうしようかと言っていたのが、嘘のようです。確かに、一部では物が安くなり始めているようです。しかし、素直に喜べないのが今の経済状況の不気味さです。同じ半年前までは就職状況は売り手市場ではなかったでしょうか。それが今、「掟破り」の内定取り消しが相次いでいます。

そもそも、通常期でさえ景気の先行きを予測するのは難しいのです。10人のエコノミストがいたら10人の予測が違います。私たちはそうした予測の中身を聞いて考えるというより、たまたまテレビに出た評論家の言い分を鵜呑みにするだけでした。

金融商品についても同じです。儲かると言われると新興国株式ファンド、FX(外国為替証拠金取引)、キャンペーン付き外貨預金、変額年金保険などなど、商品の中身をろくに考えずに「儲かる」「好成績」と言われるままに投資してきました。そして、今は「貯蓄から貯蓄へ」に戻りつつあります。「やっぱり元本割れしない安全資産がいい」―、と。

資産運用は、好景気の時も不景気の時もやると決めたときは腰を落ち着けてやることが必要です。安全資産ももちろん、立派な資産運用です。リスク資産と安全資産を景気に合わせてリバランス(金融資産の組み合わせの割合を変える)することも大事です。そして、これからは、もっと大事になることが「商品の中身を知る」ことです。

よく商品を知れ

安全資産の中にも、思わぬ見落としがあります。一例を挙げれば、なぜ円定期預金がこの時期に1%以上の金利(通常0.2~0.4%程度)が付くか。少し自分でも考え、分からない時は中立な専門家(FPなど。ただし、レベルにかなり落差あり)に聞いてみましょう。金融商品にはどんなものでもリスクとリターンの法則があります。先ほどの円定期預金では、預け入れ条件(金額・期間)、中途解約などの制約とペナルティ、キャンペーン金利と基準金利の扱い、手数料、金融機関の財務状況など、ちょっと調べると金利優遇の中身がいろいろ分かります。もともと1%程度の金利ですから、リスクのある商品ではないのですが、注意も必要です。

また、今の状況では、個別銘柄よりも「市場」そのものに投資するのも一つの手です。たとえばETF(上場投資信託)やインデックスファンドは、日経225など日本の市場を代表する指標に連動する商品です。これから日本の市場全体がどうなるか、それに投資するのも一つのリスクの取り方でしょう。特にETFは手数料が安くて、これからの投資法として考えてみるのもいいでしょう。「市場」に投資する心理的メリットは、相場全体が上がった時は、日本と一緒に喜べるし、下がった時は日本そのものが沈んでいるんだからと、諦めもついて、比較的落ち着いていられる点でしょう。

詳しいことを勉強する必要はありません。最小限を聞いたら、自分で考える習慣を身につけることです。10人の予測のうち1人、つまり10分の1だけを鵜呑みにしたら、また同じ「負け」を体験するでしょう。景気悪化の今こそ、資産運用を考え、始めるチャンスでもあります。まずは腰を落ち着けて、じっくり金融商品との格闘をお勧めします。

フェルメール ~ ミステリアスな動く少女の絵

2008-12-23 22:57:33 | 文学・絵画・芸術

 『真珠の耳飾りの少女』

8月初めから12月14日まで、「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」が東京都美術館で開催されていました。この期間、93万人の人が訪れたそうで、近年になく好評だったそうです。

私は行きそびれてしまったのですが、残念なのは「真珠の耳飾りの少女」(「青いターバンの少女」)が今回は展示されていなかったことです。本物をぜひ見たかったのですが、ほかにも代表作「デルフトの眺望」や「絵画芸術」「牛乳を注ぐ女」なども、作品の保存上の問題で今回は見送られたようです。

ヨハネス・フェルメールは、「光」と「色彩」と「構図」の画家と言われています。このことは、「真珠の耳飾りの少女」ただひとつ見ても、よくわかります。フェルメールの絵は、たいてい画面向かって左のほうから光が射し込んでいます。そして、その光に一瞬映えるように輝く鮮やかな色、まるで光に反射するかのような構図。まさに、そこに当たるべく、光が注いでいます。こうした光は、宗教画にもよく見られる天上の光にもたとえられるかもしれません。

