梅花透風景図鐔 鎌倉


梅花透風景図鐔 無銘 鎌倉
鎌倉と汎称されている鐔も系譜の不明な作である。鋤下彫の手法が鎌倉彫に似ているところからの呼称で、鎌倉時代とも相模国鎌倉の地とも無関係。製作された時代も明確ではなく、おおよそ桃山頃とみられている。文様も鎌倉彫とは異なることから、何か別の的確な呼称を付けていただきたいものである。
さて、この種の鐔は、鐔の文様表現の歴史を俯瞰する上で欠くことのできない存在である。散らし絵の構成を基本としている。山水風景図も下敷きとしている。画題の素材は松や梅などの植物、花、鳥、山や波、雲、建物などの風景の断片で、まさに文様化された風景。これらを無関係に配しているのだが、その文様化された風合いは古典的な山水画や水墨画とは異なり、創造性が強く窺いとれるのである。琳派の風合いとは直接結びつけられないが、計算された上での微妙な曲線を構成の要とした鎌倉鐔の心象風景の存在が、琳派の美観の創造へと繋がっていると推測している。


梅花透風景図鐔 無銘 鎌倉
鎌倉と汎称されている鐔も系譜の不明な作である。鋤下彫の手法が鎌倉彫に似ているところからの呼称で、鎌倉時代とも相模国鎌倉の地とも無関係。製作された時代も明確ではなく、おおよそ桃山頃とみられている。文様も鎌倉彫とは異なることから、何か別の的確な呼称を付けていただきたいものである。
さて、この種の鐔は、鐔の文様表現の歴史を俯瞰する上で欠くことのできない存在である。散らし絵の構成を基本としている。山水風景図も下敷きとしている。画題の素材は松や梅などの植物、花、鳥、山や波、雲、建物などの風景の断片で、まさに文様化された風景。これらを無関係に配しているのだが、その文様化された風合いは古典的な山水画や水墨画とは異なり、創造性が強く窺いとれるのである。琳派の風合いとは直接結びつけられないが、計算された上での微妙な曲線を構成の要とした鎌倉鐔の心象風景の存在が、琳派の美観の創造へと繋がっていると推測している。