ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』“Thinking, Fast, and Slow”は、面白い本だ。ある評ではフロイトの「精神分析入門」に匹敵するほどの画期的な本だという。ある意味、これまでの経済学の考え方を変えてしまうほどの力のある本と言えるかもしれない。カーネマンは2002年に行動経済学の学説でノーベル経済学賞を受賞している。共同研究者のエイモス・トヴェルスキーが存命していれば同時受賞していたと言われている。
確かに読んでいて興味深い。特に経済学が苦手(というより学ぶのが苦痛)な文学系出身者にとって、心理学が絡んでくると、俄然興味が湧いてくる。行動経済学自体はまだ新しい学問なので、標準的経済学(伝統的経済学)を脅かす学説というよりは、まだまだ経済学説主流の一派にすぎないとか、今は流行しているが、いずれ廃れる「人気タレント」的な学説のように見られている節がある。人間の行動心理や認知方法を探るものだから、まだ曖昧なところがあるような気もするが、それは標準的経済学とて同じである。
今までの経済学は市場を十把一絡げにとらえて分析するので、いちいち個々の人間の心理なんて対象になどしていられない。そんなことをしていたら、経済政策などとることができない。そういう意味では、人間を合理的経済人「エコン」と捉えるのは間違っていない。間違ってはいないが、すべて正しいとは言えない。
そこで心理学の立場から(カーネマンは経済学者ではない、認知心理学者である)個人の心理まで分析して経済を分析する手法が現れたのは必然である。このような個人の経済人を「ヒューマン」と呼んでいる。「ヒューマン」は、合理的経済行動をとる「エコン」に比べて、不合理ともとれる行動をしばしばとる。それはバイアス(認知的錯覚)からくるものである。その数々の例は、この本に書かれている。これらの分析結果は、米国政府の政策にも取り入れられているという。そういう意味では、一時的な流行学説で終わるものではないと思う。
特に金融分野では、これまで説明つかない投資家行動が説明されることにより(というよりすでに金融機関によって投資家心理を応用した商品が開発されてきた=毎月分配型投資信託など)、投資家教育もより前に進んでいくと思われる。
ところで、一般に行動経済学が伝統的経済学(標準的経済学)にとって代わると言われるのは大げさであると思う。そんなことは、カーネマンはじめ行動経済学者は誰も言ってないし、双方に長所と欠点、限界があるので相互に補っていくべきものと思われる。(ちなみに、昨年(2013年)のノーベル経済学賞は、行動経済学者と伝統的経済学者の2人が同時受賞。)