「光」と「色彩」と「構図」、これらの要素に私は「動き」を入れたいと思います。「真珠の耳飾りの少女」は、少女の動きを一瞬の中に捉えたものです。人の動きというのは、連続しています。連続している動きをそのまま見ていると、何気なく見落としてしまいます。しかし、その連続の中で一瞬だけ、すべての動きを物語る「時」があります。フェルメールは、じつによくこの「時」を捉えています。それが「構図」となっています。

青いターバンを巻いた、真珠の耳飾りをした少女が振り向いた瞬間のこの作品は、「北方のモナリザ」と称賛されています。少女は、振り向いたこの一瞬、すべてを語ります。ここには物語があります。実際に、シュヴァリエという作家によって2000年に小説として作品化され、その後映画にもなりました。この絵画は、他のフェルメール作品ほど物語性がないと言われますが、私は、じつはこの絵ほど創作意欲を感じるものはありません。

小説や映画では、画家とその家の女中の淡い恋として描かれたそうですが(私はいずれも見ていません)、作品としてはそのあたりになるのでしょうか。画家への信頼からくる親愛と憧憬のまなざし、心解き放たれた笑顔とも恥じらいとも見える表情、あどけなさの残る乙女の心が、無限に広がるとも言えます。

しかし見方によっては、この謎めいた表情や雰囲気、単なる恋物語では終わりそうにないミステリアスな悲劇が潜んでいるのかもしれません。初めての恋に胸ときめくまなざしには、愛した相手との間にある身分の違い、身体の底に流れる冷たい血に触れる時の震えに抗って、なおも抑えがたい熱情のきざしが見えるのです。

知るべきでないことを知ってしまった驚きや、それを自ら問い詰める怖れがその眼と口元に現れています。真実や神秘を知る時の少女の目覚めと同時に、かすかに開いた唇に白く濡れる光は、大人になりつつある女の神秘的な色情さえも感じられます。





定年男は「畳の上の濡れ落ち葉」

2008-12-20 10:38:51 | シニア&ライフプラン・資産設計

男の定年なるものは・・・

前に女性の立場にたって離婚を書きました(12/12『「一生、一緒」ではない離婚とお金』)。男の立場からも書いておかないと不公平になると思いますので、書いてみます。

男は男で、毎日仕事のことで頭を悩まし、ストレスを感じています(奥さんは奥さんで家事、育児、家計、家族、介護などでストレスがあると思いますが、ここは男の言い分を聞きましょう)。おそらく、奥さんに心では感謝しているのでしょうが、それを現す精神的なゆとりがないのだと思います。ここで日頃、「ありがと」の一言を言っておくと、あとで致命的なことにならないですむものですが、そこまで気持ちが行かないのでしょう。

よく、「定年したら、妻と一緒にいろんな所へ連れて行ってやりたい」と言って、実際に定年直後は日本各地の名所や温泉に連れて行く人がいます(奥さんにしてみれば、定年前の元気で若い時にいろいろ行きたい所があったのに・・・)。ある人は、「定年退職したら、大型キャンピングカーを大改造して、夫婦二人で車に泊り込んで日本を一周する」のだとか、「田舎に引っ込んで二人で蕎麦屋(あるいは野菜づくり)をするのが夢」だとか、そう語ったり、実際に実行に移したりする人もいます。夫としては、家庭を少なからず犠牲にしてきて、仕事仕事の毎日で土日もろくに居なかったこともあり、せめて罪滅ぼし(というより、ほとんど男がずっとやりたかったことに妻を引き込むだけですが)にと、老後は妻のことを大切にしようとは思うのでしょう・・・。

しかし、それが、奥さんには迷惑なのでした。奥さんは、もうとっくに地域や子育て仲間、カルチャー仲間、パート仲間と溶け込んで、自分たちのワールドを作っているのです。今さら、キャンピングカーに365日閉じ込められて、自然や文化に溶け込もうなんてできるわけがないのです。横暴な夫の身勝手の続きとしか見てくれません。夫にしかたなく付き合ってくれるのは、せいぜい数カ月。付き合ってくれるだけでもありがたいもので、優しい奥さんなどは、夫の「定年後の夢」に付き合ったばかりに精神的・肉体的に異常をきたしてしまいます。かくして、夫は何していいかわからず、畳の上の「濡れ落ち葉」になるのです。

奥さんから見れば、畳の上の夫はただ邪魔、大きな動かないゴミにしか思えません。じつは夫は、本当に、仕事をなくしたあとの自分の生き方を考える訓練をしてこなかったのです。それでも、お金が足りなくて定年後も働きに出て行かなければならない人は、畳に張り付いている場合ではありません。意地でも仕事を探してくるでしょう。困るのは、退職金も貯蓄もそこそこあり、住む家もあり、年金もそれなりにもらえる、ある意味恵まれた人たちです。無理に働かなくてもいい。だから、何をしていいか分からない。


夫は何をする人ぞ?

たぶん、夫は畳の上に寝ころんでただテレビを見ているか、新聞を眺めているか(読んでいるのではなく、目が新聞の上に落ちているだけ)、目をつぶって、一見居眠りしているかでしょう。奥さんにしてみれば、散歩でもパチンコでもいいから、とにかく一日中家にいないでほしい。ここで、奥さんは夫にきつい言葉を言ってしまう。夫は反論するわけでもなく、かといって、すぐ動くのも男の体裁というものがある。もそもそしながら、「○○さん(奥さんの親族とか)は、元気か・・・。しばらくお会いしてないな」とか言い出す。ここで奥さんが自分の親類の近況を言っても「そうか・・・、そのうち、挨拶にでも行かんとな」と言いながらも、本人はその気がない。「いとこが具合が悪くてねえ・・・、なんか会社も危ないんだって・・・」と聞いても、「それは大変だな」と言ったきり、それで何しようというのではない。結局、奥さんと話題の合いそうなことを言ってみただけで、畳の上に坐り直して、さて、何したもんかなあ、と心の中でつぶやいているのです。

おそらく、こんな状態が数カ月は続く。本当に、どうしていいかわからないのです。それで、考え事をしているようなのですが、最初から考えなど浮かばないし、ボーっとしているから、そのうちほんとに寝てしまう。

私も経験がありますが、かつて転職のために失業した時が同じような感じです。職がすぐ見つからず、何かしなければならないのに、身体が動かない、心が動かない。社会から断絶(拒絶)されてしまった存在、取り残されてしまった自分という存在・・・。こんなはずじゃなかった、こんなもんだったのか、自分の人生は・・・。延々と頭の中で巡り回っているうちに、だらしなく(妻から見ればそう見える)畳の上で寝てしまう。

30代、40代なら、まだ将来があります。しかし定年退職というのは、仕事での将来はそうそうありません。完全に社会や人から断絶してしまうと、人間は孤独になります。それが不安や恐怖のもととなります。つくづく、人間は人や社会、家族や地域と関わっている存在だとこの時になって、ひしひしと感じるようになるのです。

世の奥様、だから心配しないでください。ずーっとこんなんじゃないです。一時的に「どうしていいかわからない症候群」にかかっているだけです。暴力をふるったり、横暴に振舞うよりはいいじゃないですか。妻のことを、それでもそれなりに考えてくれていたのです。あとは、力が再びみなぎってくるのを待っていてやってください。

もし、永遠にもとに戻りそうもないようでしたら、その時は一緒に考えましょう。手遅れにならないように。

(今回の文章は、特定のある家庭のことではなく、私が仕事がら見聞き、読んだり、実感したことから総合的に感じたことを書いています。)


浅田真央 ~ 氷上の「ハイリスク・ハイリターン」

2008-12-16 01:44:11 | 芸能・映画・文化・スポーツ

久々に、ハラハラさせられました。マオとヨナの対決です。

たかが、フィギュア・スケートと言うなかれ。この闘いぶりはたいしたものでした。まさに、技以上に心理の格闘技というべきでしょう。前回のオリンピックでは年齢が規定に達していなくて、優勝候補第一だった浅田真央が出場できなかった頃から、私は注目していました(と、私なんかが言わなくても、当時15歳? の真央はもう世界中で注目の的でした)。そして同じ年齢、同じ体格、同じ極東のアジア人であるキム・ヨナ。

素人目で見ても、キム・ヨナは素晴らしい。精巧な、可愛らしいサイボーグに見えます。失敗が見えてこないのです。それほど完成されていて、こわい気がします。素顔は可憐な少女ですが、失敗しない芸術作品というイメージがライバルとしてこわいのです。真央ももちろん素晴らしいですが、どこか繊細で、いつ壊れ、いつ崩れてしまうかというもろさが常に感じられ、それがハラハラさせるのです。

専門家が言うように、芸術点ではヨナのほうがやや上で、まともにやったら真央は勝てないでしょう。真央がヨナに勝った今年の世界選手権では、ヨナは腰痛を悪化させていてミスしました。真央がヨナに勝つには、ジャンプしかない。それも、トリプル・アクセル(3回転半ジャンプ)を2回跳ぶしか・・・。

とまあ、この辺までは解説者の受け売りですが、真央のすごいのは「ハイリスク・ハイリターン」を成し遂げたことです。氷上のジャンプは、あの細い刃で、滑る表面に着地すること自体が素人には奇跡に思えるのですが、難度の高い技に挑んで成功したことに拍手を送りたいと思います。しかも、「ハイリスク・ハイリターン」は、失敗の確率も高いのです。この失敗への恐怖心を克服した精神力に真央のすごさ、成長が見えます。

キム・ヨナは、地元韓国の大きな期待からくるプレッシャーによって、あの精巧な芸術的演技にミスが入ってしまいました。この精神的な重圧も相当だったのでしょう。ヨナは、韓国ではスーパースター、スーパーアイドルです。日本における真央の比ではないそうです。ヨナも心理的に格闘していたのです。

次の闘いはまったく分かりません。真央は失敗を恐れずに大技に挑んでいくでしょう。しかし、失敗は常に付いて回ります。今回の得点を分析すると、真央が3回転半を2回跳ぶというハイリスクを冒して成功しても、ヨナがミスなく堅実に滑っていれば、真央はヨナに勝てなかったとも言われています。しかし、リスク(挑戦)を取らなければ、大きなリターン(優勝)は得られないのです。世界選手権、オリンピック ―、ライバル キム・ヨナはどこまで完成度を高めていくのでしょうか。

二人とも、技で競技していましたが、それ以上に心理面で格闘しており、それが伝わってきました。まだ、二人とも18歳。数年前の可愛らしい少女から、最近の演技は大人の雰囲気があります。現在、世界でもずば抜けた二人の天才スケーターがアジアの隣国同士にいることに誇りに思えます。


フォークナーの読み方 ~ 『アブサロム、アブサロム!』

2008-12-15 02:18:18 | 文学・絵画・芸術

フォークナーの作品は難解だと言われます。学生当時もよくわからなかったのですが、今回『アブサロム、アブサロム!』を読んでも、なかなか頭に入ってきませんでした。ストーリーは複雑ではないのですが、プロット(小説の組み立て)が幾重にも折り重なっていて、分かりにくいのです。

もっとも、20世紀小説はストーリーよりもプロットや方法を重視しています。19世紀小説との大きな違いは、時間の扱いです。19世紀小説は、暦年的に時間が経過していきます。20世紀小説は、時間を心理や記憶や語りで圧縮したり、膨張させたりしています。プルーストは、時間を記憶の中で膨張させたり、深化させたり、あるいは循環させたりして、あの長大な小説『失われた時を求めて』を書きました(なんと、私はこの作品を2~3年がかりで読んでしまいました。1巻が文庫で平均800ページで10巻分の長さ!)。

『アブサロム、アブサロム!』も、人物・事件について、時間を縦横に行き来し、何人かの「語り」役の登場人物に語らせています。文章(高橋正雄訳)は、翻訳をあまり意識させない日本語で書かれています。文体としては、私の好きなタイプの書き方ですが、作品の中で時間層が幾層にも重なっていて、なかなか集中して小説の世界に入りきれませんでした。いろいろとビジネス上のことが頭に残っている時に、こうした濃密な小説はちょっとかったるいのが正直で、ほんとうは図書館にでも閉じこもってその世界に浸りきるのが一番いいのでしょう。

そんなにかったるいのに、なんで読むのかって思うでしょう。一気に読みきれる軽いものも読んでみたいとは思いますが、自分が書き手の立場に立って読むとき、こういう小説は一種、教科書みたいなものなのです。フォークナーの書くものには、小説の方法論がびっしり詰まっている作品が多いのです。モームが「下手な通俗小説を読むより、プルーストを読んで退屈していたほうがよほどましだ」ということを書いてましたが、同じようなことがフォークナーにも言えると思います。

確かにいい作品です。続けて2度読むと、味わいがぐーっとしみ込んでくるでしょう。私が評論家なら、すぐまた読み返すでしょう。でも、やはりもう少し読みやすくしてくれたら、通勤電車の中でももっと夢中になれるでしょうに。通勤中は、仕事の残滓がいつも頭にあるので、文学は週末に限ることにしました。


「一生、一緒」でない離婚とお金

2008-12-12 00:35:34 | シニア&ライフプラン・資産設計
シングル・マザーが増えていると言われています。私の周りにも何人かそういう知人がいます。ただ、増えていると言われても、まさか私などに「こんどねえ、離婚しちゃったんだけどさ」とか、「もう別れたいんだけど」なんて気軽に(いや深刻に)相談してくる女性の知人は、今のところいません。FPの仕事として、そういう相談を受けたこともありませんので、実感が湧いてこないのです。

たまに、遺族年金と離婚分割年金とどちらが得かという問いがあります。この二つはまったく比較できません。なぜなら、遺族年金をもらえる(つまり、夫がまもなく死亡する)とわかっていたら、どんなにいやな夫でも別れないでしょう。現実問題として、遺族年金、生命保険、相続財産が入ってくるからです(借金があれば借金も)。相手とこの先、「一生、一緒だ」(ちょっと古いCMですが)と思うと、耐えられないから離婚するわけです。

離婚による年金分割は、平成19年4月と平成20年4月の2段階で実施されています。平成19年のほうは夫婦が合意により、婚姻期間中の2人の厚生年金の合計額を最高2分の1ずつに分けることができます(ただし夫の合意が必要)。

平成20年からは、厚生年金の分割割合(被保険者期間の受給資格割合)が自動的に2分の1ずつになりました。こちらは第3号被保険者(会社員・公務員の配偶者で主婦)のみが対象で平成20年4月以降の婚姻期間の分に限ります。もし、来年離婚しても、婚姻期間に該当する夫の厚生年金はほぼ1年分程度です。それ以前の分は、平成19年の制度に従います。

どちらにしても、たいしてもらえません。自分の基礎年金(月6.6万円)に数万円ほどしか元夫の年金分が入ってきません。しかも、実際に分割された年金がもらえるのは、離婚してすぐではなく、妻が老齢年金をもらう65歳からです。こういう現実が分かってきたからなのか、今年4月まで熟年(定年)離婚による年金分割が話題になっていましたが、世の女性は子どもを連れての独り立ちは難しいと悟ったのかもしれません。

こうしてみると、DV(家庭内暴力)や借金・浮気など、よほど耐えられないのは別として、少々我慢してでも別れたりせずにいたほうがいいように思えます。男は定年になると、ほんとうにだらしなくなるそうです。「濡れ落ち葉」のように、日がな、べたーっと畳の上に横に伸びて、平べったく貼りついているそうです。掃除機を向けても剥がれない。奥さんは、それで気が滅入ってしまう。でも、そんなのは最初から畳の上の「濡れ落ち葉」だと思って無視していればいいのです(私もいずれ、そういう仕打ちにあうのでしょうか・・・)。

そのうち、先に死ぬのはたいてい男ですから、残された財産と遺族年金で優雅(?)に自由に暮らせばいいのです。女、60、70はこれからです。老後は、いつまでも夫婦が「一生、一緒」ではないのです。そうは言っても、30代、40代で、まだ一生がずいぶん先まである人に、このままずーっと我慢しなさい、なんて言いません。その時は、シングルマザーのFPの知人をご紹介します。

2008年 世界で車が売れなくなる日

2008-12-10 02:09:23 | 経済・金融・ビジネス
むなしきカー・オブ・ザ・イヤー

今年の日本カー・オブ・ザ・イヤーはトヨタの「iQ」が受賞しました(同時にグッドデザイン大賞も受賞)。正直、次はカーシェアリングかレンタカーを利用すれば足りる、もう車を持つ生活とはお別れだと思っていました。しかし、この車を見て次の買い換えはコレだと思ったくらい気に入ってしまいました(ほんとに買い換えるかどうかは別ですが)。デザイン、機能性と燃費性、安全性、コンパクト(1000cc 全長2985mm)な割のユーリティティと高級感、環境への配慮、これだけすべてそろった車が150万円から買えるなんて画期的、さすが世界のトヨタ! と思わず言いたいところです。
― あの9月さえ来なかったならば・・・。

「すべては、リーマンから始まった」―、とは言い切れません。確かに、実体経済はリーマン・ブラザース破綻の9月から急激に悪化しました。しかし、もう何度も言い尽くされたサブプライム・ローン問題は昨年以前から始まっていたのです。

ビッグ3(GM、フォード、クライスラー)のCEOが公聴会で、3人首を並べて米国国会議員に食いつかれていました。「社用ジェット機で来た人は?」「ジェット機を売って、電車で帰ろうという人はいない?」。普段なら、こうした場面は、強い者いじめ好きの日本人にはけっこう受けるところです(その後、ビッグ3のトップは報酬を1ドルにし、社用ジェット機も売り払ったとか)。しかし、ビッグ3で340億ドル(3兆2000億円)の政府資金が必要だと聞いた時、背筋が寒くなる思いでした。日本は大丈夫なのか、と。

明日からは自分の問題

米国自動車が売れなくなる。世界中で自動車の需要が落ち込み、雇用がなくなる。日本の自動車も売れなくなり(日本車の輸出がなくなる)、自動車関連業界も巻き込み、大量の失業者が出ます。ことは、製造業界全体にも及んでいます。日本では、今年度中に非正規労働者3万人が職を失うであろうと言われています(厚生労働省12月発表)。もうすでに、来年3月までの雇用契約を12月で打ち切られ、いきなり「路頭に迷うか、死ぬ」(ある派遣社員のインタビュー)しかないような切迫した状況です。そして、大企業の正社員にも解雇通告が出始めています。

今は、麻生首相はじめ政府官僚は、「百年に一度」と言われる未曾有の金融危機のせいばかりにしている場合ではないでしょう。麻生首相は、賃金アップと雇用保険の料率下げを同時に経済界に訴えていましたが、この両者が両立する状況ではないのは素人でも分かります。まず、雇用確保です。

政府はようやく、追加雇用対策を発表しました。今後3年間で2兆円規模の事業費を投入して140万人の雇用の下支えを目指すといいます。2兆円といえば、「天下の愚策」と言われた定額給付金と同じ額です。何週間ももめたあげく、税金をばら撒くようなことをしないで、なぜ景気対策、雇用対策に早く取り組まなかったのかと思います。経済は政策を待ってくれません。迷走と同時にスピード感がないのも内閣不支持の原因でしょう。

明日にもまた解雇者が出ると、誰しも自分は大丈夫かと思うでしょう。「クビを切る」という言葉は、恐ろしい言葉、恐ろしい文字です。「解雇」という意味で、こんな戦慄的な言葉を使うのは日本語だけではないでしょうか。食べるため、寝るためのお金の手段を取り上げられてしまえば、まさしく、その言葉通りになってしまう状況にあるのです。